万葉集1番の雄略天皇のお話
雄略天皇二十三年(479年)8月7日は、第21代・雄略天皇が崩御された日・・・という事で、今日は雄略天皇のお話を・・・
・・・・・・・・・・・・
タイトルにありますように、あの『万葉集』の一番最初に収められているのが、今日のお話の雄略天皇の歌。
万葉集はだいたい年代順に並んでいると言いますが、450年代に詠まれたという雄略天皇の歌から、次の舒明天皇の630年代に詠まれた歌まで、200年近くも開きがあるのはなんでだろう?という疑問が湧きつつも、とりあえずその歌をご紹介しておきますと・・・
♪籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ
み堀串持ち この岡に
菜摘ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね
そらみつ 大和の国は おしなべて吾こそ居れ
しきなべて吾こそ居べ 吾こそは告らめ 家も名をも♪
「そこの、草を摘んでるキミ・・・名前を教えてよ!
この国は、ボクが治めてる。ボクはこの国の王なんだ!
ほら、ボクが自己紹介したんだから、今度はキミがどこの誰か名乗る番だぞ!」
・・・って、ナンパかい!
あの由緒ただしき古典の中の古典『万葉集』の第一番目の歌がナンパする歌とは・・・
しかも、この声のかけ方・・・
口が裂けても「NO!」とは言えない雰囲気です。
この時代、女性が家族以外の人に自分の名前を教える事はご法度で、もし、男が名乗って来て、女が名前を告げたら、それは「家族になる=結婚OK!」っていう意思表示になりますが・・・やっぱ、逃れられないでしょうね~
この大胆な王は、天皇に即位した時も、この上なく大胆です。
兄である先代の安康天皇が眉輪王(まよわのおおきみ)に刺殺されたと聞くや、即座に行動を開始!
そして、兄の八釣白彦皇子(やつのしろひこのみこ)や坂合黒彦皇子(さかあいのくろひこのみこ)がその事件に関与していると見るや、八釣白彦皇子を斬り殺し、坂合黒彦皇子と眉輪王を焼き殺します。
しかし、安康天皇が、生前、彼らの従兄弟である「市辺押磐皇子(いちばのおしはのみこ)を後継者にしたい」と言っていた事を知っていた彼・・・「このままでは、次期天皇の座は回って来ない」と、市辺押磐皇子を大胆にも狩りに誘い出し、持っていた矢で射殺・・・だまし討ちします。
そうやって、すべての邪魔者を消し去って、見事、第21代天皇の座を勝ち取った雄略天皇・・・彼が生まれた時は、宮殿中に光が満ち溢れたという逸話は、そんな事しなくても皇位につけたって事じゃぁないのかい?
そんな、大胆を通り越した彼の暴挙はまだあります。
彼が、目をつけた百済の姫・池津媛(いけつひめ)を、宮中に迎え入れようという時、臣下の石川楯(いしかわのたて)と彼女が、すでにデキちゃってると知った途端、二人を焼き殺すという行動に・・・。
また、狩りに出た時、従者が自分の質問に答えなかった事に腹を立て、その者を斬り殺したと言います。
そんなこんなで、『大悪天皇』なるニックネームを持つ彼・・・。
そんな人にさっきの歌なんぞ歌われたひにゃ、身も凍る思いです~。
しかし、彼はもう一つ『有徳天皇』なるニックネームも持っているのです。
各地に分散した養蚕業を、桑の生育に適した地を調べ、その一箇所に集める事によって、絹の生産効率を高め、経済の発展に尽くしたのです。
その時、天皇の「蚕(こ)を集めよ」という命令を聞いた臣下の者が、最初、間違って子供をたくさん集めてきた様子を見て、天皇は「ちゃうちゃう!」と笑ったと言いますが、先ほどの暴挙からは別人のような光景です。
埼玉県・稲荷山古墳から出土した鉄剣には、『獲加多支鹵(わかたける)大王』の銘があり、当時、大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)と呼ばれていた雄略天皇の事であるとされ、畿内だけではなく、日本の国土を統一した最強の王との評価も得ています。
また、中国の『宋書(そうじょ)・倭国伝』に登場する、昇明二年に、宋の皇帝・順帝から、倭・新羅・任那(みまな)・加羅(から)・秦韓(しんかん)・慕韓(ぼかん)の六国の軍事を引き受ける『安東大将軍倭王』に任命される倭国の「武」という王が雄略天皇であるとも言われています。
こんな二面性を持つ彼は、ひょっとしたら何人かの人物の複合体なのかも知れませんが、何らかの形で実在していた事は確かでしょう。
彼は、死の2年前、丹波の国に祀られていた豊受大神(とようけのおおかみ)を、伊勢の地に遷し、天照大神(あまてらすおおみかみ)の食物の神として祀る・・・という事を行っていますが、これが、伊勢神宮の外宮の起源です。
雄略天皇二十三年(479年)7月、病に倒れた彼は皇太子に後をまかせます。
そして、翌月の8月7日、見守る臣下者たちに別れの言葉を言い、その手を握りながら崩御されたと言います。
ただ、やはり大いなる王が心配した通り、その皇太子の即位は、すんなりとはいかなかったのですが・・・そのお話は、2010年8月8日【天皇の後継者を偶然発見!顕宗天皇と仁賢天皇】でどうぞ>>
.
「 神代・古墳時代」カテゴリの記事
- 三種の神器のお話(2012.11.02)
- 「漢委奴國王」の金印の謎多きお話(2012.02.23)
- 農耕のはじまり~『御事始め』から連想(2012.02.08)
- 謎多き継体天皇(2012.02.07)
- 綏靖天皇・即位~記紀の「弟優先の法則」(2012.01.08)
コメント