五箇条の御誓文・発表
慶応四年(1868年)3月14日、新政府が『五箇条の御誓文』を発表しました。
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時代は戊辰戦争(1月3日参照>>)の真っ只中。
有名な西郷隆盛と勝海舟の会見(3月14日参照>>)は、13日と14日の二日間に渡っておこなわれましたが、まさにその同じ日、新政府は『五箇条の御誓文』を発表したのです。
会見によって回避されましたが、本当なら明日15日は新政府軍が江戸城に総攻撃をかける予定でした。
まさに、日々、一刻、と時代が動いていた事を感じますね。
『五箇条の御誓文』とは、16歳になった明治天皇が神に誓った新政府の基本方針で、藩の連合ではなく、天皇を絶対君主として位置づけている宣言です。
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一、広ク会議ヲ興(おこ)シ、
万機公論(ばんきこうろん)ニ決スベシ
「会議を開き、議論によって決定する」
一、上下心ヲ一ニシテ、盛ニ経輪ヲ行フベシ
「上司と部下が心を一つにして財政の確立を図る」
一、官武一途(かんぶいっと)庶民ニ至ル迄
各(おのおの)其志ヲ遂ゲ、
人心ヲシテ倦マザリシメン事ヲ要ス
「公家も武家も庶民も一緒になってそれぞれの目的を遂げ、
生きがいをなくさないように」
一、旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クベシ
「古い習慣を改め、国際的な法に基づいて行動する」
一、智識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スベシ
「世界の知識を取り入れ、天皇国家の基礎を高めて行く」
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と、以上の五つが『五箇条の御誓文』です。
今の民主主義の時代から見ると、とりたてて言う程の事でもないような5項目ですが、これらは、みんな、江戸時代には考えられない事だったんです。
強固な身分制度の中では、武家も庶民も同じように生きがいを持つなどありえなかった事ですし、鎖国制度の下、広く世界に目を向けるという事もありませんでした。
しかし、やはり、この『御誓文』も、この形になるまでは、何人もの人の手によって、何度も修正が加えられているのです。
何回かの修正の後、最終段階で修正を担当した土佐出身の福岡孝弟(たかちか)。
実は彼の案では、一つ目の「広ク会議ヲ興シ・・・」の部分は、
「列侯(れっこう)会議を興し、万機公論ニ決スベシ」だったのです。
この列侯会議というのは、大名たちが参加する会議の事。
以前は、公武合体を強く押していた土佐藩だったため、福岡の案では、武士に少し気を使った形になっていたのですが、「列侯会議ヲ興シ→広ク会議ヲ興シ」にする事によって、完全に武士という幕府の形を受け入れないという感じに変りましたね。
そして、もう一つ、4番目の「旧来ノ陋習ヲ破リ・・・」の文。
ここには、
「貢士期限ヲ以テ、賢才ニ譲ルベシ」という事が書かれてありました。
この案を出したのは、新政府で財政を担当していた由利公正(4月28日参照>>)。
これは、「期限付きで最初は武士の代表者によって会議を行い、徐々に優れた者に譲る」という意味ですが、それを「旧来ノ陋習ヲ破リ・・・(古い習慣を改め)」の文に変える事によって、やはりここでも武士の影をきっぱりと排除していますね。
この最後の修正を加えたのは、あの長州藩の木戸孝允だったと言われています。
こうして、徹底的に武士の影を排除した『五箇条の御誓文』。
これこそが、維新という物ですね。
今日のイラストは、
それぞれの花の季節は違いますが、「皆で協力して・・・」の御誓文の通り、菊と葵に仲良く並んでいただきましょう。
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コメント
こんばんは(^o^)/
明日から急に民主主義から違うものに変わったら大変ですな!
江戸時代の人たちも相当、戸惑ったのではないでしょうか。
投稿: 見習い大工 | 2007年3月14日 (水) 23時14分
見習い大工さん、こんばんは~。
スゴかったでしょうね~、この頃の時代の移りかわりって・・・
昨日までの常識が180度くつがえされるんですもんね。
地上波がアナログからデジタルに変るだけでもとまどってるのに・・・
いつの世も時代の波に乗るのは大変です
投稿: 茶々 | 2007年3月15日 (木) 01時42分