甘藷先生と芋代官
享保二十年(1735年)3月9日、サツマイモ栽培に成功した青木昆陽が、著書『蕃藷考』(蕃藷=サツマイモ)を発表しました。
・・・・・・・・・・・・
青木昆陽は、元禄十一年(1698年)に、江戸は日本橋の魚屋の子供として生まれます。(八百屋じゃなかったのね)
通称は文蔵さん。
青年の頃、京都にて儒学を学び、27歳で江戸八丁堀に塾を開きました。
享保十四年(1729年)に起こった享保の大飢饉で、人々の飢えをしのぐため痩せ地に育つサツマイモ栽培に目をつけた幕府。
その2年前に、サツマイモの栽培に成功していた昆陽を、幕府役人に登用し、書物奉行にまで昇進させます。
幕府の推奨により、サツマイモ栽培はまたたく間に全国に広がり、多くの人を餓死から救いました。
人々は畏敬の念を込めて、青木昆陽を「甘藷(かんしょ)先生」と呼びます。
甘藷(かんしょ)とは、先ほどの蕃藷と同じで、サツマイモの事です。
甘蔗と書いてこちらも「カンショ」と読みますが、こちらはサトウキビの事だそうです。
サツマイモの原産地は中央アメリカ。
コロンブスがヨーロッパに持ち帰り、その後、中国(中国地方ではなく中華人民共和国のほうです)・沖縄を経て、九州から西日本に広まりました。
もちろん、第一人者は昆陽さんで、結局は全国的にサツマイモの名前で普及するのは、やはり昆陽さんのお力による物なのですが、当初は伝えられた経路から、西日本では唐芋(からいも)・琉球芋などの呼び方がされていて、飢饉の救世主として、有名無名を問わず、多くの人がこのサツマイモ栽培に力を注いでいたのです。
そして、ここにもう一人・・・「芋代官」と呼ばれる人がいます。
今回の昆陽さんの『蕃藷考』の発表をさかのぼること3年前の享保十七年(1732年)・・・やはり、悪天候とイナゴの被害によって、西日本一帯が飢餓に襲われます。
かつて、戦国時代には、毛利VS尼子の抗争(11月19日参照>>)で、紆余曲折の歴史を歩んだ大森銀山・・・
その大森銀山の代官をしていた井戸正朋(まさとも)という人がいました。
彼は、長年勘定役を務めていましたが、前年の享保十六年に、突然、大森銀山の代官に抜擢されたばかりでした。
正朋さんも、3年前から続く享保の大飢饉の対抗策としてサツマイモの栽培に力を注いでいたひとりで、その栽培は大いに役立っていましたが、この享保十七年の飢餓は、それでも乗り切るのが困難だったのです。
誠実な彼は悩みますが、飢餓に苦しむ領民を見捨ててはおけず、天領(幕府のご用地)にある幕府の米蔵に手をつけてしまいます。
そう、年貢に差し出すために確保してあったお米を、領民に配ったのです。
結局、この罪によって彼は、享保十八年に代官をクビになり、移送先で帰らぬ人となってしまいました。
しかし、正朋の職をかけた涙の決断によって、大森銀山では一人の餓死者を出す事もなく、この飢饉を乗り切る事ができたのです。
この後、領民たちは、感謝の意を込めて代々「芋代官」と呼んで、彼の偉業を語り継いだと言います。
昔、ドラマで「人知れず忘れられた庭に咲き、人知れずこぼれ散る、細かな白い大根の花」というのがありましたが、このサツマイモの花も、人知れず咲いているんですよね。
普段、目にも止めない花たちの中に、つつましく可憐なやさしさを感じますね。
.
★あなたの応援で元気100倍!
↓ブログランキングにも参加しています
「 江戸時代」カテゴリの記事
- 幕府の攘夷政策に反対~道半ばで散った高野長英(2024.10.30)
- 元禄曽我兄弟~石井兄弟の伊勢亀山の仇討(2024.05.09)
- 無人島長平のサバイバル生き残り~鳥島の野村長平(2024.01.30)
- 逆風の中で信仰を貫いた戦国の女~松東院メンシア(2023.11.25)
- 徳川家康の血脈を紀州と水戸につないだ側室・養珠院お万の方(2023.08.22)
コメント
「衣食足りて礼節を知る」どんな国家でも食の安全を確保してはじめて国の安全が保障される、と。歴史を勉強する時、どうしても戦争メインの話になってしまいますが、庶民の生活、特に「食」に関することが見えてくると、よりその時代の雰囲気がわかりますよね。(前も同じようなコメントしましたねw)そんな訳で今日は先人に感謝してサツマイモを頂くとしましょう。
投稿: さときち | 2007年3月 9日 (金) 12時36分
さときちさん、こんにちは~。
>先人に感謝して
そうですね、このかたがたたちのおかげで、サツマイモが全国に広がって、オイシイお芋が食べられるようになったんですからね。
冬の夜の、石焼いも屋さんには、「芋が食べたい!」という欲求以上の何かが存在しますね。
新聞紙に包んでくれるところが、また郷愁をそそります~最近は少なくなりましたが・・・。
投稿: 茶々 | 2007年3月 9日 (金) 16時27分
ときどき読ませていただいてます。
こちらはずいぶん前の記事ですが、本日「九里よりうまい十三里」の記事を書きましたので、トラバさせていただくことにします。
ええとですね、サツマイモもジャガイモも渡来種ということで、じゃ、日本古来の芋ってのは何なのかということに関心があります。
里芋と山芋とか思いつくのですけど……。
投稿: 出人 | 2007年12月 3日 (月) 13時22分
出人さま、コメントありがとうございます~。
日本の芋と言えば・・・山芋か里芋の仲間で、じねんじょを思い出しますね~
私はマグロの山かけが大好きです~
ところで、トラックバックがきていないようなのですが・・・
とりあえず、下にURLを貼り付けておきますね。
また、遊びに来てください。
出人さんのブログ↓
http://smartass.blog10.fc2.com/blog-entry-1852.html
投稿: 茶々 | 2007年12月 3日 (月) 17時30分
サツマイモの花のイラスト、いいですね。
大根やサツマイモは花が咲く前に収穫してしまうので花を見ることはまれです。
特にサツマイモは花そのものが珍しく、見つかったらテレビの地方ニュースになるほどです。
ところで、目黒にある青木昆陽さんのお墓に行ったことがあります。目黒不動尊として知られる龍泉寺の中です。湧き水の池のあるきれいなところで、野外に仏像?(不動尊のブロンズ像)が安置されている密教テーマパークの感がある境内です。
墓地のあるところはちょっとした丘で、「目黒のさんま」の殿様が狩りをしてたのはこの辺か?と思いたくなるような眺めですが、それは違うみたい。
投稿: りくにす | 2012年7月 7日 (土) 19時19分
りくにすさん、こんばんは~
人知れず咲いている花を見つけると、なんだか、ステキな気分になりますね。
そうですか、お墓は目黒にあるのですか。。。
投稿: 茶々 | 2012年7月 8日 (日) 01時04分
さつまいもと言えば、『空を飛んださつまいも』(新開ゆり子 金の星社)という本がありました。
隠密としてさつまいもの栽培法を学び、自国に持ち帰る少年の話です。
タイトルを頼りに検索したところ、天保年間の福島県の話でした。どうやって空を飛ぶかは読んでのお楽しみ…
と言っても、古い本ですので図書館で見つけられたらラッキーかも。
私的なメモ代わりにしてすみません。
個人的には、芋と言えばルイ16世とフリードリヒ大王(芋違いか…)
投稿: りくにす | 2012年8月14日 (火) 23時02分
りくにすさん、こんばんは~
へぇ…そんなお話があるのですね~
投稿: 茶々 | 2012年8月15日 (水) 02時03分