史上最強!崇徳天皇・怨霊伝説
長寛二年(1164年)8月26日は、第75代・崇徳(すとく)天皇のご命日です。
・・・・・・・・・・
『小倉百人一首』第77番目の歌・・・。
♪瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢わんとぞ思ふ♪
「流れの速い川の水が、岩にはばまれ分かれてしまっても、やがては同じ流れに戻るように、今は離ればなれになる二人だけれど、いつか、また、会える時が来るよ」
これは、崇徳天皇の歌・・・私は、この歌が大好きです。
「好き」という言葉も「恋しい」という言葉も、まして「愛してる」など、ひと言も言ってはいないのに、相手の事がものすご~く好きなのがひしひしと伝わってきます。
ただ単に「好き!好き!」と連発するより、よっぽどインパクトがある告白ですよね。
こんな歌を詠む人は、どんなにロマンチックで、どんなにやさしい人なんだろう?
・・・と、思いきや、崇徳天皇は史上最強の怨霊・・・大魔王と呼ばれ、最も恐れられた人なのです。
・‥…━━━☆
崇徳天皇は、第74代・鳥羽天皇の第一皇子として生まれ、5歳で即位し天皇となりました。
しかし、この即位はあくまで、鳥羽さんの祖父で第72代・白河天皇(当時は法皇)の意向によるもの・・・と、いうのも、鳥羽さんは崇徳さんの事を「自分の子供ではない」と思っていたようなのです。
決定的証拠はないものの、崇徳さんは、どうやら鳥羽さんの奥さん・待賢門院(たいけんもんいん)が白河さんと浮気してできた子供だとの、もっぱらの噂だったのです。
わが嫁をジジィに寝取られちゃぁ、そりゃ鳥羽さんも怒りますわな。
それでも、白河さんが元気な間は何とか平穏無事ではありましたが、当然の事ながら、法皇が亡くなると、鳥羽さんは崇徳さんを退位させ、わずか2歳の本当のわが子・近衛天皇を即位させ、そのわが子が若くして急死すると、もう一人のわが子を後白河天皇として即位させ、崇徳さんを無視しっぱなし。
・・・で、そんな鳥羽さんも亡くなって、残ったのは兄弟同士=後白河VS崇徳の権力争い・・・
その争いに側近の貴族・武士を巻き込んで勃発したのが保元の乱(7月11日参照>>)です。
勝った後白河さんの天下となり、負けた崇徳さんは讃岐(香川県)へ流罪となります。
それでも、まだこの時点では崇徳さんはおだやかで、讃岐の山奥で暮らしながらも、乱で亡くなった人々への供養だと、熱心に写経などしていました。
そして、日々の暮らしで溜まった写経を「どうか、寺に納めて欲しい」と朝廷に送ったところ、後白河さんが「呪いが込められているかも・・・」と言って受け取らず、突きかえされてしまいます。
さぁ、これで、崇徳さんがブチ切れたぁ~。
送り返された写経に、自分の舌を噛み切って流れ出た血で「大魔王となって、この日本の国を転覆させてやる~」と、誓文を書きつづって海に沈め、以来、髪も切らず、爪も切らず、その風貌は「生きながら天狗になった」と噂されるほどの変貌を見せます。
そして、とうとう長寛二年(1164年)8月26日、鬼のような姿のまま、崇徳さんは46歳で、この世を去ります。
生前は、「いつか都に戻りたい」と願っていた崇徳さんでしたが、死んでもなお許されず、その遺骨は、四国の白峰山に埋葬されました。
埋葬時には、一点にわかに掻き曇り、激しい風雨が襲い、突然の雷鳴も轟き、その棺からは真っ赤な血が流れ出し、その火葬の煙は都に向かってまっすぐにたなびいたと言います。
さぁ、ここから崇徳さんの怨霊伝説が始まったのです。
都には疫病が流行り、祟りと称される異変が次々と起こります。
平治元年(1159年)に起こった平治の乱(12月26日参照>>)でさえ、もともとは崇徳さんの怨念の仕業とまで囁かれます・・・って、そん時はまだ生きとるやんけ!
恐れおののいた後白河さんは、それまで、彼が「讃岐院」と呼ばれていたのを、「崇徳」という神々しい名前を贈って、崇徳さんの名誉回復に当たります。
生前に親しくしていた阿波内侍の持っていた崇徳さんの遺髪を納めた「崇徳天皇廟」や寺院を京都に建て、その鎮魂を願いましたが、養和元年(1181年)に、恐ろしいほどの熱を出して、苦しみ抜いて死んでいった平清盛の死(2月4日参照>>)も、崇徳さんの怨霊の祟りであると言われました。
鎌倉時代の動乱を描いた『太平記』には、当時の魔界ランキングで、崇徳さんを魔界の王と位置づけています(8月3日参照>>)。
つまり、あの南北朝の動乱(8月16日参照>>)さえも、彼の怨念の仕業というわけです。
以来、言われた事は、崇徳さんの怨霊は、天皇が表舞台に立った時に現れ、国家の転覆を企てるのだそうで、その対象はあくまで、天皇家・・・それ以外の国家権力には向けられないというのですが、その怨霊が、史上最強と称されるのは、何と言っても、その恐怖が語り継がれた長さにあると言えます。
崇徳さんが亡くなってから700年後、明治天皇が即位する際に、彼の怨霊を鎮めるために建立されたのが、京都市上京区にある白峯神宮・・・崇徳さんの陵墓にちなんだ名前となっています。
冒頭でご紹介した崇徳さんの歌・・・あのように美しい歌を詠む人が大魔王とは・・・。
菅原道真(6月28日参照>>)にしろ、平将門(2月14日参照>>)にしろ、怨霊伝説というものは、亡くなった本人が作るものではありません。
その人を不幸に追いやった人物が、少しでも「悪い事をしてしまった」と、自分の行いに反省したり、後悔したり、負い目を感じたりする気持ちが、その伝説を生み出しているのだと思います。
そう考えると、もし、他人を不幸に追いやっておいて、まったくその負い目を感じないと人がいたとしたら、それが、怨霊よりもはるかに怖い事なのかも知れません。
今日のイラストは、
ご覧の通りの『生きながら天狗となった崇徳天皇』です。
保元の乱が1156年なので・・・崇徳さん讃岐にいたのは38歳~46歳・・・ちょっと見た目が若すぎますが、そのほうがカッコ良いので・・・
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コメント
おおお!
カッコいいではありませんか~♪
いかにもこれから怨霊になるぞ~って感じです。確かに若いから、早良親王の怨霊でもいいんじゃないです?・・なんて、言っても彼も35歳だったんですが・・。昔見たわたなべまさこの描いた「早良親王」がキョウレツで、なんともこういう凄みのある人でした。赤い目が凄まじくていいです。
投稿: 乱読おばさん | 2007年8月26日 (日) 20時58分
そう言えば早良親王も・・・。
そう考えると、やっぱ京の都は怨霊だらけですね~。
イラストは、時間がなくて、なんか棒立ちみたいになってしまいましたが、イラストギャラリーに大きいサイズでupする時には、もう少しポーズをつけて血のりベットリさせたいなぁと思ってます~。
投稿: 茶々 | 2007年8月26日 (日) 21時09分
12年大河「平清盛」の主要配役が出そろいましたね。女性陣で見ると若い人が多いですが、「清盛の親族」がやはり多いです。いつもの年と違い、「主人公が死んだ後もしばらく物語が続く」と言っていますが、最終盤で平家滅亡を幽霊の清盛が見るという展開でしょうか?
27日時点で記述973人。夏には「登場1000人」の大台に届きそうですね。
投稿: えびすこ | 2011年5月28日 (土) 08時29分
えびすこさん、こんにちは~
>「主人公が死んだ後もしばらく物語が続く」と言っています
やはり、一ノ谷や壇ノ浦をやらずに追われないってトコでしょうか…
だったら「清盛」とせずに「○○平家物語」といった題名が良かったかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2011年5月28日 (土) 11時55分
拍手じゃない方の記事ランキングで一位の記事になっていますね。やっぱり大河の効果ですね!
あまり視聴率取れていないようですが、Twitterではとても盛り上がっていました。
あまり記事とは関係ないですが、堀河さんのよんだ百人一首のうたが好きです。
どことなく色っぽい所が良いです!
もっと関係ないですが、1学年で百人一首大会をやってなんと自分のクラスが1位を取りました。
投稿: Ikuya | 2012年2月19日 (日) 22時01分
Ikuyaさん、こんばんは~
そうですね。
左サイドバーの人気ランキングは、アクセス数のランキングなので、源平の時代のページが並んで、まさに大河効果…
ありがたいです。
百人一首大会でクラス1位…
それは、お見事!頑張ったですね~
スゴイです!
投稿: 茶々 | 2012年2月20日 (月) 01時50分
お久しぶりです。うちゃです。
「義清散る」を見る限り、義清の思い込みの激しさもどうかとは思いますが、鳥羽上皇も中宮璋子も崇徳天皇も何というか…自分の置かれた境遇に良くも悪くも酔っているようにも見えますねぇ…
鳥羽院
(愛した女があの恐ろしい祖父(白河)と関係を持ったのか?あの子供(崇徳)は自分の子ではないのではないか?私は祖父や妻に嘲笑われた!?)
中宮璋子
(どうしましょう…夫は私を信じてくれない。二人の息子(崇徳と後白河)は私を軽蔑している…私はただ、白河様の仰せの通りにしただけなのに…何故!?)
崇徳院
(父には叔父子と忌み嫌われ…母は私をまともに見ようとしない…弟は私を完全に舐め切っている…家臣にすら存在を忘れ去られ…私は一体何なのだ!?)
共通点…『自分は何て可哀相なのだろう』
見当違いだとは思いますが…だとしたら後白河院としてはさぞ身内は『ウザかった』のではないかと思います。
増してこの人間模様が後に「保元の乱」に繋がるのですから…。
投稿: うちゃ | 2012年3月12日 (月) 01時01分
うちゃさん、こんばんは~
ドラマの人間模様としては、あのドロドロ感と、サイコパス感がおもしろいかも知れませんね。
今日の義清は、私のイメージ通りでした。
娘を縁側から蹴り落としてたし…
自分勝手はなはだしさがよく出てました。
投稿: 茶々 | 2012年3月12日 (月) 01時30分
怖い話がもうひとつ。頼ともの死です。いろいろと説がありますが、怖いのは安徳と、義つねの祟りです。[平家の怨霊]という本にありました。
投稿: ゆうと | 2012年3月16日 (金) 05時44分
ゆうとさん、こんにちは~
頼朝が死ぬ前に、安徳天皇の亡霊を見た話は、このブログでも書かせていただきました。
義経も謎の人ですね。
私は、牛若丸と義経は別人ではないかと疑っています。
投稿: 茶々 | 2012年3月16日 (金) 12時27分
茶々さま こんばんは。
一昨日、オリンピック中継のために
時間繰り下げになった大河。
例の「同時ツィート」も大好評だったらしい
崇徳院最期の回でしたね。
ドラマを見た後、
番組サイトやツィッターの解説も
併せて読むと
感動が増幅しました。
NHK高松放送局のサイトがすごいらしい、と
ツィッターで見かけたので
見に行ってみましたが、
「平清盛外伝」とか、もう全力で
清盛周辺のストーリーをバックアップ。
充実の内容でしたよ。
史実や一般の伝説は諸説あるとして、
ドラマとして見ごたえありました。
投稿: hana-mie | 2012年7月31日 (火) 21時37分
hana-mieさん、いろいろ、情報ありがとうございます。
いよいよ、第3部が始まりますね。
楽しみです。
投稿: 茶々 | 2012年8月 1日 (水) 03時03分
わかりやすい!!!
投稿: | 2012年8月 5日 (日) 00時02分
コメント、ありがとうございますm(_ _)m
投稿: 茶々 | 2012年8月 5日 (日) 00時40分
わたしも髪を切らずに天狗を目指します。爪は割れるといけないので綺麗に整えます。
投稿: 千田寛仁 | 2013年4月 1日 (月) 13時59分
千田寛仁さん、こんばんは~
髪はジャマなら結べますが、爪は作業をを何か作業をするたびにジャマになるので、爪は切っておいた方が良いと思います。
投稿: 茶々 | 2013年4月 2日 (火) 01時59分
崇徳天皇は生きながら怨霊になったというが、母方の先祖が讃岐。讃岐に流された崇徳さんを他人とは思えない。当時は、讃岐は辺鄙な地方だったようですね。(。・w・。 )
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2014年6月22日 (日) 03時36分
根保孝栄・石塚邦男さん、こんにちは~
そうですね。
あの源頼朝が伊豆へ流されるくらいですから、当時は、まだまだ辺鄙な場所が多かったのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2014年6月22日 (日) 15時43分
いやまわりくどい
はっきり好きっていってくれたほうがいい。
お前なにかっこつけてんのって思うゎ爆笑
投稿: きみまゆ | 2014年9月18日 (木) 18時25分
きみまゆさん、こんばんは~
そうですか~
確かに、直で告白されるんなら、ストレートな表現が良いでしょうが、歌ですからね~
歌の歌詞の場合は、抽象的でちょっとくらいカッコつけてる方が良いのでは??
投稿: 茶々 | 2014年9月19日 (金) 01時27分
歴史上の人物、角度を変えてみると、色々なことが隠されているのが分かります。
歴史の裏の歴史など、表とは違った魅力です。( ̄ー ̄)ニヤリ
投稿: ,根保孝栄・石塚邦男 | 2014年10月 3日 (金) 01時32分
根保孝栄・石塚邦男さん、こんばんは~
ホント、知れば知るほどオモシロイです(*^-^)
投稿: 茶々 | 2014年10月 3日 (金) 01時54分
あたし、実は、崇徳天皇の大ファンなんです!
授業では少ししか出てこなくて、満足いかなかったので調べてみました!
すごくいいブログで、タメになりました~^^
百人一首大会では、「せをはやみ~♪」すぐさま取りましたよ~(*´▽`*)
あたしもこの歌大好きです!
投稿: CHERRY | 2015年1月27日 (火) 18時58分
CHERRYさん、こんばんは~
ご訪問、ありがとうございますm(_ _)m
「せをはやみ~♪」…良いですよね?
われても末に~逢いたい人はいるのかな?
投稿: 茶々 | 2015年1月28日 (水) 03時12分
こんにちは。また来てしまいました…
でもばれちゃいましたね(笑)
居ます、われても末に、逢いたい人!
あと、こちらのブログがとてもよかったので、ぜひ私のブログでもご紹介してもよろしいですか?
投稿: CHERRY | 2015年2月 6日 (金) 21時44分
CHERRYさん、こんばんは~
ブログを運営なさっているのですね(*^-^)
>私のブログでもご紹介して…
こちらこそ…
紹介していただけるなんて、ありがたいです。
よろしくお願いします。
投稿: 茶々 | 2015年2月 7日 (土) 23時10分
・崇徳天皇の怨霊・・・最大の魔王と言われていますね。
・鳥羽天皇は、わが子の崇徳を父の白河法皇と后の待賢門院が浮気してできた子と邪推していたので、白河法皇が亡くなると崇徳天皇に冷たくあたり・・・保元の乱で敗れた崇徳を四国の讃岐に配流する。
・崇徳は恨みながら配流先で悶死する。その怨霊が都に数々の不吉をもたらす・・・。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2016年7月25日 (月) 12時03分
根保孝栄・石塚邦男さん、こんにちは~
はい、
記事本文にもそのように書いているつもりですが、何か違っていた部分がありましたでしょうか?
投稿: 茶々 | 2016年7月25日 (月) 16時44分