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2007年8月 4日 (土)

日本初のビヤホール誕生

 

明治三十二年(1899年)8月4日、日本人の手による日本初の『ビヤホール』が誕生しました。

・・・・・・・・・

ビールの歴史は古い・・・。

紀元前1830年頃、メソポタミアに誕生したバビロニア王国

その六代目の王・ハンムラビによって作られたという世界最古の成文法である、あの『ハンムラビ法典』には、ビールを販売する酒場に関する法律が書かれていて、すでに、この頃には、かなり広く普及していた事がわかります。

ただ、やはり、今、想像する酒場のイメージとは少し違って、女性が個人でビールを造り、それを自宅で飲ませる・・・つまり、そのまま自宅が酒場という形式でした。

書かれている法律を見てみると・・・

「ビール代は、銀ではなく、相当の穀物で受け取る事」
「穀物の分量に対してビールの量を減らしてはいけない」

などなど・・・これに、違反すると、水に投げ込まれるそうです。

「酒場に手配中の犯人が来た時には、かくまってはいけない」
この場合は死刑だそうです。

色々モメたんでしょうね・・・お酒の席ですからねぇ。

しかし、そんな酒場も、新バビロニアの時代には、、ビールが大量生産されるようになって、個人経営の女性の酒場は自然消滅し、ビールは大人数で一手に造る・・・という現在とあまり変わらない形になります。

・・・で、そんな古い時代からあるビールですが、日本に伝わるには、やはり幕末を待たなければなりません。

そして、開国をきっかけに、まずは輸入という形でお目見えします。

やがて、明治二年(1869年)ノルウェー系アメリカ人のウィリアム・コープランドさんが、「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」という工場を設立し、居留している外国人や外国船の船員向けに販売を開始したのです。

このビールは、横浜の天沼の湧き水で造られていた事から「アマヌマ・ビアザケ(麒麟麦酒の前身)と呼ばれ、けっこう評判も良かったのですが、コープランドさんはビール工場の成功と引き換えに、愛する奥さんを亡くしてしまい、失意の果てに、ビール工場を他人に譲り、自分はその近くに酒場を開業します。

しかし、その店は外国人相手だったにも関わらず、居留中の外国人は、なぜか寄り付かず、船員相手に細々とやっていましたが、結局すぐに店を閉めてしまいます。

そして、いよいよ明治三十二年(1899年)8月4日・・・日本人の手による日本人向けのビアホール「恵比寿ビール・ビヤホール」が、東京・銀座に誕生するのです。

レンガ造り2階建ての華麗なるこのビヤホールの一番の目的は、日本麦酒株式会社が、すでに明治二十三年(1890年)2月25日に発売を開始していた、自社製品の「エビスビール」を宣伝する事・・・何せ、未だ多くの人がビールを飲んだ事のない時代ですからね。

そして、その目的は、すぐに達せられます。
開店と同時に、押すな押すなの大盛況!

わずか5年後の明治三十七年(1904年)に、東京・芝に「サッポロビヤホール」が開店する事でも、先のビヤホールの評判が高かった事がわかります。

このあたりから、いよいよ本格的にビールは庶民の友となります。

そして、大正時代に入って、「キリンビヤホール」も誕生し、もはや不動の地位を確保したビール業界でしたが、御多分にもれず、戦時下では「大日本麦酒」「麒麟麦酒」の2社に統合されるという憂き目にも遭いながら、戦後には見事復活!

現在でも、なんだかんだ言いながら、「とりあえずビール・・・」なんて注文してる方が多いんじゃないですか?

ところで、ビールの大瓶って何で「633ml」なんてハンパな量なんでしょう?

実は戦前までは、たとえ会社が一緒でも、工場が違えば瓶の大きさが違う・・・中身の量もまちまちで、統一されていなかったのです。

しかし、それまではビールの売上に関わらず、工場の仕込みの釜の大きさによって課税されていた酒税が、戦後、税制が変わって、製品を出荷した時点での量に酒税がかかるようになり、そうなると、各社まちまちでは、どうにもややこしい・・・。

・・・で、瓶の大きさからそろえるには時間と経費がかかるため、とりあえず中身の量を、当時、一番少なかったとある工場の「633ml」に揃える事になって、その量が今もそのまま大瓶の量となっているんですって。

Beercc
今日のイラストは、
『本邦初のビール』という感じで、明治の頃のグラスを再現してみました~。

どうですか?おいしそうに見えますか?
私は、飲めないもので・・・(#^o^#)
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

ビール!いいですね!
風呂上りにくーーーーっと一杯やりたいです(^^)
飲めないけど(笑)
薩摩もビールとは無関係ではありません。
というか大有りですが(笑)

イラストお上手ですね。グラスの横にあるのは蓋ですか?
昔は蓋付きだったのでしょうか?
なんとも味があっていいですね。

投稿: 味のり | 2007年8月 5日 (日) 00時29分

イラストのグラスは、明治の頃のビアグラスで、瓶ビールが普及するまでは、このような蓋がついていたみたいです。

私も写真を見ただけなので、くわしい事はわからないのですが、工場から出荷して、飲むまでの間、ビール酵母の発酵を止めるためには、しっかりと密閉をする必要があるらしいいです。

飲めない私は、もっぱら風呂上りにはコーヒー牛乳ですが・・・(#^o^#)。

投稿: 茶々 | 2007年8月 5日 (日) 12時07分

昔、私の街の駅前の商業ビルの屋上で夏場にビアガーデンをしていたのですが、いまはもうしておりません。
ビルそのものが数年後には駅前再開発で取り壊しとなるので、一抹の寂しさを感じております。かなり築年数の古いビルで私が生まれる前からあります。

投稿: えびすこ | 2024年8月 4日 (日) 10時33分

えびすこさん、こんばんは~

最近は夜でも暑いですから…(~o~;)
冷房のない場所はキツイかも…

投稿: 茶々 | 2024年8月 5日 (月) 04時20分

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