鳥取城攻防戦~秀吉の兵糧攻め
天正九年(1581年)7月12日、毛利方が篭もる鳥取城を、羽柴秀吉率いる織田軍・中国地方担当が包囲しました。
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織田信長の命によって、中国地方を攻略していた羽柴(豊臣)秀吉。
天正六年(1578年)3月から、二年近くの歳月をかけて、やっと落とした別所長治の居城・三木城(兵庫県)(3月29日参照>>)。
その三木城を攻略しつつ、秀吉は但馬(兵庫県・北部)や因幡(鳥取県・東部)の平定を続けていました。
三木城の攻略にメドがついた頃、秀吉は、当時の鳥取城主だった山名豊国に、「因幡一国の領地を保証するから織田方に加わらないか?」という誘いをかけていたのです。
山名豊国は、あの応仁の乱で西軍の将だった山名宗全(3月18日参照>>)の子孫・・・かつては、山陰十数国をその手に治め、日本を東西真っ二つに分けた大乱を指揮した名門も、今はその面影はありません。
自らの力を見て取った豊国は、あっさりと織田方に組みする事を承諾しようとしますが、山名の重臣たちは、そんな豊国の意見に猛反対!
城の明渡しを阻止すべく、毛利方の吉川元春(毛利元就の次男)に救援を求めます。
毛利にとっても、落ちぶれたとは言え、かつて権勢を振るった名門・山名氏が織田方に下ったとなれば、中国地方の情勢にどのような影響があるかわかりませんから、見過ごすわけにはいきません。
早速、天正九年(1581年)の3月、元春は毛利方の吉川経家を鳥取城に差し向け、新たな城主となった経家は、支城・丸山城を構築し、防衛を強化・・・徹底抗戦の構えを見せます。
鳥取城が毛利方に属したと知った秀吉は、自分の配下と知られないように家臣を商人に化けさせたり、あるいは商人自身を丸め込んで、「京が米不足なので高値でも良いから譲ってくれ」と、鳥取城内の米を相場の数倍の値段で買い集めさせます。
もちろん、秀吉の作戦だとは知らない城内の武士たちは、今、現在、防衛強化の軍資金が必要なのと、秋になったら年貢が入って来るだろうという安心感から、一部を除いてほとんどの備蓄していた米を売ってしまいました。
かくして、秋の収穫が始まる前に、秀吉は姫路城を出撃・・・天正九年(1581年)7月12日に、鳥取・丸山の二城を包囲を完了するのです。
城を囲む秀吉の軍勢は3万。
この囲みは、他に類を見ない厳重な物でした。
それは、城と毛利との連絡を遮断するため・・・特に兵糧なんぞ運び込まれては、せっかくの事前の米買占めが意味をなさなくなってしまいますからね。
一方の鳥取城を守るのは、山名の旧臣と経家の軍勢・2千程度。
しかも、そのうちの5分の1程を、雁金山の砦の防衛に派遣していましたが、秀吉が鳥取城を包囲した時点では、すでにその砦は落ちてしまっていました。
もちろん、鳥取城内はすぐに兵糧不足となりますが、毛利方も鳥取城の兵糧不足は、聞かなくても予想できますから、自慢の水軍を要して、海上からの兵糧運び込み作戦を決行・・・文字通りの助け舟を出します。
しかし、秀吉にとってはそれも計算済み。
海上には、秀吉配下の水軍を配備し、毛利の水軍を撃破してしまいます。
それでも経家は「何とか冬を越せば、毛利の援軍が来てどうにかなる」と思っていたのですが、日に日に兵糧の欠乏は目を覆う状態となっていきます。
経家の父・経安の日記には、
『或るは牛馬を食とし、或るは人を服す』
とあります。
しかし、そんな中でも秀吉側は、弟・羽柴秀長に但馬を攻略させるという余裕。
やがて、10月下旬になって、いよいよ、これ以上の籠城は不可能と判断した経家は、10月24日、秀吉に城の開城を申し出ます。
開城が決定した時、秀吉は、経家を毛利との交渉カードとして使うつもりでしたが、経家本人が自刃を強く希望したため、翌10月25日に切腹・・・4ヶ月近くに及んだ鳥取城攻防戦は、終結を迎えました。
助け出された末端の兵士たちは衰弱のため、自力で立ち上がれないほどだったと言います。
鳥取城を手に入れた事で、当然、毛利はその勢力圏を後退させられ、これからの合戦の舞台は、さらに西の備前(岡山県・東南部)や備中(岡山県・西部)へと移動する事になります。
今日のイラストは・・・・
と、そう言えば、このブログに度々登場する秀吉さんのイラストを、まだ書いたことがないですね~。
でも、秀吉さんと言えばどうしても天下を取ってからのオッサンのイメージしか湧かなくて・・・どうせ書くなら若くてカッコ良く書きたいし・・・
・・・て、事でイメージが湧くまでご本人のイラストはパス!
今日は、京都の高台寺にある『秀吉さんの陣羽織の模様』をデザインさせていただきました~
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