孫子の兵法12「火攻篇」
今日は、『風林火山・孫子の兵法』の『火攻篇』をお送りします。
・‥…━━━☆
『孫子曰く、およそ火攻に五あり』
孫子は「火攻めの種類は五種類ある」と言います。
- 人を焼く
- 蓄えた兵糧を焼く
- 輸送物資を焼く
- 倉庫を焼く
- 陣営を焼く
この5つで、発火装置などの準備はもちろん。
時期も重要だと言っています。
その時期は、「箕(き・みぼし)」「壁(へき・まめぼし)」「翼(よく・たすきぼし)」「軫(しん・みつうちぼし)」(←これらは星座の名前です)に、月がかかる空気の乾燥した時期。
なぜなら、これらの星座が月にかかる時は、必ず風が吹き荒れるから・・・だそうです。
一瞬、占いの神頼みのようにも思えますが、これは下駄を投げて明日の天気を占うのは違う、れっきとした統計学・・・星の動きを見て、暦を計算した、どちらかと言えば天気予報に近い物です。
「箕」「壁」「翼」「軫」というのは、古代中国で、天体の位置や動きを知るために考え出された『二十八宿』という天体観測方法に用いられる星座の中の4宿です。
まず、天を東西南北の四つの方向の分け、東は蒼龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武の四神(四つの聖獣がそれぞれの方角を守っている)をあてはめ、それぞれの方角をさらに七分割・・・で、全部合わせて二十八宿。
それぞれの方角にある星座を使って方向を見るワケです。
この28の星座を使って、天体観測をして暦を計算する方法は日本にも伝わり、高松塚古墳の石室内の天井にも、この天体図が書かれています。
↓こちらは、高松塚古墳の天体図・・・二十八宿についてはいつかくわしく書きたい
孫子ご指定の星座には、ピンクの↑付けました~。
さらに、陰陽道や風水にも使用され、平城京や平安京、果ては江戸の町まで、東西南北の四神に守ってもらえるように設計されていて、平城京や平安京の南の門を『朱雀門』と呼ぶのも、この四神に由来する物です。
話が『四神』の方にそれちゃいましたが、とにかく、あてずっぽうではなく、理にかなった火事の起きやすい日を狙ってる・・・って事です。
ただし、統計学は確率なので、あくまで、100%ではありませんが・・・。
それは、現在の天気予報も同じ事です。
そして、火攻篇は、それぞれの場面に対する臨機応変な攻撃の仕方へと移ります。
『およそ火攻は、五火の変に因りてこれに応ず』
火攻めの時の攻撃法に関して「五種類の場面がある」としています。
- 敵陣に火の手があがった時・・・外側から素早く攻撃して追い討ちをかける。
- 火の手があがっても敵陣が静まりかえっている時・・・そのまま待機して様子を観察し、攻め時を見極め、チャンスが無ければ攻め込まない。
- 敵陣の外側から火を放つ事が可能な時・・・内応者(敵に潜入している味方)の放つ火の手を待つ事なく、チャンスがあるのなら、外側から火を放つ。
- 風上に火の手があがった時・・・風下から攻撃してはならない。
- 昼間の風は長く続くが、夜の風はすぐにやむので、その点に注意しなければならない。
以上、の事に充分と配慮して臨機応変に攻撃法を考えなければならないのです。
孫子は火攻めと対照させるように水攻めについても書いています。
『火を以って攻を佐(たす)くる者は明なり。水を持って攻を佐する者は強なり。』
「水攻めは火攻めと同じくらい有効である」と・・・。
ただし、水攻めの場合は、あくまで敵の補給路を断つ事に専念すべきで、決して、すでに蓄えてある物資を奪おうとしてはなならい・・・としています。
さて、今までは何やら、火攻め・水攻めと現代人の私たちには、あまり関係のないような話題でしたが、最後に、現在でも応用可能な重要な語句が登場します。
『戦勝攻取してその功を修めざるは凶なり』
「たとえ戦争に勝っても、その目的を達成できなければ、負けたのと同じである」
戦争という物は戦うために戦っているわけではありません。
何らかの目的があって戦いに挑んでいるわけですから、その目的が達成できなければ意味がありません。
ですから、有能な大将は・・・
『利にあらざれは動かず、得にあらざれば用いず、危にあらざれば戦わず』
「有利な状況でなければ動かず、必勝の作戦しか用いず、よほどの事が無い限り戦わない」
そして・・・
『怒りを以って師を興すべからず・・・憤(いきどお)りを以って戦いを致すべからず。利に合して動き、利に合せずして止む』
「怒りにまかせて軍事行動を起こしてはいけません。有利だと思えば行動し、不利だと見れば撤退する。」
人間、どうしても感情が先立ってしまいます。
また、勢いにまかせて突っ込んでしまう、という事もあります。
そういう場合、撤退すると臆病者呼ばわりされる事だってあります。
先日、このブログに書かせていただいた【キスカ撤退作戦】(7月29日参照>>)においても、霧の晴れ間を見て撤退した木村司令官は「臆病者」というレッテルを貼られ、かなりの批判を受けたと言います。
しかし、結果的に見れば、その勇気ある撤退が、キスカ島の守備隊の命も、そして木村司令官自身の命も救う事になったわけですから・・・。
孫子は言います。
『怒りは以って複(ま)た喜ぶべく、憤りは以って複た悦(よろこ)ぶべきも、亡国は以って複た存すべからず、死者は以って複た生くべからず』
「怒りやいきどおりは、時が経てばいつか喜びに変わるけれど、亡くした国や死んだ人は、もう戻っては来ないのだ」と・・・。
大将(長)たる者、この事を肝に銘じてこそ、国が安定し、人が力を発揮できるものなのです。
反対者をクビにして刺客まで放っておきながら、ほとぼり冷めたら復帰させて「まずは、お帰りなさい」なんて言ってたら、そりゃ票も取れないって・・・。
あっ!そうか・・・途中で長が変わったから仕方ないのか~・・・て、もうちょっとうまい方法を考えないとね。
・・・て、事で今回は、孫子の兵法『火攻篇』をご紹介しました~。
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★続編はコチラ→『孫子の兵法・最終章・用間篇』>>
ブログにupした個々の記事を、本家ホームページで【孫子の兵法・金言集】>>としてまとめています・・・よろしければご覧あれ!(別窓で開きます)
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