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2007年5月10日 (木)

空前のヒット!「鉄道唱歌」のプロモーション

 

明治三十三年(1900年)5月10日、『鉄道唱歌』第一集が発行されました。

・・・・・・・・・

鉄道唱歌は、全5集・334番からなる、鉄道路線の駅や沿線の観光名所を歌い込んだ数え歌のような歌です。

第1集の東海道篇の一番の歌詞
♪汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり・・・♪
というのは、よく知られていますね。

昭和六十二年(1987年)、奇しくも国鉄が民営化されたその年に、『全国わが町音頭』(県別・市町村別に3355番まであるらしい…)という歌に、そのトップの座を譲りましたが、それまでの90年間は「日本一長い歌詞」だった事でも有名です。

国鉄時代からJRの特急・急行の車内アナウンスの時のチャイムとして使用され、私などは、このメロディを聞くだけで旅情をかき立てられるものです。

・・・で、その誕生物語ですが・・・

事の起こりは、明治二十八年(1895年)、平安遷都1100年を記念して開催された「京都博覧会」。(4月1日参照>>)

会場までの交通手段として、日本で初めて電車(路面電車)(2月1日参照>>)が走った事でも知られているこの博覧会に出かけた市田元蔵さんなる人物が、博覧会からの帰り道、月琴に合わせて「街頭演歌」を歌う・・・今で言う「路上ライブ」を目にします。

聞こえてきた歌は「汽車の旅」という歌で、「東海道線の地理や歴史を汽車の進行に合わせて歌いあげる」という物でした。

「これは、いける!」と元蔵さん。
そのアイデアをいただいて、早速、国文学者の大和田建樹(たてき)に作詞を依頼・・・作曲は、大阪師範の多梅稚(おおのうめわか)に依頼します。

この時、この話を聞いた大和田さんの親友で東京音楽学校教授の上真行(うえさねつら)も作曲を引き受けたため、曲は2種類の物が競演・・・という事になりました。

・・・て、これはパクリって事にはならないんですかね。

歌詞も曲も新しいから、著作権はクリアでも、「東海道線の地理や歴史を汽車の進行に合わせて歌いあげる」というアイデアに知的所有権のような物は発生しないんでしょうか?

平成の世なら問題になりそうですが・・・。

とにもかくにも、こうして、明治三十二年(1899年)に『鉄道唱歌』第1集・東海道が刊行されるのです。

ところが、まだ売れる前の段階で、なんやかんやと、もと手がかかり過ぎて、元蔵さん、この時点で破産しちゃいました~。

・・・で、この元蔵さんから、その『鉄道唱歌』の売れ残り本や、版権のすべてを三木佐助という人物が買い取ったのです。

この三木佐助さん・・・文明開化の時代にいち早く西洋楽器店を開店し、大儲けをした人物で、「豪商佐助」なんてニックネームで呼ばれていました。

そして、この佐助さんが、娘婿の西野虎吉の協力のもと、翌年の明治三十三年(1900年)5月10日に、2度目の『鉄道唱歌』第1集を発行するのです。

しかし、最初の市田元蔵さんの失敗でもわかるように、ただ発行しただけでは、これほどのヒットにはならなかった・・・

実は、この『鉄道唱歌』のヒットの影には、2度目の発行の時に、虎吉さんが行ったプロモーションによる宣伝効果があったのです。

まず、最初のプロモーションは、10人一組の楽団を編成し、東京や大阪の中心部で、演奏しながら行進・練り歩く・・・という路上ゲリラライブを実施。

これが、かなり受けて、曲の認知度アップに一役買いました。

その時は、多梅稚の作曲の物と上真行の作曲の物、2曲を代わる代わる演奏していましたが、路上ライブの時点で、すでに人気があったのは、多梅稚の作曲したほうの曲で、現在皆さんがご存知の『鉄道唱歌』は、多梅稚の曲のほうです。

その後、同じ年の9月~11月にかけて、第2集~第5集刊行され、『鉄道唱歌』はさらに人気をあげていきます。

この時代、もちろんCDなんてありませんから、本が今で言うところの歌詞カードで、その本の売れ行きが歌のヒットの度合いという事にまりますから、テレビやラジオというメディアのない事を考えると、そうそう全国的なヒット曲などどいう物が生まれるわけではありません。

しかし、「まだまだ、いける!」と踏んだ虎吉さん・・・。

今度は、1組を20人という倍の人数の楽隊を編成し、汽車の車両を貸し切っての生演奏大会を開催しながら、東海道本線~山陽本線・・・果ては九州まで、しかも各駅ごとにビラをまいての宣伝活動。

その派手なパフォーマンスがまたまた話題を呼んで、さらに売れて行きます。

結局、明治の終わり頃には、その発行部数が1千万部を突破します。

さらに、時代を超えて昭和の頃まで、そのヒットは続くわけですから、「およげ!たいやき君」も「女のみち」もまっ青です。

つくづく「CMって大事なんだなぁ」っと感じさせられますね~。

Kisyapopocc
今日のイラストは、
『鉄道唱歌』には、ふさわしくないかも知れませんが、パステルでメルヘンな汽車を書いてみました~。
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コメント

鉄道唱歌はいいですね。メロディが覚えやすいし、適度に短いので(7×4ですから、七七調ですかね・・)、替え歌がいくらでも出来るのですよね。
 わが町吹田は、今は快速も新快速も止まらない駅ですが、操車場があることが有名で、ちゃーんと鉄道唱歌にははいっています。
 替え歌もやりやすいので、一時、このメロディにあわせて、ローマ建国神話だとか、暴君ネロシリーズだとか作っていました♪

投稿: 乱読おばさん | 2007年5月10日 (木) 11時33分

やはり、このメロディは覚えやすいでしょうね。
東南アジアの国々では、このメロディだけが残って、別の歌詞がつけられた歌がいくつかあるそうです。

この歌を聴くと列車の旅がしたくなります。

投稿: 茶々 | 2007年5月10日 (木) 13時16分

鉄道唱歌の欄、拝見いたしました!詳しく書かれていて勉強になりました!ありがとうございます

私は、この鉄道唱歌全5集334番を丸暗記しています!

歌詞を見なくても多少間違えますが全部歌えます!


この鉄道唱歌が大好きなんです!

投稿: フジ坊 | 2013年6月28日 (金) 01時38分

フジ坊さん、こんばんは~

わぁヽ(´▽`)/
全部歌えるんですか?
スゴイですね~

私も、この歌、大好きです!

投稿: 茶々 | 2013年6月28日 (金) 03時36分

鉄道唱歌を好む方々のサークルみたいなのは、ございませんか?

投稿: フジ坊 | 2013年6月30日 (日) 13時38分

フジ坊さん、こんにちは~

ファンの方が多いと思われる歌ですので、おそらくは、そのような集まりもあるかとは思いますが、残念ながら、私は存じ上げません。
申し訳ないです。

投稿: 茶々 | 2013年6月30日 (日) 16時07分

茶々様、どうもありがとうございました!

ごめんなさいね〜!

投稿: フジ坊 | 2013年6月30日 (日) 19時30分

フジ坊さん、お役に立てなくて申し訳ないです。

投稿: 茶々 | 2013年7月 1日 (月) 02時21分

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