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2007年8月 5日 (日)

平安時代のカキ氷~ひんやりスイーツの歴史

 

暑い!暑い!・・・夏真っ盛り~
昨日は夏にぴったりのビールの歴史のお話をしたので、今日は、夏のデザート『ひんやりスイーツ』の歴史のお話をさせていただきたいと思います。

・・・・・・・・・・

冷蔵庫がない昔の時代なのだから、夏にひんやりスイーツというのは・・・と、思いがちですが、日本のひんやりスイーツの歴史は、想像以上に古いです。

『日本書紀』には、仁徳天皇の時代・・・4世紀頃には、すでに奈良の闘鶏(つげ・都祁)『氷室(ひむろ)と呼ばれる氷の貯蔵庫があった事が書かれています。

冬場の凍った池から氷を切り出し、山の麓の日の当たらないような場所に穴を掘り、ワラビの穂が伸びきって毛羽立った物を敷き詰めて、その上に氷をのせて保存したと言います。

この頃は、「氷=こおり」ではなく、「氷=ひ」と呼ばれていました。

ヨーロッパなどで、アレキサンダー大王の時代から、雪を貯蔵していたのと違って、日本の場合は氷・・・天然氷の使用では、当時の日本は、世界一の先進国だったのです。

奈良時代には、すでに氷を売る商売・・・つまり「氷屋」さんが、ちゃんとした商売として成り立っていたと言います。

しかし、もちろんの事ですが、この氷屋は、一部の特権階級の人たちだけのお楽しみで、一般人には縁の無い物でした。

平安時代には、いよいよ『夏場のひんやりスイーツ』としての氷が登場し、氷の貯蔵も本格的になってきます。

宮中には氷をつかさどる役所が設けられ、山城・大和・河内・近江・丹波など、近畿の各地に約540箇所の氷を採取するための池を定めて、21箇所の「氷室」に保存し、4月~9月の間の必要な時に、ちょっとずつ荷車に乗せて運び出すのです。

荷車には、天下御免の向う傷・・・じゃなくて、天下御免の「緋色の旗」がはためき、ノンストップで都まで一直線。

「緋色(←この文字の色が緋色です)というのは、特権階級専用の色・・・今で言えば、パトカーや救急車のサイレンみたいな物か?・・・
これが、走って来たら、人々は道を譲るしかありませんねぇ。

『源氏物語』には、「氷を物の蓋におきて割るとて、もて騒ぐ人」という描写があり、貴族たちの夏の楽しみになっていた事がわかります。

『枕草子』には、「あてなるもの(上品で美しい物)として、「削氷(かずりひ)の甘葛(あまづら)に入りて、新しき鋺(かなまり)に入りたる」と、完全な形のカキ氷が登場しています。

もちろん、現在のような削る機械はありませんから、「削氷」と言っても、削ったというよりは、割ったと言ったほうが良い「かち割り」のような物だったのでしょうが、甘葛というのは、アマチャヅルを煮詰めて作った甘い汁・・・つまりシロップで、鋺というのは、持っただけでもひんやりする銅製のお碗・・・まさに、今のカキ氷と変らない『ひんやりスイーツ』です。

しかし、貴族全盛の時代が終るとともに、この『氷室制度もなくなってしまい、鎌倉時代になってからは、富士山の雪を取り寄せたりしていましたが、それも、建長三年(1251年)、まさに武士の時代の到来とともに、経費節減のために廃止されます。

平安貴族の楽天的なのに対して、鎌倉武士はやっぱりシビアな現実派だったんでしょうね。

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今日のイラストは、
現在以外では、一番盛んだったと思われる『平安時代のカキ氷』を・・・。

せっかく、あの清少納言に食べていただくなら、やっぱり「今ハヤリのマンゴー味」という事で、マンゴーっぽいシロップのカキ氷にしてみました~。
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コメント

 あつい~あつい~・・。いや~・・この暑さ、なんとかならんか・・ということで、我が家でもカキ氷機を出して、毎日食べております。
 枕草子は有名ですが、慶州に行ったとき、新羅の時代の立派な氷室の遺跡が残っていました。やっぱり、新羅の女王などがカキ氷を食べていたんでしょうねえ。古代の美女がカキ氷・・・似合いそうですわ~♪

投稿: 乱読おばさん | 2007年8月 5日 (日) 19時41分

当時は、ものズゴイ貴重品・・・セレブの中のセレブしか口にできなかったんっでしょうね~。

今ならさしずめ、おいしいラーメンを食べるためだけに台湾日帰り旅行へ行くような物かしら・・・

投稿: 茶々 | 2007年8月 7日 (火) 11時45分

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