城攻めの天才・秀吉VS北条お得意の籠城作戦
天正十八年(1590年)7月5日、小田原城で籠城していた北条氏政・氏直親子が、豊臣秀吉に降伏を申し出ました。
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天正十三年に四国を、天正十五年に九州の制圧を終えた豊臣秀吉・・・これで、西日本はすべて勢力下に治めた事になります。
それでも、すぐに攻める事はせず、相模(神奈川県)一帯を治める後北条氏の当主・北条氏直が上洛し、「秀吉の傘下に収まる」と表明する事を待っていた秀吉でした。
しかし、そんな中、北条の領土の中にポツンとある真田昌幸の上野名胡桃(なぐるみ)城を北条方の猪俣邦憲(くにのり)が攻めた(10月23日参照>>)事をきっかけに、秀吉は北条討伐=小田原征伐を決意し、天正十八年(1590年)の3月、20万という大軍を率いて出陣するのです。
3月29日に、駿河山中城(参照>>)
4月20日に、上野松井田城(参照>>)
5月22日に、武蔵岩付城
6月14日に、武蔵鉢形城(参照>>)
6月24日に、伊豆韮山(にらやま)城(参照>>)
・・・と、北条の支城を次々と落としていく一方で、4月初旬から本拠地・小田原城の包囲を開始し(4月3日参照>>)、すぐ近くの石垣山に攻撃用の城を構築(6月26日参照>>)しています。
ここまで、短時間に次々と北条の支城を落とせたのには、もちろん秀吉の巧みな作戦や攻撃の手腕もあったでしょうが、北条は北条で、「防御体制を本拠地の小田原城一点に絞っていた」という事も影響しているでしょう。
小田原城は広大な城郭を持つ強固な城・・・北条は、今まで何度もこの城に籠城し、勝利を収めていました。
北条にとって、この小田原城での、籠城作戦は得意中の得意だったのです。
以前、上杉謙信に攻められた時も、1ヶ月以上にわたって耐え抜きました。
武田信玄に包囲された時も、この城は落ちる事はありませんでした。
その都度北条は、この強固な城に篭もり、敵の補給路をかく乱し、敵が兵糧に苦しんで撤退すると、即座に失地を回復するという作戦で勝利を収めていました。
今回も、城に新たな修復を行い、15歳から60歳の百姓・商人・職人など領民を総動員して軍備を整え、領内の支城の城主を小田原城に集め、この城の防衛に主力を注いでいたのです。
しかし、残念ながら、今度ばかりは上杉や武田を追い返した時のようにはいきませんでした。
北条のお得意が籠城なら、秀吉のお得意は城攻め・・・このブログでシリーズ的にご紹介している『孫子の兵法』(4月19日参照>>)でも、強調して語られる「城攻めの難しさ」。
しかし、そんな難しい城攻めを、秀吉は、その知恵と金を使って、直接攻撃する事なく、見事に攻め落とすのです。
鳥取城(7月12日参照>>)では、城攻めにかかる前に、近江や敦賀の商人を使って、「京が米不足なんで、相場より高く買わせていただきますから、どうぞ譲ってください」と、城内の米をごっそりと買い集めさせておいて、その後、兵糧攻めを開始し、4ヶ月で城を落としています。
備中(岡山県)高松城を水責め(4月27日参照>>)にした時も、堤防構築に多額の報酬を支払って近隣の農民を手伝わせています。
兵だけでの作業なら、かなりの時間がかかったでしょうし、農民を強制的にかりたてても、積極的には協力してはくれませんから、これまた短時間での構築には至らなかったでしょう。
そんな城攻めの天才は、今回の小田原城攻めでは、直属の九鬼水軍だけでなく、毛利の水軍も動員して、まず、海上の補給路を遮断します。
そして、各地の20万石の蔵入り米を、駿河の清水港に集めて、敵側に回さないと同時に自軍の兵糧を確保します。
さらに、黄金10万両で、伊勢から駿河にかけての東海諸国の市場の米を買占めました。
さぁ、どうする?北条・・・
これでは、籠城ではなく、幽閉・・・城に閉じ込められてしまったような物です。
小田原城内では、支城主たちを集めて、延々と会議が繰り返されます。
いつまで経っても結論が出ない長~い話し合いを『小田原評定』と呼ぶのは、この時の小田原城内の会議に由来するもの・・・。
天下の軍勢プラス兵糧を確保した秀吉に対して、いくら話し合っても名案が出るはずもありません。
やがて、一人・・・また一人と投降者が出始め、城内の士気も下がりっぱなしです。
そして、ついに天正十八年(1590年)7月5日、氏政・氏直父子が降伏を申し出たのです。
氏政と氏輝(氏政の弟)が7月11日に城下で自刃し、小田原城は開城されました(2008年7月5日参照>>)。
当主・氏直と、氏規(氏政の弟)は高野山へ追放され、ここに北条早雲(8月15日参照>>)に始まった後北条氏は五代で滅亡する事になりました。
この後、秀吉は、そのまま奥州へと向かいます(11月24日参照>>)。
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