異常気象と富士山信仰
1615年7月9日=旧暦で慶長二十年6月1日、江戸一帯に雪が降るという異常現象がありました。
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現在、気象庁に残る正式な観測記録での、最も遅い時期に降った雪は、昭和十六年(1941年)6月8日の北海道・根室での観測記録です。
太平洋戦争の勃発した年ですね・・・何やら因縁めいた物を感じてしまいますね~。
異常気象というと、本来は科学で割り切れる物。
きっと、どこかにその原因となる物があるはずなんですが、今現在でも、異常気象というと、つい悪い出来事と結びつけてしまいますね。
この科学が発達した現代でもそうなんですから、江戸の人々は、「驚いた」というより「恐怖」を感じた事でしょうね。
旧暦では、慶長二十年6月1日・・・
新暦になおすと、1615年の7月9日ですから、まさに今の・・・夏のこの時期に、江戸一帯に雪が降ったというのですから・・・・。
1ヶ月前の5月の始め(新暦では6月4日)、あの大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした(5月8日参照)ばかりの徳川幕府・・・夏の陣のページにも書いたように、この頃にはすでに、豊臣秀頼生存の噂もチラホラ出始めた頃。
さすがの徳川幕府のサムライも、大江戸の町民たちも、恐怖におののいた事でしょう。
それを裏付けるかのように、すぐさま本郷(東京都文京区)に富士神社が建立され、毎年6月1日に例祭が行われるようになったのです。
雪が降ったから、富士神社・・・
天変地異と富士山信仰・・・
実は、「富士山の神様は女神なので、女性が富士山に登ると天変地異が起こる」という伝説があって、長い間、富士山は女人禁制だったわけで・・・
天変地異が起こる→富士山の神様怒ってる→鎮めるために富士山に参拝しなくちゃ→でも、江戸から遠くていけないわ→富士神社建立という事なのでしょうね。
その富士山の女神というのは、天孫降臨のニニギノミコト(邇邇芸命・瓊瓊杵尊)と結婚するコノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売・木花開耶媛)。
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ある日、サクヤヒメが日向の国の海岸を歩いていた時、ニニギノミコトがその美しさに一目ぼれ。
そして、いきなり「ボクは君を妻にして、一緒に寝たいんだけど、どう?」と、直球にも程がある誘い方で彼女に猛アタック!
「あの・・・お父さんに聞いてみないと・・・」とサクヤヒメ。
(そりゃぁ、そうやろ!いきなりOKするワケないがな!)
・・・で、早速、世の男性諸君が、皆、経験する緊張の一瞬。
「娘さんを、ボクにください」
と、父親のオオヤマツミノカミ(大山津見神・大山祇神)にご挨拶に行ったところ、メッチャ喜んだオオヤマツミさんは、「姉のイワナガヒメ(石長比売・磐長姫)も・・・」と、姉妹ふたりともをお嫁さんに出しちゃいます。
(バーターにされたイワナガヒメが気の毒だ)
しかし、このイワナガヒメがメチャメチャブサイクだったため、ミコトはサクヤヒメだけをそばに置いて、イワナガヒメを実家に送り返してしまいます。
実は、イワナガヒメにはその名が示す通り、岩のように頑丈に末永くという意味が込められていました。
しかし、そのイワナガヒメを返し、サクヤヒメだけを手元に置いたニニギノミコト。
イワハガヒメは「あなたの子孫は、きっと花が散るようにはかない命になる事でしょう」
と、捨てゼリフを残して去って行きます。
かたや、サクヤヒメは一夜にして妊娠し、即日出産のきざし・・・。
当然のごとく
「それ、オレの子とちゃうんちゃうん?」
と疑うミコトに、
「そんな疑うんやったら、、ウチが出産する時、産屋に火つけたらええがな!ホンマモンの神の子やったら、焼けんと無事に生まれて来るさかい。ウチの潔白、証明したるっちゅーねん!」
と、いきまくサクヤヒメ。
はたして姫は、ホデリノミコト(火照命)、ホスセリのミコト(火須勢理命)、ホヲリノミコト(火遠理命)の三人子供を、無事に出産します。
長男のホデリノミコトは海幸彦、末っ子のホヲリノミコトは山幸彦で、このお二人の昔話(2月8日参照>>)は有名ですね。
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・・・と、記紀神話ではこんな風に登場するコノハナサクヤヒメ・・・
山の神であるオオヤマツミの娘である事。
美しい姿かたち。
出産の時に火を鎮めた。
・・・というところのイメージから、富士山の神様となったのです。
「富士山を崇拝する」という信仰は、あの修験道の始祖・役小角(えんのおづね)(5月24日参照>>)が始めたとされていますが、本格的になったのは中世の頃からで、室町時代の末期・戦国時代の頃から登山が盛んなり、東国一帯に、その信仰が広がっていきました。
まずは、麓と山頂にサクヤヒメを祀る神社が建てられ、浅間(あさま)大神として崇拝されるようになります。
「あさま」という言葉は信州の浅間山、伊勢の朝熊(あさま)山に代表されるように火山と何かしらの関係のある言葉。
それが、後に仏教の浅間菩薩(せんげんぼさつ)と一緒になって、いつしか浅間(せんげん)神社と呼ばれるようになります。
しかし、盛んになった富士登山ですが、富士山は日本一高い山ですし、先ほども書いたように江戸からはけっこうな距離で、登山するには7日ほどかかり、しかも途中には、厳しい箱根の関所があります。
関所を越える通行手形も、申請すれば誰にでも出してくれるという物でもありませんから、一生に何度も行けるものでもありません。
それで、冒頭の雪の日以降も、ますます盛んになる富士山信仰で、「登りたいけど登れない」という人のために、江戸市中に浅間社を建てて、境内には富士山の溶岩でミニチュア富士山を造って、その小山に登れば参拝したと同じ事とされたのです。
江戸の各地に造られたミニ富士山では、旧暦の6月1日に白衣に身を包み、金剛杖をついて、「六根清浄」と唱えながら、小山に登って登拝したのです。
今では、地球は、最初の大きな氷河期の後、小さな氷河期と小さな温暖期を繰り返しているのだという仮説が囁かれていて、縄文時代の半ば頃から弥生時代頃までは寒冷期で、その後、卑弥呼の邪馬台国の頃から大和朝廷の支配が進む西暦500年頃までは温暖期・・・
そこから、大宝律令が制定される西暦700年頃までは再び寒冷期で、次ぎの奈良時代・平安時代・鎌倉時代と温暖期が続き、その後、室町時代の1400年前後から小氷期に入って、その寒い期間が昭和の初め頃まで続く・・・(7月3日参照>>)
つまり、この江戸の始めは小氷期の真っただ中だったとの考えもあるとか・・・
今日のイラストは、
やはり『木花之佐久夜毘売』で・・・
やっぱ、一目見て「寝てみたい」と思うんだから、色っぽくないと・・・と思って色っぽく書いてみました~。
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コメント
いいですねえ。咲くお姫さまだからやはり、春爛漫の豊穣の女神なんでしょうね。
春は木の芽どき~♪ですから、やはり、色っぽい女神様に登場してもらわなければ・・♪
投稿: 乱読おばさん | 2007年7月 9日 (月) 15時42分
日本書紀では、サクヤヒメが選んだ稲田の稲で特別なお酒を醸す・・・というのが出てきますから、やっぱり「豊穣の女神」っていう意味もあるんでしょうね。
投稿: 茶々 | 2007年7月 9日 (月) 17時26分
こんばんは。
今朝のラジオで聞いた話。
富士山信仰のお守りの版木が、発見されました。それを記念して、Tシャツが作られました。コノハナサクヤ姫や猿が拝んでいる絵柄です。
http://www.jonobo.jp/pineapple1
投稿: やぶひび | 2010年5月 4日 (火) 22時58分
やぶひびさん、こんばんは~
今年は異常気象なので、やっぱり富士山信仰がハヤるのでしょうかね
投稿: 茶々 | 2010年5月 5日 (水) 03時05分
西都原古墳群に男狭穂塚・女狭穂塚があって最近(2005年)レーダーを使い地中に埋もれている部分の形状などを調べた結果が公表されています。
http://www.pmiyazaki.com/saitobaru_om/
男狭穂塚は日本神話で、高天原から高千穂の峰に降り立ったニニギノミコトの墓、女狭穂塚はニニギノミコトが西都の地で出会って妻としたコノハナサクヤヒメの墓と伝承されていて、地元では毎年お祭りをしていますが、中は見れないので実は名前だけしか知らなかったというのが本当です。
西都古墳祭り
http://www.youtube.com/watch?v=yZ5LUeDry8M
都萬神社(つま神社)
コノハナサクヤヒメを祀る神社があり、意味がわからなくてもコノハナサクヤヒメの名前は小さい子供でも地元ではよく知っていて親しまれています。
西都原の紹介でした。
投稿: さちが丘 | 2011年4月30日 (土) 17時58分
さちが丘さん、こんばんは~
色々とご紹介、ありがとうございました。
投稿: 茶々 | 2011年4月30日 (土) 18時43分
1615年といえば、テムズ川が凍ったりした時期ですね。この時期は太陽活動が極小だったといわれています。
17~19世紀前半は「小氷期」などとよくいわれますが、いまwikipediaを見ましたら「小氷期はなかった」と主張する人もいると書いてありました。
気象現象そのものが複雑で予測しがたい上に、学者のあいだでも政治的利害がからむのか温暖化肯定派と否定派の論争はますます平行線をたどるようであります。
異常気象のメカニズムはいろいろと解明されているようですが、どこで何が起こるかまでは予測できません。
色気のないコメントですみません。
投稿: りくにす | 2012年6月30日 (土) 12時00分
りくにすさん、こんにちは~
りくにすさんのコメントのおかげで、以前書いた温暖化の記事を思い出し、リンクを追記させていただきました。
ありがとうございました。
投稿: 茶々 | 2012年6月30日 (土) 14時44分
きょう、富士山の世界遺産登録がかないました。
コノハナサクヤヒメですが、私は植物神だと思ってきましたが、どうやら火山の神だったようです。そうなるとイワナガヒメとは何者なのでしょう。
イワナガヒメを拒んだことで、この国には安定した地盤というものがなくなったのかもしれません。おかげでどこに原発を建てても下に活断層が…火山があると災害もありますが土地にミネラルが供給されて肥沃になります。…勝手な解釈ですが。
ところで日本神話の舞台としては富士山は東過ぎる気がします。そんなことでいちゃもんつけてはいけないのでしょうけど。
投稿: りくにす | 2013年6月22日 (土) 19時30分
りくにすさん、こんばんは~
やはり、神話の舞台は九州でしょうね。
コノハナサクヤヒメと富士山が結びつくのは、やはり、ずっと後の事でしょう。
投稿: 茶々 | 2013年6月23日 (日) 01時43分