伊達騒動の影に幕府の思惑
寛文十一年(1671年)3月27日、大老・酒井忠清邸で行われていた仙台藩のお家騒動の審議中に刃傷事件が勃発し、いわゆる『伊達騒動』が双方の死亡という、何やら不可解な形で結末を迎えることになりました。
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加賀騒動(6月26日参照>>)、黒田騒動(3月2日参照>>)と並んで、江戸時代の三大お家騒動の一つに数えられる、このこの仙台藩のお家騒動=伊達騒動・・・
(三大騒動の中に仙石騒動(12月9日参照>>)が入る場合もあります)
そもそもは、仙台藩主・綱宗が、江戸城・小石川掘の工事のため江戸にいた頃、毎日のように遊女のもとへ通い、遊びほうけていた事が原因で謹慎処分となって、家督を長男・綱村に譲るところから始まります(5月4日参照>>)。
そして、後を継いだその綱村が、わずか2歳と幼かったので、叔父の伊達兵部(宗勝)が後見人としてサポートする事となり、兵部の側近であった原田甲斐とともに仙台藩を仕切る事になったのです。
しかし、そのやり方がわがまま放題で、反対する者はことごとく処分され、彼らが仕切っていた10年間で斬首や切腹・追放などの処分者が120人に及んだと言われ、とうとう我慢しきれなくなった反対派が、そのリーダーとして伊達一門の重臣であった伊達安芸を立て、幕府に訴えたのです。
・・・で、寛文十一年(1671年)3月27日、江戸の酒井忠清邸でそのお家騒動の審議が行われていたわけです。
この日、仙台藩から召喚されたのは、訴えた反対派のリーダー・伊達安芸と、訴えられた側・兵部の側近・甲斐。
居並ぶ審議役は、その大老・酒井忠清と稲葉正則をはじめとする老中の面々・・・。
安芸ら反対派の出した20か条の申し立てを、一つ一つ質問する忠清に、神妙な面持ちで答える甲斐でしたが、答えに詰まる場面も見られ、やや反対派が優勢の中、一旦質問コーナーが終わり休憩タイムに入ります。
そして、控え室で顔を会わせる安芸と甲斐・・・っと、そこで、突然甲斐が安芸に斬りかかり、太刀打ちする間もなく安芸はその場で絶命。
それを見ていた安芸の側近が、すかさず今度は甲斐に斬りかかり、甲斐もまたその場で絶命してしまいます。
結局、審議の場にいた二人ともが死亡し、ミョーな形でこの『伊達騒動』は終わりを迎えてしまうのです。
このお話は、後の世にお芝居や小説となって、兵部と甲斐は逆臣として悪の権化のように描かれる事が多いのですが、どうやら話は、「好き放題やってた悪い重臣(兵部と甲斐)をたまりかねた正義のヒーロー(安芸)が訴えた」という、そんな単純な事では収まらないようなのです。
まず、最初の先代藩主の失脚の時点で、本来なら所領の没収などの処分を受けていなければならず、現に他の藩では同様の交代劇があった時は、何かしらの処分を受けていますが、仙台藩にはそれがありませんでした。
すでに、そこに、幕府の大物が一件に絡んでいる感をうかがわせます。
その大物とつるんでいたのは、当然その後、権力を握った兵部・・・という事になり、彼は、最終的には伊達家の乗っ取りを企んでいたとも言われていますが、それは後につけられる悪のイメージを強調するがための作り話だとも言われ、実際には彼が行っていた政治は噂される程、横暴なものではなかったようです。
当時、財政難に苦しんでいた仙台藩を立て直すべく、新田の開発や税の徴収制度の見直しなどもやっています。
しかし、その改革の中で、昔ながらの上級家臣たちの禄高に手をつけたのがマズかった・・・。
この仙台藩は、伊達家に代表される上級家臣の禄高が異常に高く、それが藩の財政を圧迫していたわけで、兵部らにしてみれば、「そこを見直せば、かなり楽になる」という計算だったのでしょうが、上級家臣たちが黙ってそれを見ているはずがありません。
そう、この兵部と甲斐を悪の権化のような汚名を着せたのは、禄高を減らされたくない上級家臣たちだったのかも?・・・
そして、当事者二人が死に、兵部を土佐に流罪にする事によって、このお家騒動に幕引きをしてしまったのは、兵部の後ろにいた幕府の大物・酒井忠清・・・その人。
彼にとって脅威であったのは、加賀藩・薩摩藩に次ぐ力を持っていた仙台藩の大きさであり、仙台藩を弱体化する事が一連の行動の目的であったため、誰が悪人で誰が善人なのかは関係の無い事だった・・・と言えるのでは?
なにやら、この一連の騒動がスッキリしないのは、それが単なるお家騒動ではなく、幕府のの思惑が絡んでいるからに思えてならないのです。
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