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2007年6月27日 (水)

銀閣寺が銀箔じゃないワケは?

 

文明十五年(1483年)6月27日、京都・東山にある銀閣寺が完成しました。

・・・・・・・・・・

今年の1月に「銀閣寺初の科学的調査の結果、銀閣寺には、(はがれてしまったとかではなく)最初から銀箔が貼られていなかった事が確定された」というニュースがありました。

・・・なので、今日は、「なんで銀閣寺なのに銀箔が貼られていないのか?」というお話と、よく比較される金閣寺との違いについて書かせていただきたいと思います。

実は、私も子供の頃、「銀閣寺は、金閣寺のマネをして建てたけれど、途中でお金がなくなって銀箔を貼れなかった」という話を聞いた記憶があるのですが・・・。

しかし、歴史を紐解いて行くと、上記のような科学的調査などする以前に、銀箔が貼られていない事、貼られる予定もなかった事がわかるのです。

まず、金閣寺は室町幕府の第3代将軍・足利義満が別荘として建てた「北山殿」を、義満の死後にお寺に改めたで、正式な名前は「鹿苑寺(ろくおんじ)と言います。

鹿苑寺というお寺の中に建っている舎利殿(お釈迦様の骨を祀った建物)が、あの金箔が貼られた「金閣」という建物です。

その金閣が、あまりに有名なために通称「金閣寺」と呼ばれているのです。

・・・なので、正式名称は「鹿苑寺・金閣

これ、一時は入試のヒッカケ問題の定番として出題された事で、今ではかなり有名になりました。

対して銀閣寺は、同じく室町幕府の第8代将軍・足利義政が、やはり別荘・隠居所として建てた「東山山荘」を、義政の死後にお寺に改めた物で、こちらの名前は「慈照寺(じしょうじ)と言います。

そして、この慈照寺の中の観音菩薩を祀る建物が有名な「銀閣」・・・と言いたい所ですが、実はこれも違うのです。

先ほどの入試問題の回答でも、そして書籍などでも、「鹿苑寺・金閣」に対して「慈照寺・銀閣」正式・・・などと紹介されたりもしていますが、実は、慈照寺の御殿の名称は「観音殿」と言います。

・・・なので、日頃「銀閣寺」として紹介されるあの有名な建物の正式名称は、「慈照寺・観音殿」という事になります。

つまり、「銀閣」という名前ですらないわけですから、銀箔が貼られるどころか、その予定もなかった事が、名前を見れば一目瞭然なのです。

二つの建物が、
同じ室町幕府の足利将軍による別荘・隠居所として建てられた建物である」という事
「室町時代に花開いたかたや北山文化、かたや東山文化を代表する建物である」

・・・という所からどうしても、比較対照してしまう事で、金閣に対して銀閣というニックネームをつけられたという状況・・・本来、この二つの建物はまったく別の建物なのです。

ただし、銀閣寺のパンフレットには、「東山慈照寺」としなからも、ド真ん中にデッカイ文字で「銀閣寺」と書かれていますので、銀閣寺と呼んでも怒られはしないと思います。

なので、ここから先も、ブログ内では、通称の銀閣で呼ばせていただきます。

ちなみに、金閣寺のパンフレットには「金閣寺」とは書かれていません。

もちろん、こちらも、怒られる事はないでしょうが、どうせなら「鹿苑寺・金閣」と記憶しといたほうが良いように思います。

もちろん、建物の様式も違います。

金閣は
第一層が寝殿造、
第二層が武家造、
第三層が中国風の禅宗仏殿造
の3階建てで、二層と三層に金箔が貼られています。

銀閣は、
下層が書院造、
上層が唐様仏殿
の2階建てとなっています。

Kinkakuginkakucc

室町幕府が上り調子で、全盛期だった義満の時代に花開いた北山文化(金閣)に比べて、応仁の乱が起こり、将軍の権威にも陰りが見え始めた義政の時代に花開いた東山文化(銀閣)は、深い余韻のある幽玄や趣のある静けさといった物を生み出します。

これらは、地方へ、そして、庶民へと普及し、現在の日本建築、日本庭園の基礎がこの東山文化にあります。

床の間や四畳半、襖、畳などというのも、この東山文化が基礎となっています。

質素な中にこそ美しさを求める「侘びさび」の精神を重んじるのが東山文化・・・なので、その代表格である銀閣寺に、派手な銀箔なんて、そもそも似合うわけないのです。

個人的主観が入っていますが、金閣と銀閣の違いを一言で言わせていただくと「はんなり」対「シブイ」と言った感じでしょうか・・・。

以前、【ことばの日】(5月18日参照>>)に書かせていただきましたが、「はんなり」は、関西弁で「心地よい派手さ」の事。(「ほんのり」と間違えないでね)

それに対する「カッコイイ地味さ」を、関西では「シブイ」と言います。

これはどちらも褒め言葉・・・どちらが「はんなり」でどちらが「シブイ」かは、おわかりでしょう。

・・・と、さっき、まったく別の建物だと言っておきながら、やっぱり対比してしまう・・・この心理こそが、慈照寺・観音殿が、通称・銀閣寺と呼ばれるようになった理由なんでしょうね。
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コメント

たしかに「慈照寺観音堂に銀箔が貼られた形跡がない」とのニュースを聞いた時は、当たり前やん!と思ったもんです。

僕が通っていた学校は禅宗系なので、慈照寺観音堂に銀箔が張られていない事実を口を酸っぱくするほど教わります。

和風建築のルーツとも言うべき建造物なのに、銀箔なんて…とう発想です。

あと、市バスに乗っていると英語のアナウンスで「kinkakuji temple」「ginkakuji temple」って聞くのですが、これってちょっと「んっ?」って思いませんか?(笑)

投稿: 御堂 | 2007年6月27日 (水) 01時51分

御堂さん、さっそくのコメントありがとうございます~。

私も1月のニュースを聞いた時はむしろ「よく銀閣寺が科学的検査をOKしたな」とすら思いました。
「最初から貼ってません!」と突っぱねても良い物を・・・。
お心が広いんだな~と感心したくらいです。

それと、バスのアナウンス・・・たしかに・・・(笑)

ちなみに、またまたパンフレットの話で恐縮ですが、パンフには銀閣寺は「Ginkakuzi Temple」で、金閣寺は「The Golden Pavilion・Rokuon-ji Temple」となってます。

やはり、金閣寺は英語でも金閣寺とは表記されてませんでした。

投稿: 茶々 | 2007年6月27日 (水) 02時28分


本日金閣、昨日銀閣行ってきました。
ヽ(´▽`)/
修学旅行の小・中学生や外国の方が沢山観光に訪れていて、どちらも日本を代表する建造物なんだなと思いました。
金閣は金ぴかではではでなのかしら、なんて考えながら見に行ったのですが、自己主張が強すぎず、ごてごて感もなく、優しい金の色だなと。
銀閣に銀箔は塗るもんじゃないですね。どう考えても似合わないと、生で見て思いました。(^-^;

投稿: ティッキー | 2012年10月 2日 (火) 22時27分

ティッキーさん、こんにちは~

おぉ、行って来られたのですか!!
そうですね。
金ピカなのに派手じゃない…
そこがスゴイところですね。

投稿: 茶々 | 2012年10月 3日 (水) 12時40分

つまんねえ

投稿: | 2015年1月30日 (金) 11時15分

…なのに、コメントを残していただいて、ありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2015年1月30日 (金) 13時44分

すごい…。

投稿: 名もない勇者kirito | 2015年4月 7日 (火) 15時31分

名もない勇者kiritoさん、こんにちは~

コメントありがとうございましたo(_ _)oペコッ

投稿: 茶々 | 2015年4月 7日 (火) 17時40分

こんにちは。
私は身長が2メートルありますが、性格は地味です。
それで渋い銀閣寺が好きです。
金閣寺はあまり好きで無いし、金箔は嫌いです。寧ろ銀が好きです。
ところで祖父の義満、伯父の義持、父の義教は絶対的な将軍で江戸時代でもあそこまで権力がある将軍はいません。それなのに義政はお飾りです。ここまで全然違うのも珍しいです。そのせいか義政は弱々しく感じます。銀閣寺で像を見ましたが、悟りきっていない坊主と感じました。それで日本人が義政、銀閣寺に親しみを感じますし、私は銀閣寺に来るとほっとします。

投稿: non | 2015年6月30日 (火) 17時42分

nonさん、こんばんは~

義政さんは、奥さんの方が強そうですね。

投稿: 茶々 | 2015年7月 1日 (水) 01時41分

茶々さん、こんにちは。
義政夫婦は最悪ですね。
もう少しまともだと庶民は楽だったと思います。西帝などが出現するのはもう極限まで極まった感じがします。
父の義教が殺されて以降はまともな政治を行う人間はいなくなりました。
そう言えば義教と一休は友達だったそうですが、将軍の子なのに、天皇の子なのに、坊主と言う境遇を慰めあったのかなと思いました。
それにしても室町時代は戦乱続きでしたが、文化は良いですね。
銀閣寺に行きますとほっとします。今のモナコ公の母のグレースケリーも金閣寺でなく銀閣寺を案内するべきだったと思います。

投稿: non | 2015年7月 1日 (水) 15時45分

nonさん、こんにちは~

東山文化は、現在まで続く、いわゆる和風の原点ですから…落ち着くはずですね。

投稿: 茶々 | 2015年7月 1日 (水) 16時55分

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