万葉の恋歌~狭野茅上娘子と中臣宅守
今日は、万葉集に残る数多くの歌の中で、異彩を放つ名歌を残した狭野茅上娘子をご紹介させていただきます。
彼女の歌はとにかく魅力的・・・たしか古典の教科書にも出ていたので、ご存知の方も多いかも知れません。
・・・・・・・・・
時は天平の頃・・・宮廷に仕える狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)は、女官の中でも身分の低い女嬬(じょじゅ)という身分で、帝に直接会うような事もなく、毎日雑用のような事ばかりの仕事でした。
しかし、そんな彼女に、いつのほどからか気になる人が・・・とこれは、あくまで想像ですが、多くの人が務める宮廷内ですから、どちらかが、あるいは、どちらもが、何かの拍子に偶然に目と目が合ったとかで、お互いに意識し始めるような事が無ければ、ただの、宮廷で働く同僚なわけですし、この時代、ただの同僚なら、男女が言葉を交わす事すら無かったでしょうから、何かしらの接点=惹き合う物があったはず・・・
あくまで、推測ですが、そう考えないと、宮廷に務める男と女官が、関係を持つに至るはずは無いですから・・・
とにもかくにも、彼女=狭野茅上娘子は女官にあるまじき恋をします(たぶん)。。。
お相手は、中臣宅守(なかとみのやかもり)。。。。
とは言え、ほとんど史料が無い二人・・・中臣宅守に関しては、中臣東人(なかとみのあずまひと)の七男で、「中臣」という姓からわかるように代々神を司る神官の家系の人で、晩年に従五位下に任ぜられたという事はわかっています。
狭野茅上娘子は、後宮(天皇の大奥のようなところ)の蔵部に仕える女嬬という事しかわかりません。
まして、この二人の関係についての公式な記録は、万葉集の目録に書かれた文章と残された二人の歌だけ・・・。
後は同じ頃の文献を読み解きながら推理するしかないのです。
万葉集・巻十五にはこうあります。
『中臣朝臣宅守(なかとみのあそんやかもり) 蔵部の女嬬(じょじゅ)狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)を娶(めと)りし時勅して流罪に断じ、越前国に配(なが)す
ここに夫婦別れ易く会いひ難きを相嘆きて、各々働(いた)む情(こころ)を陳(の)べて贈答する歌六十三首』
つまり・・・
「中臣宅守という人が、宮廷で女嬬をしていた狭野茅上娘子と恋に落ちて流罪となり、越前(福井県)に流された時、別れを悲しんで詠んだ63首の歌をここに収めます」
という事です。
それにしても、上記の目録の文章・・・『娶(めと)りし時勅して流罪に断じ』という事は、「二人が結ばれた事によって流罪になった」という事でしょうか?
今のところの通説では、「娘子の職業・女嬬というのが、後宮の女官である以上、彼女たちは天皇の所有物になるのだから、他の男と結ばれてしまった事で、宅守が流罪となった」という見方が一般的です。
しかし、もう少し身分の高い「采女(うねめ)」は、地方豪族たちが中央の天皇家へ服従の意味を込めて、言わば献上したようなものなので、天皇以外の男性と恋愛関係になる事は禁じられていましたが、女嬬はもっともっと低い身分で、召使いのような位置にいたので、恋愛は禁じられてはいなかったのではないか?との見方もあります。
それが確かなのは、その万葉集にある「娶る」という言葉です。
二人の関係がもし、罪になるのなら、そこは「姧」の文字が使われていなくてはなりません・・・不義密通て事ですからね。
しかし『娶りし時勅して流罪に断じ』というのは、二人の関係は合法であったけれども、結婚してすぐに流罪になったという風にもとれます。
では、なぜ?彼=宅守は流罪になってしまったのでしょう。
ヒントは『続日本紀』のある記述と、『万葉集』に残る彼の歌・・・
『続日本紀』によると、天平十二年に聖武天皇の病気快復祈願の勅命(天皇の命令)で、大赦(罪を軽くする事)が行われていますが、当時、流罪で越前に滞在中の宅守は、その大赦から外されているのです。
この時、大赦から除外される罪として、「業務上横領」「故意的殺人」「計画的殺人」「ニセ金造り」「強盗・窃盗」「姦通」の六つが挙げられていますが、6つめの「姦通」は先ほどの「娶る」という表現から見て無いとするなら、残りの5つのうちどれかの罪という事になります。
そして、『万葉集』にある彼が、配所の越前から都の娘子に送った2首の歌。
♪さす竹の 大宮人は 今もかも
人なぶりのみ 好みたるらむ♪
「都の人たちは、昔から“人なぶり”が好きだったけど、今もまだやってるのかな」
“人なぶり”とは、「悪質な噂話」とでも言いましょうか・・・執拗に人をからかったりする、言わば「イジメ」のような事です。
そして、もう一首・・・
♪世の中の 常の理 かくさまに
なり来にけらし すえし種から♪
「自分のまいた種は自分で刈り取らなくちゃならないのは当然だからね」
この2首の歌をわざわざ彼女に送るという事は、やはり「それなりに意味がある」と考えると・・・「悪質なイジメ(噂話)によって、彼は何か事件を起こし(罰を受ける事で)その責任をとっている」という想像もできます。
突発的なケンカのような物であっても、宮廷内で刀を抜いた以上、それは「故意的殺人」とみなされます。
よって、かなり飛躍した妄想になるかも知れませんが、おそらく彼と彼女の事が明るみに出て、二人は宮廷内の噂の的となり、悪質なからかいに我慢できなくなった彼が事件を起こした?のでしょう。
そして、彼は流罪となります。
彼が越前へ旅立つ朝・・・若気の至りとは言え、罪を犯してしまった彼・・・「やっと一緒になれたのに・・・」
彼女は、都のはずれまで見送りに行ったに違いありません。
そこで、彼女は歌います
♪君が行く 道の長手を 繰りたたね
焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも♪
「あなたが行く長い道を、くるくると折りたたんでたぐりり寄せて、焼き尽くしてしまう天(神様)の火があればいいのに・・・」
慟哭にも似た彼女の叫びが聞こえてきそうな一首です。
さらに、彼女は歌を送り続けます。
♪他国(ひとくに)は 住み悪しとぞいふ 速(すむや)けく
早帰りませ 恋ひ死なぬ間に♪
「他国は住みにくいと言うから、早く帰ってきてね、私がこがれ死にしない間に…」
しかし、先ほどの天平十二年の大赦でも、彼は帰ってきませんでした。
♪帰りける 人来たれり 言いしかば
ほとほと死にき 君かと思ひて♪
「罪を許されて帰ってきた人がいたって聞いたから、あなたじゃなかったけど、うれしかったわ」
他人が罪を許されたのを、自分の事のように喜ぶ・・・彼女の性格の良さがうかがえますね。
そして・・・
♪わが背子が 帰り来まさむ 時のため
命残さむ 忘れたまうな♪
もう、解釈はいりませんよね。
文章そのまま・・・彼女は彼が帰る日の事だけを思い、生きています。
この歌を最後に、二人の恋は歴史の彼方へと消え去ります。
この後、彼と彼女がどうなったのかは『万葉集』は語ってはくれません。
ただ、先ほどの大赦の翌年、天平十三年(741年)9月にも大赦が行われていて、この時は除外者が一人もいなかったとされているので、おそらく許されて帰京した物と思われ、それがわずかな希望を感じさせてくれるものの、
一方で、天平宝字八年(764年)に起こった藤原仲麻呂の乱(ふじわらのなかまろのらん)(3月11日参照>>)に関わったとして、中臣氏の家系図から宅守の名が除外されているという記録もあるようなので、残念ながら、その後に二人は幸せに…とはならなかったようです。
今日のイラストは、
やっぱり『愛しの宅守さま・・・』
バックは平城宮跡に再現された東院庭園です~。
.
「 奈良時代」カテゴリの記事
- 桓武天皇渾身の新都~幻の都・長岡京遷都(2017.11.11)
- 牛になった女房~田中広虫女の話(2013.07.20)
- 富士山~最古の噴火記録(2013.07.06)
- 新羅と日本…古代の関係(2013.03.22)
- 1300年のタイムカプセル…誕生記念「多胡碑」(2013.03.09)
コメント
いいですね♪
ちなみに、私の名前、『万葉』って言うんです。
投稿: 金爆Love | 2015年3月 9日 (月) 21時23分
金爆Loveさん、こんばんは~
残された歌で想像する恋物語は、ついつい美しい方向へ行ってしまいます(*^-^)
投稿: 茶々 | 2015年3月10日 (火) 03時20分