幕末・横浜・フランス兵殺人事件
今日のお話は、慶応二年(1866年)夏・・・て事しかわからないので、とりあえず、夏真っ盛りの今日、書かせていただく事にします。
(もし、日付をご存知のかたがおられましたら、教えてくださいませ)
・・・・・・・・・・
慶応二年(1866年)と言えば、1月に、あの犬猿の仲だった薩摩と長州が同盟を結び(1月21日参照>>)、日本が一気に動き出す年・・・翌年には、あの大政奉還(10月14日参照>>)と王政復古の大号令(12月9日参照>>)が待つ、とにかく、ややこしい時代です。
そんな年の夏、横浜で一つの事件が起こります。
当時、横浜に停泊していたフランス艦隊の乗組員(当然フランス人です)数名と、横浜市内のとび職数名とが、白昼、路上で、何が気に入らなかったのか、ケンカをおっぱじめてしまいます。
そこへ、巡業に来ていた力士・鹿毛山(かげやま)が介入・・・
もちろん鹿毛山も、最初は止めに入るつもりでしたが、それはそこ、まだ、江戸の色が消えない時代・・・庶民にはわけのわからない条約で、開国となり、わがもの顔で、街中を闊歩する外国人に、抵抗を覚える人も多い時代です。
しかも、まだ4年前の薩摩とイギリスの一戦(7月2日参照>>)の記憶も生々しく、力士だって、どうしても、日本人の味方をしてしまいます。
その体格と、力にモノを言わせて、揉みあいになってるのを引き離すついでに、バッタバッタとフランス兵を投げ飛ばし、その勢いを見るとび職たちの士気も、跳ね上がり、もう、ムチャクチャの状態・・・。
しかし、なんだかんだ言っても、揉みあってるだけなら良かったのですが、一人の亀吉なるとび職が、その勢いのまま、近くにいたフランス兵に飛びかかり、その首に、手に持っていた「とび口」をグサリ!
フランス兵はその場で即死してしまいます。
こうなったら、国際問題・・・まさに4年前の生麦事件(8月21日参照>>)です。
フランス公使・レオン・ロッシュは、「力士の死刑と殺人者本人の斬刑、そして見舞金・70万両」を要求します。
幕府は困惑し、世間は大騒ぎ・・・。
先ほども書いたように、まだまだ外国人への抵抗が大きいこの時代・・・市民はこぞって、この要求を呑む事を反対します。
そんな時、立ち上がったのが、ミナト・ヨコハマで活動していたラシャメンさんたち。
ラシャメンとは、外国人を相手にする娼婦の事(当時は、売春は禁止ではないので・・・)。
その頃、横浜には150名ほどのラシャメンがいたと言われていますが、彼女たちは、日頃から定期的に外国人の居住地に通って商売をしていたのです。
なんせ、外国人は、条約によって居住地の外へは出られませんから、そのような女性が必要な血気盛んな男性諸君は、彼女たちが居住地へ出張する事によって、日頃の欲求を解消していたワケです。
・・・で、彼女たちラシャメンは、抗議の意味を込めて、一斉に出張を拒否!したのです。
彼女たちのスト決行に、居住地の男たちは慌てる慌てる・・・居住地全体が騒然とした雰囲気に包まれます。
(そんなに大事なんや~)
そして、幕府が何も言っていないにもかかわらず、居住地の外国人たち自らが、自らロッシュを説得。
先ほどの要求を、「殺人者本人のみの死刑」の1項目に改めさせます。
(さすがに、亀吉さんは殺人を犯した本人ですから、許されはしません。)
やがて、亀吉が処刑となるその日・・・
横浜のラシャメンたちは、そろいの手古舞い姿に身を包み、処刑場の暗闇坂まで、音頭を歌いながら見送ったと言います。
なにやら、上の方のおエライ方々や勤皇の志士と呼ばれる人たちだけで、国が動いてたような感があるこの時代・・・名もなき庶民の一端を見たような気がするお話でした。
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コメント
フランス兵殺傷事件は知ってましたがラシャメンがこんな絡み方をしたのは始めてしりました!
泣けますね。
投稿: システム | 2007年8月13日 (月) 03時00分
システム様・・・
コメントありがとうございます。
歴史の教科書には出てこないお話ですが、事件のウラに、変わり行く日本への庶民のささやかな抵抗を感じる気がして、私も泣けました。
投稿: 茶々 | 2007年8月13日 (月) 05時07分