額田王を巡る三角関係2
天智七年(668年)5月5日、琵琶湖の東岸・蒲生野で、盛大な狩りが催されました。
ここで、額田王と大海人皇子のあの名場面が展開されます。
・・・・・・・・・
朝鮮半島情勢が悪化し、半島への出兵と日本の守りを固めるため、斉明天皇以下、主だった者を乗せた軍船が難波を出航したのは斉明七年(661年)の事でした。
その九州行きの船の中で、斉明天皇の息子・中大兄皇子(なかのおおえのみこ・後の天智天皇)が、弟・大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)の元カノ=額田王(ぬかたのおおきみ)相手に、三角関係?の歌を詠んだお話は以前書かせていただきました(1月6日参照>>)が、その後、三人の関係はどうなったのでしょうか?
その旅先の九州で斉明天皇が亡くなり(7月24日参照>>)、百済を助けて出兵した白村江の戦い(8月27日参照>>)に敗退した後、中大兄皇子と大海人皇子は兄弟団結して、敗戦の復興や対外政策に当たったに違いありません。
天智六年(667年)に、その対策の一環として都を飛鳥から近江(滋賀県)に遷した(3月19日参照>>)後、その近江朝廷の基礎も定まり、ようやく平安な日々が訪れるようになった翌年の正月、中大兄皇子は天智天皇として即位します(1月3日参照>>)。
この間の額田王と言えば・・・
♪君待つと 我がひ居れば 我が屋戸の
簾(すだれ)動かし 秋の風吹く♪
「恋しいあなたを待っていたら、簾が動いたので“来た~っ”て思ったら風やったわ」
この額田王が詠んだ歌には「近江天皇(天智)を思ひて」という注釈がつけられている事でもわかるように、額田王はもう、すっかり天智天皇のカノ女に納まった感がありました。
この歌と対比するように、もう一つの歌があります。
♪風をだに 恋ふるはともし 風をだに
来むとし待たば 何か嘆かむ♪
「ぬか喜びさせる風にイラついてるみたいやけど、ウチにはそんな風さえも来ないわよ」
この歌は、額田王の姉・鏡王女(かがみのおおきみ・姉ではないという説もありますが、姉としたほうが昼ドラ的でオモシロイ)が詠んだ歌。
実は、もともと天智天皇の彼女だったのは、鏡王女だったのです。
♪妹(いも)が家も 継ぎて見ましを 大和なる
大島の嶺(ね)に 家もあらましを♪
「君の家が、一番高い大島(高安山)のてっぺんにあったら、いつでも見ていられるのにな」
♪秋山の 樹(こ)の下隠り逝く水の
われこそ益さめ 御思いよりは♪
「落葉の下の隠れて流れていく水のように表に出せへんけど、アンタが思ってる以上に私はアンタの事が好きなんよ」
上の歌が天智天皇の歌で、下の歌が鏡王女の歌・・・こんな感じで二人はラブラブだったんですね。
ところが、ここに来て天智天皇は、弟=大海人皇子との間に十市皇女(とおちのひめみこ)という女の子まで生んじゃってる額田王に夢中・・・
結局、鏡王女は、あの中臣鎌足(なかとみのかまたり)と結婚する事となるのです。
そんな中、天智天皇が即位した天智七年(668年)の5月5日の節句の日に、琵琶湖の東岸の蒲生野(がもうの)の皇室ご料地で、盛大な「狩り」が開催されたのです。
「狩り」と言っても、いわゆるすぐに頭に思い描く武士のような「狩り」ではなく、男性は馬に乗って春新しく生え変わった鹿の角を取ったり、女性は紫草のような薬草を取ったりという風流な物で、言うなれば「野外レクレーション」、今で言えば、お花見か野外バーベキューパーティといった感じでしょうか。
そして、日が徐々に傾きはじめ、イベントもそろそろおひらきになろうかという頃、女同士で草を摘んでいた額田王のそばに、向こうのほうから大きく手を振って駆け寄って来る男性が一人・・・それは、元カレ・大海人皇子ではありませんか。
♪あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや 君が袖振る♪
「夕陽に染まる紫野を歩いていると、あなたが手を振ってくる(アカン!って、そんな大胆な事)野原の番人に見られてしまうやんか!」
♪紫の にほへる妹(いも)を 憎くあらば
人妻故に われ恋ひめやも♪
「紫草のように綺麗な君を好きやなかったら、もう、人妻になってんのに、こんなに恋しいと思うわけないやろ」
もちろん、上の歌が額田王の歌で、下の歌がそれに返した大海人皇子の歌ですが、万葉集に残るこの有名な歌・・・イイですね~。
万葉人のおおらかな雰囲気・・・男らしく大胆な大海人皇子の行動に、少女のようにとまどう額田王。
ふたりの状況が見事に映像として浮かびあがってきますね~。
まるで、たまたま彼氏と入ったレストランで、元カレがウエイターをやってたような・・・。
そして、彼氏の死角から、自分たちにだけわかる合図を送ってくる元カレ・・・。
「何やってんのよ!」と、目線でたしなめる彼女ですが、本気で怒っているわけではありません。
そうです。
二人のこのやりとりを見られてはいけないのは、野原の番人なんかじゃありません。
天智天皇・・・その人です。
天皇の目を盗んだ忍ぶ恋にしては、とてもさわやかな感じがするのは、二人が若い頃いい恋をして、いい別れかたををしたからでしょうか?
・・・と、ここまでは、私が理想とするドラマのような解釈の仕方をしてみましたが、実際のこの二人の歌の解釈については、よりをもどした三角関係の歌・・・というよりは、狩りの後行われた宴会の席で披露された余興なのだろうというのが、現在の一般的な見方になっています。
たしかに、この頃、天智天皇も大海人皇子も額田王も皆40歳前後・・・当時の平均寿命から見れば、けっこうなお年寄りです。
真剣に恋だの愛だのを語るようなお年頃ではない気もします。
まして、そんな「オバさん」に対して「紫のにほへる妹」などと、10代の乙女のような表現は、冗談まじりのイヤミでしか言えないのではないかとも思います。
ただ、私の個人的で大胆な仮説を許していただけるならば・・・
以前は兄弟で力を合わせて政治を行っていた天智天皇と大海人皇子でしたが、この頃になってどうやら天智天皇は成長した自分の息子・大友皇子に皇位を譲りたいと思うようになり、大海人皇子を政治の表舞台から締め出した感があります。
実際、大海人皇子はその手腕を思うように発揮できずにウップンたまりまくりで、別の宴会の席でも、泥酔して槍を振り回して大暴れする・・・といった事があったようです。
その胸につかえた「思いのたけ」を、宴会の席で吐き出させてあげようと額田王は大海人皇子に歌をプレゼントしたのでは?とも思うのです。
彼女の歌に答える形で歌った大海人皇子・・・この人妻とは額田王の事ではなく、この国の事・・・自分の手から離れてしまったこの国です。
たしかに、この時、額田王は天智天皇のカノ女ですが、額田王の生涯を通しての行動を見てみると、着かず離れず大海人皇子をサポートしている気がするのです。
皇位継承をめぐって有間皇子が謀反の罪を着せられ死刑になった時(11月10日参照>>)も、「あなたも将来の天皇候補なんだから気をつけて」とも解釈できるような歌を大海人皇子に送っています。
そして、やがて起こる大友皇子と大海人皇子の後継者争い=壬申の乱(6月25日参照>>)の時も、大友皇子と結婚した十市皇女が、「吉野にいる父親に琵琶湖の名産を献上する」と称して、鮎の腹を裂いてその中に近江側の動きを記した密書を入れて送った・・・とされていますが、ここには当然、娘・十市皇女と一緒にいた額田王が関与しているはずです。
額田王が、大海人皇子から天智天皇に気持ちを伝えさせるために、この日の宴会で、この「あかねさす・・・」の歌を詠んだのだとするのは、ちょっと飛躍しすぎですが、ドラマにするならオモシロイと思うんですが・・・。
今日のイラストは、
やはり『あかねさす・・・』の名場面で・・・
恋多き額田王は、持統天皇の時代に宮廷歌人の座を柿本人麻呂に譲った後、60歳くらいで天武天皇の息子・弓削皇子と歌を交わします・・・たぶん恋ではありませんが・・・
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コメント
茶々さん、こんばんは。
ん? スカイレストラン? 今日はユーミンネタ?
とか思って読んでいましたが、解釈的には中島みゆき寄りかな?
‥ 失礼しました m(_ _)m。
投稿: とーぱぱ | 2016年10月27日 (木) 23時11分
とーぱぱさん、こんばんは~
>中島みゆき寄り?
恨み~ます♪ですか?ww
投稿: 茶々 | 2016年10月28日 (金) 02時21分
ファイト〜 です。(^_^)
投稿: | 2016年10月28日 (金) 05時17分
ポジティブな方でしたか(*^-^)
投稿: 茶々 | 2016年10月28日 (金) 17時32分