鴨長明さんのご命日なので…
建保四年(1216年)閏6月8日、鴨長明が約60年ほどの生涯を閉じました。
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鴨長明(かものちょうめい)と言えば『方丈記』・・・独特のリズムで、人の世の無常を書き綴ったその文章は、ガラにも無く哲学的な物思いにふけさせられる事がしばしば・・・。
ご命日は、閏6月10日とも言われますが、とりあえずは本日、そんな名文を引用させていただきながら、長明さんを偲ばせていただきたいと思います。
‥…━━━☆
鴨長明は、京都・下鴨神社の禰宜(ねぎ・神官)だった鴨長継の次男として生まれます。
生まれた年は仁平三年(1153年)とも、久寿二年(1155年)とも言われていますが、保元元年(1156年)には保元の乱(7月11日参照>>)が、平治元年(1159年)には平治の乱(12月26日参照)が勃発した頃で、時代は貴族から武士へと移り変わる頃・・・多感な青春時代は、平家全盛の時代でもありました。
琵琶を弾き、和歌を詠み・・・後鳥羽院の和歌所の職員にも抜擢された上に、彼の作品は『新古今和歌集』にも収められ、宮廷歌人として大いに活躍しておりました。
そんな彼の人生が一転するのが、後継ぎ問題。
神官の家系である彼のところに、下鴨神社の摂社・河合社(ただすのやしろ)の神官をやらないか?という話が舞い込んできます。
ところが、その話が、なぜか、一族の鴨祐兼(かものすけかね)の反対に遭い、パァになってしまいます。
しかも、どうやらこの時に、父の後を継ぐ・・・という夢が完全に断たれてしまったようです。
『つひにあととむる事を得ず』
「とうとう後を継げなかった・・・」
と、ご本人も、かなりのショックを受けて嘆いています。
この時のショックで彼は宮仕えをやめ、隠居生活をし、神官の家系なのにも関わらず仏教に入れ込み、出家までする・・・この行動にいかにショックだったのかがわかる気がしますね。
やがて、世の中が源平の合戦にあけくれた日々は源氏の勝利に終わり、源頼朝が鎌倉で幕府を開きます(7月12日参照>>)。
しかし、それもつかの間・・・頼朝亡き後のゴタゴタの中、他の御家人を押さえて頭角を現してきた嫁の実家の北条氏・・・(7月18日参照>>)。
そんなこんなの建暦二年(1212年)、日野外山の四畳半ほどの小さな家で、俗世間と離れ自給自足の日々を送りながら、長明は『方丈記』を書いたのです。
長明が『方丈記』を執筆した「方丈庵跡(方丈石)」(京都市伏見区日野)
いつでも引越しできるような簡素な住まい・・・そんな場所で、彼はめまぐるしく過ぎ去った時を振り返ります。
いくつかの戦乱の合間には、安元三年(1177年)の大火、
治承四年(1180年)の辻風(竜巻?)、
養和元年から二年(1181年~82年)にかけての大飢饉と疫病、
元暦二年(1185年)の大地震・・・。
そんな天災とともに、平清盛によって行われた福原遷都(11月26日参照>>)で、これまた荒れ放題の都の風景・・・。
様々な出来事を走馬灯のように思い浮かべながら彼はゆっくりと筆を走らせます。
『ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつむすびて、久しくとどまるためしなし。
世の中にある人と栖(すみか)と又かくのごとし』
「川は絶え間なく流れてるけど、その水はいつも同じやない。
淀みに浮かぶ泡は、消えたと思たらまた別の所にでき、同じ状況やった事はない。
人の生活も同じやなぁ」
さらに、長明は続けます・・・
「都には、ぎょうさん立派な家が建ち並んでるけど、よくよく尋ねてみると、昔からずっとそこにあった家は“まれ”やと言う。
ある家は去年焼けて今年建ったばかり、ある家は没落して小さくなる・・・
住む人も同じ、都にはいつもたくさんの人がいるけど、昔からいてる人は2~30人のうち一人か二人や」と・・・。
う~ん・・・空しいぞ~この世は空しすぎる・・・しかし、話はさらに加速していきます。
『朝(あした)に死に、夕(ゆうべ)に生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、うまれ死ぬる人、いづ方より来りて、いづ方へか去る。』
「朝に誰かが死んだら、夕方には誰かが生まれる・・・そんな世の習いは水の泡と同じや。
生まれては死んでゆく・・・人とはどこから来て、どこへ行くんやろう」
また、そんな人の世を、長明さんは花と露にたとえて・・・
『或ひは露落ちて花のこれり。のこるといへども朝日にかれぬ。
或ひは花しぼみて露なほ消えず、消えずといへども夕待つことなし』
「露が消えて花が残ったとしても、それも朝になったら枯れて、花がしぼんで露が残ったとしても、その露は夕方を待つ事なく消えてしまう」
あきませんで!長明はん!
これ、完全に更年期障害になってまんがな!
んん~っと、1155年生まれやとしたら・・・この時、57歳!
やっぱり更年期ですかね?
男の人もなるらしいですから・・・。
こうして悩みに悩み抜いた長明さん・・・。
結局、答えを見出せないまま筆を置く事になります。
まぁ、テーマが重すぎるっちゃ重すぎますから・・・。
『人を頼めば、身、他の有(いう)なり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。
世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。』
「人に頼ってばっかりやと自主性がなくなるし、人のために動いてばっかりやと縛られる。
世の中の常識通りにすればしんどいし、常識通りにしなければ“アイツ変わってんな”と言われる」
自問自答を繰り返しながらそれでも・・・
『今さびしきすまひ(住い)、ひとまのいほり(庵)、自らこれを愛す』
と、晩年は、四季の移り変わりや、鳥のさえずり、花の美しさを愛でる事のできる田舎生活をけっこう満喫していたようです。
人が訪れる事もないので争いごとも起こらず、自分にとっては心休まる住みかだとも言っています。
人から見たら簡素な住いだけれど・・・
『魚は水にあかず、魚にあらざればその心知らず。
閑居の気味も又おなじ。住まずして誰かさとらむ』
「水の中にいてる魚の気持ちは、魚にしかわからへん。
簡素な家も同じ・・・住んでみんとその良さはわかれへんのや」
そうですよ、長明さん。
空しい人の世を、楽しくするのは、その人の心・・・。
楽しいと思えば、人生楽しくなるんですよ!
・・・と、前向きな気分でないと、今日のブログは終われませんがな!
最後に『新古今和歌集』に収められた長明さんの歌をご紹介させていただきます。
♪石川や
せみの小河の 清ければ
月もながれを 尋ねてぞすむ♪
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