義経と牛若は同一人物か?
文治五年(1189年)閏4月30日、奥州・藤原氏の藤原泰衡が衣川・高館を攻撃、敗れた源義経は妻子とともに自刃しました。
・・・・・・・・・・
不和になった兄・頼朝の追っ手をかわしながら、奥州の藤原秀衡(ひでひら)を頼って、平泉まで落ち延びた義経御一行・・・(11月13日参照>>)
追われる身の彼らを秀衡が大歓迎し、中尊寺の東側の丘に高館という城塞まで造り、迎え入れてくれたのは文治三年(1187年)2月の事・・・
しかし、それからわずか8ヶ月後の10月に、一番頼りにしていたその秀衡が66歳で病死してしまった事から、「反逆者の義経をかくまっていると、攻撃するゾ~」という頼朝からのプレッシャーに屈した若き後継者・泰衡(やすひら=秀衡の息子)が義経の館に攻撃・・・
義経主従が奮戦するも多勢に無勢・・・やがて敗色が濃くなる中、義経は持仏堂にて妻と娘とともに覚悟の自殺をしたのです(2009年の4月30日参照>>)。
義経31歳・・・あの平家を破った絶頂期からわずか四年の事でした。
しかし、苦渋の決断で義経に刃を向けた泰衡も、結局その後、頼朝に討たれてしまい奥州藤原氏も滅亡する事になります。(8月10日参照>>)
その後、滅び行く者への哀れさが判官びいきを呼んで、「義経は北海道へ逃げた」「大陸に渡ってジンギスカンになった」などと「義経=ジンギスカン説」(12月30日参照>>)まで生まれる事になるのですが、本日は義経さまのご命日という事で、もう一つの伝説・・・いや仮説について・・・。
それは、鞍馬を下り、京を出た牛若丸(遮那王)と、源氏の大将として京に戻った義経は、はたして同一人物なのか?というお話・・・。
・‥…━━━☆
そもそも・・・
正史と思われる信頼のおける書物に義経が登場するのは、頼朝の命を受けて木曽義仲を討ちに、京にやって来る(1月16日参照>>)あたりからで、それ以前の事は、どうしても伝説の域を超えない物・・・。
義経の事に関する書物で一番くわしいのは、やはり室町時代に書かれた『義経記』で、現在、お芝居やドラマで描かれる義経像は、ほぼこの『義経記』の義経なのですが、その『義経記』でさえ、鞍馬を出た牛若丸が奥州・藤原氏のもとへ行くくだりを確認しているのは、金売り吉次という商人ただ一人・・・。
金売り吉次は、奥州で金を買いつけ京の都で販売をしていた人で奥州と京を行ったり来たりの生活・・・たしかにある程度手広く商売をしていたようですが、なんせ商人ですから、その素性がはっきりしません。
奥州から、京の都の様子を探るために派遣されていたスパイという事も充分に考えられる人物です。
もう一人、鞍馬山で牛若丸に「打倒!平家」をそそのかすしょうもんぼうというお坊さんが登場しますが、この人は頼朝・義経兄弟の父・源義朝(1月4日参照>>)の乳兄弟であった鎌田正清(正家)という実在の人物の息子で、出家前は鎌田正近(まさちか)と名乗っていた人物だという事ですが、この正近が登場するのは『義経記』のみ・・・
ちなみに、その正清の息子という事では、『源平盛衰記』に鎌田盛政(もりまさ)と光政(みつまさ)という兄弟が出てきますが、こちらはこちらで『源平盛衰記』にしか登場せず、『吾妻鏡』では、正清には、男子がいなかったとされています。
ただ、一昨年の大河ドラマをご覧になったかたは「弁慶がいるんじゃないの?」とお思いでしょう。
ドラマでは、「家来にしてくれ」と、何度も鞍馬山の牛若丸のもとに来ていましたが、当然、正史と考えられている書物にはその事は登場しませんし、その出会いの場面が一番早いであろう『義経記』でさえ安元二年(1176年)の6月=鞍馬を出てから2年後なので、一旦奥州へ行ってから、再び京へ潜入していた頃という事になってます。
もし、牛若丸と義経が別人だとするならば、鞍馬を出た牛若丸がそのまま消え、もう一人義経を名乗る人物が奥州から登場するこのタイミングで、入れ替わっているわけですから、奥州から京に戻って来た義経に出会っても、鞍馬の牛若丸と会った事にはなりません。
って事で、結局は、鞍馬の牛若丸と奥州の義経の両方を知っている人は、やっぱり金売り吉次だけ・・・アヤシイなぁ~
アヤシイと言えば、鞍馬では学問ばかりしていた(坊さんになれと言われているんだから当然なんですが・・・)はずの牛若丸が、たった数年で頼朝の前に現れた時には、ものすごい奇襲作戦や戦法を編み出す武将になっているのもニオイますね。
その違和感を消すために、「真夜中の鞍馬山で天狗に武芸を習った」とか、「陰陽師・鬼一法眼の兵法書を盗んだ」などの伝説を付け加え、つじつまを合わす事になってます。
一方で、義経が最初から秀衡の家臣だったとすると、秀衡が義経に与えてくれた佐藤継信・忠信兄弟が、命を賭けて義経を守ろうとする行動にも納得がいきますし、秀衡が死ぬ間際に残した「これより先は義経を主君と仰ぎ、皆で頼朝を倒せ」という遺言も納得できます。
もちろん、逃亡者の彼を大歓迎で受け入れるところも・・・・
そして、何より兄・頼朝のあの冷たい仕打ち、執拗なまでの追っ手が、頼朝が義経の事を奥州からのスパイだと感づいた結果の行動であるならば、ものすご~く理解できちゃいます。
私の予想としては・・・
「京の都にスパイとして派遣していた金売り吉次から、鞍馬にいた義朝の息子・牛若丸がいなくなった事(あるいは吉次が誘い出して始末した)を聞いた秀衡が、自分の家臣(または身内)を、頼朝の弟・義経だと称して、鎌倉方の様子を探るスパイとして送り込みます。
しかし、さすがは秀衡が選んだ精鋭たち(佐藤兄弟も含まれます)。
みごとな戦術で平家を滅亡させ、都では大人気!後白河法皇のハートもゲット!
こうなったら、鎌倉方の様子を探るだけじゃなく、この勢いで源氏自体を頼朝からのっとる方向に路線を変更します。
しかし、その変化に気付いた頼朝・・・「本当に弟なの?」という、はなからの疑惑が確信に変り、源氏を揺るがす一大事とばかりに徹底的に排除する行動に出る。」
という感じです。
・・・と、これはあくまで仮説です。
個人的には、私も「判官びいき」・・・戦術にあれだけ長けていながら、なんだか世渡りベタなところが何とも魅力的ですから、ドラマにするなら、やっぱりそっちのほうがいい!
という一方で、したたかでウラのある義経も見てみたい気もしますが・・・。
今日のイラストは、
やっぱ義経さまと言えば『八艘飛び』の勇姿!
大好きなので、イラストにもリキ入りました~
●「別人説」本家HPでも展開中・・・よかったらコチラからどうぞ>>
.
「 源平争乱の時代」カテゴリの記事
- 平清盛の計画通り~高倉天皇から安徳天皇へ譲位(2024.02.21)
- 「平家にあらずんば人にあらず」と言った人…清盛の義弟~平時忠(2023.02.24)
- 頼朝の愛人・亀の前を襲撃~北条政子の後妻打(2019.11.10)
- 源平争乱・壇ノ浦の戦い~平知盛の最期(2017.03.24)
- 源平・屋島の戦い~弓流し(2017.02.19)
コメント
2005年の「義経」では滝沢秀明くん(当時23歳。男性最年少の大河主役)が好演(でも「風貌が童顔すぎた」との意見もある)でしたが、来年は誰が演じるのでしょうか?V6・森田剛くんが出るので、「後輩」にもチャンスがあるかな?
「鎌倉時代はいつから?」の項目の時代解釈では、義経の没年は鎌倉時代の初頭になりますね。ちなみに「明治元年から今日までの年数」が、鎌倉時代の期間と肩を並べそうです。最近気が付きました。
投稿: えびすこ | 2011年12月25日 (日) 09時13分
えびすこさん、こんばんは~
義経は31歳で亡くなるのですから、23歳の滝沢くんでも充分だったと、個人的には思います。
50歳近くになってやっと活躍する真田幸村を、20代か30代前半の役者さんが演じるほうが、少々、ゲームキャラに影響されすぎのような気がします。
ゲームなら、若いほうが良いですが…
投稿: 茶々 | 2011年12月25日 (日) 23時04分