天平の陰陽師・吉備真備
天平七年(735年)4月25日、遣唐使として唐に渡っていた吉備真備が帰国し、持ち帰った唐の書物などを聖武天皇に献上しました。
・・・・・・・・・・
吉備真備(きびのまきび)・・・彼の名前は、あまりご存知ないかも知れませんが、陰陽師・安倍晴明や、源義経・武田信玄が持っていたという噂の兵法書『虎の巻』・・・なんていうのはご存知ですよね。
その、陰陽道の知識や兵法の知識を中国から持ち帰り、日本に広めた第一人者がこの吉備真備なのです。
彼が持ち帰った陰陽道の『秘伝書』は安倍晴明に伝わり、『虎の巻』は鞍馬に伝わり、義経が・・・信玄が・・・というわけです。
そんな吉備真備は、その名前が示すように、現在の岡山県、吉備の国の出身・・・下道朝臣圀勝(くにかつ)という下級官人の子供として生まれ、後に大学で学問に励みます。
その後、霊亀二年(716年)、23歳の時に入唐留学生に選ばれ、翌年遣唐使として唐に渡りました。
そして、唐で儒学・律令・礼儀・軍事などを学んで、13年後に帰国し、この天平七年(735年)4月25日に持ち帰った書物などを献上・・・というわけです。
その功績で、「正六位下」という位を授かり、大学助に任命されます。
その後、同期で唐に留学した親友・玄昉(げんぽう)とともに徐々に政治手腕を発揮していきます。
しかし、順調に出世街道をまっしぐらと行く真備でしたが、当時の最高権力者・藤原仲麻呂とは、なぜかそりが合わなかったのです。
そのため、天平勝宝二年(750年)から十年間、筑前や肥前といった地方勤務を命じられ事実上、左遷されてしまいます。
やがて、天平宝字八年(764年)、「孝謙上皇+道鏡」VS「淳仁天皇+藤原仲麻呂」の皇位継承争いで、最高権力者の座を追われそうになった仲麻呂が反乱を起こします(9月11日参照>>)。
その時に中衛大将として乱の鎮圧に大活躍した真備は、勲二等を授けられみごと出世街道に復帰。
「称徳天皇(乱に勝利した孝謙上皇がもう一度天皇に復帰)+道鏡」の政権下で、異例の出世をしていきます。
天平神護二年(766年)には右大臣、さらにその3年後には正二位に・・・この時、真備の上には、法王の道鏡と左大臣の藤原永手がいるのみ・・・政界3番手の実力者となります。
奈良時代には、学者として出世する人がほとんどいなかった事を考えると、彼がいかに優秀であったかがわかります。
結局、神護景雲四年(770年)に称徳天皇が亡くなり、道鏡が失脚すると、彼も右大臣の職を辞めますが、その時、真備は76歳・・・もう充分でしょう。
唐の文化を深く吸収し、律令制度に儒教の教えを組み込みながら整備した真備の政治手腕は、歴史的に見てもかなり評価できるでしょう。
・・・と、ここまでは真備の表の顔。
実は、彼の陰陽師としての顔を垣間見せてくれる、中国でのエピソードが残っています。
「遣唐使として唐に留学中の頃、真備が優秀なのを妬んだ唐人学生が、「鬼が出る楼」に彼を閉じ込めました。
しかし、その鬼の正体は、かつてその楼で餓死した安倍仲麻呂の怨霊で、その怨霊と意気投合した真備は怨霊から様々な秘術を教わります。
そして、その秘術で、膨大な史料を暗記したり、囲碁を360手先まで読んでみせたり、太陽と月を封じて世界を暗闇にしたりしたので、唐人学生たちは負けを認めて楼から出しました。」
・・・と、いうのですが・・・オカシイ・・・。
真備と仲麻呂はたしか同じ船で唐に留学したはず・・・つまり二人は同期生。
真備が唐で学生として学んでいた頃は仲麻呂も学んでいたはず(8月20日参照>>)・・・生きてるやん!
そうなると、帰国してからも呪術師として活躍し、空中を自在に飛ぶ「飛行の術」で人々を驚かした・・・という話も、当然アヤシイですが、まぁ、そこは深く追求しないほうがロマンという物でもあり・・・
しかし、「陰陽道や兵法を日本にもたらした」というのは本当のようですし、やはりその道に長けていたのは事実でしょう。
その事がいつしか神格化されて、逸話に尾ひれがついて、先ほどの「鬼」の話なんかが語られるようになったのでしょうね。
今日のイラストは、
やはり、今日のタイトル通り『天平の陰陽師・吉備真備』で・・・。
優秀な政治家でもそれはそれでカッコいいのでございますが、やはり陰陽師・・・としたほうがミステリアスでカッコよさ倍増です~
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コメント
奈良時代の人ですが、平安時代の衣装で描いてみましたので・トラバしました。
投稿: 乱読おばさん | 2007年4月25日 (水) 20時21分
真備もすでに登場していたんですね。
絵巻物の絵は見た事なかったです。
衣装は平安時代の衣装なのですね~勉強になります。
投稿: 茶々 | 2007年4月25日 (水) 20時54分
こんにちはです~
昨日、2010/4/3 NHKで「吉備真備」を見ました~
早速、こちらのブログ内検索をしましたら、ありましたね~(さすがです~)
真面目な堅物で、ブレない漢として表現されてました~(あまり、知られていない人物なので、興味を持ちました)
また、アップして下さい~
投稿: 山は緑 | 2010年4月 4日 (日) 17時50分
山は緑さん、こんばんは~
昨日、今日と、吉備真備のキーワード検索で訪問してくださる方が何人かいらしたのですが、そういう事だったんですね~
知らなかった・・・(;´Д`A ```
再放送があれば見逃さないようにしますです!
投稿: 茶々 | 2010年4月 4日 (日) 21時18分
おせっかい~
「大仏開眼~」って名前でしたっけ~ 2話もので、今週の土曜日に2回目が放映される筈です~
眩坊も出てますが~ はたして、真備を信頼している賢明な皇太子(孝謙天皇)が「道鏡」とか「清麻呂」に合う所まで行くのか~ってとこが気になります
投稿: 山は緑 | 2010年4月 5日 (月) 19時59分
山は緑さん、ありがとうございます。
題名は知っておりました(;´Д`A ```
ただ、いつ放送されるのか知らないままで・・・
後編はチェックしときます。
投稿: 茶々 | 2010年4月 6日 (火) 00時19分
初めまして
自分探しをしてこちらの記事に辿り着きました。最近、輪廻転生前世鑑定を受けて、鑑定結果の一つにこんな結果がありました。
白鳳時代 65代前 男
呪術師 高い位の方の命を守るボディガードをした。人の心の裏を読み、動きを察知して自分の主人を守った。身体を使って生命を守った。
もしかしてですけど、この『吉備真備』という方は、偉い方のボディガードをされたんでしょうか?呪術師なんでしょうか?
宜しければ、教えて頂けたらと思います。
尚、私はブログもしています。
『Wonder_Ryuchanの大人の日記』
将棋がメインのブログです。
それでは
投稿: Wonder_Ryuchan | 2016年6月28日 (火) 22時24分
Wonder_Ryuchanさん、こんばんは~
そうですね~
このページの表題に「天平の…」とさせていただいたように、私としては吉備真備という人は、生まれは白鳳ですが、活躍したのが天平なので、天平の人というイメージです。
また、記事の中にある呪術師的なイメージは、英雄的に見せるための伝説の域を超えないお話で、実際には学者さんです。
呪術師的な感じなら、役小角がいますが、コチラも天平の人で、しかも反政権側の人なので「高い位の方の命を守るボディガード」的なイメージは無いですね。
「ボディガード」的なイメージなら斉明天皇の時代の阿倍比羅夫が近いかも…なんせ将軍ですから
でも、コチラはコチラで呪術師的なイメージは無いですね。
「呪術で高位な方をボディガード」いうのは「怨霊」や「怨念」などの概念が定着する平安時代あたりからのようにも思えますが、時代が白鳳であるという事なら、職業は僧侶かも知れませんね。
そのあたりで、お探しになってはいかがでしょう?
投稿: 茶々 | 2016年6月29日 (水) 01時30分
茶々様
この度は、詳しく教えて頂きありがとうございました。
吉備真備さん、玄昉さん辺りに焦点を絞って色々と調査してみます。ロマンですね。
(私も中途半端ですが不思議な能力がありましてね。そこで、自分探しをしている最中です。)
それでは
投稿: Wonder_Ryuchan | 2016年6月29日 (水) 06時26分
Wonder_Ryuchanさん、こんにちは~
昔の事をイロイロと考えると時間を忘れます。
ほんと!ロマンですね。
投稿: 茶々 | 2016年6月29日 (水) 10時15分