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2007年9月 1日 (土)

関東大震災での災害救援ボランティア

 

大正十二年(1923年)9月1日午前11時58分、相模湾北西部を中心とするマグニチュード7.9の巨大地震が起こりました・・・ご存知『関東大震災』です。

・・・・・・・・・・

死者・行方不明者、合わせて約14万3千人・・・まだ、生々しい記憶の残る『阪神淡路大震災』もそうですが、この関東大震災の時も、地震直後に圧死した人よりも、はるかに多かったのが火事による犠牲者です。

地震発生直後から各地に火の手があがり、焼死した人・・・また、熱さを逃れて川に飛び込み、水死した人も多かったと言います。

また、相模湾沿岸には、地震と同時に津波が発生し、800余りの家屋が流出の被害にも遭っています。

しかし、この『関東大震災』と、『阪神淡路大震災』との決定的な違いは、その後の「デマ」と「暴動」の発生ではないでしょうか?

身内や友人を亡くされたかた、被害に遭われたかたの、苦しみ、悲しみはいつの世も同じですが、ニュース等で見る限り、神戸の人々は比較的落ち着いて、冷静な行動をとっておられたように思います。

やはり、災害時の「正確な情報」という物が、いかに大切かを痛感させられます。

『関東大震災』の時は・・・
「再び、今夜、地震が来る」
「富士山が大爆発を起こした」

などのデマが飛び交い、中でもヒドかったのは・・・
「朝鮮人が暴動を起こし、井戸に毒をまいて、あっちこっちに放火している」
などという物でした。

身を守るために結成されたはずの自警団が暴徒化し、多くの朝鮮人が殺害されました(2010年9月1日参照>>)

また、その思想を危険視されていた社会主義思想の人たちも、地震をきっかけに、軍や警察へ連行され、惨殺された人もいました。

考えるのも恐ろしい光景です。

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デマや暴動・・・数多くの被災者・・・ただ、そんな、暗いイメージばかりが先行する関東大震災ですが、実は、そんな中でも、ボランティア活動が行われていたのです。

阪神淡路大震災で注目を浴び、それ以来一気に盛んになった感のある『災害ボランティア活動』ですが、実は、すでに大正時代のこの関東大震災でも、多くの人が無償で救援活動に参加しました。

まずは、町内会青年団宗教団体といった民間の団体が、発生直後に被災地に駆けつけ、人命救助や炊き出しのサービスなどを行い、その後、粗末ではあるものの、公園や空き地に市の仮設住宅も建築されました。

関東近隣の医者や看護婦はもちろんの事、看護学校の生徒たちも医療活動に参加・・・遠くは関西から駆けつけた看護学生もいたそうです。

もちろん、救援物資も、義捐も続々と送られてきました。
当時の記録によれば、政府に集まった義捐金は約8400万円。

そして、その波は海外からも・・・。

諸外国の中で、いち早く行動を起こしてくれたのは、アメリカ合衆国でした。

発生翌日の9月2日には、大統領からのお見舞いの電報が届き、被災者救済のための軍の出動命令を発令。
赤十字社への積極的な働きかけも行ってくれます。

そして、9月3日には、大統領自らが国民に義捐金と救援物資の募集を呼びかけます。

その時のキャッチフレーズは・・・
『1分早ければ、一人多く助かる』
という言葉だったそうです。

政府の広報活動のおかげで、アメリカの各地で、チャリティーコンサートやバザーが行われ、政府の予想をはるかに超えた金額が集まりました。

そして、食糧衣服テントといった物資や、医療器具医薬品とともに、多くの医療救護団も続々と上陸したのです。

これらの、アメリカの人々の善意によって、その頃、徐々に悪化し始めていた日米関係に、一筋の光が指したのは言うまでもありません。

これだけ、アメリカの人々が積極的になってくれたのは、実は、この17年前・・・明治三十九年(1906年)にサンフランシスコで起こった大地震の時の記憶があったからだとも言われています。

その時、明治天皇は被災者救援のため、20万円を義捐金として送る事を決められたのですが、それに感動した国民が、明治天皇に習えとばかりに募金活動に参加し、合計で10万円という金額が集められ、アメリカに送付されました。

このサンフランシスコ地震での海外援助に関しては、日本がダントツだったのです。

アメリカの人々は、しっかりと、この事を覚えていてくださったんですね。

もちろん、関東大震災に救援をしてくれたのはアメリカだけではありません。

イギリスフランスオーストラリアインド等等・・・たくさんの国からの援助がありました。

そして、何と言っても、日本がその時、進出しようとしていた中国からも、救援の手が差し伸べられていたのです。

ボランティア、国際支援、救援活動・・・これらは、最近に始まった事ではないのです。

思想が違うから・・・
交流がないから・・・
敵対しているから・・・
大災害が発生した時には、そんな枠は取っ払って、積極的に救援活動を行う事こそが、国際社会での地位の向上となり、やがては、真の世界平和につながっていく事でしょう。
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コメント

はじめまして、デマ云々の逸話は知ってましたが、ボランティア活動の件ははじめて知りました。先日も新潟で地震がありましたが、天災は必ずやってきます。特に地震はこれだけ科学が発達しても予測は難しいのが現状です。避けられない天災なら、それ以降の被害を最小限を抑えるのが民間の力なんでしょうか。

投稿: うてきなぷりぱ | 2007年9月 2日 (日) 18時08分

うてきなぷりぱ様・・・コメントありがとうございます~。

私もです。
ボランティアの事は、けっこう最近知りました。

特に、あの時代に海外からそんなにたくさんの支援をしてもらったなんて・・・

そうですね。
天災は止める事はできませんが、被害を少なくする事は、人の努力と協力という力でできますからね。

投稿: 茶々 | 2007年9月 2日 (日) 18時53分

3月の東日本大震災の直後に、「大河ドラマが打ち切りになるのではないか?(した方がよい)」と言ううわさがあったらしいです。「した方がよい」の理由は、番組を打ち切りにして浮いた製作費を義捐金として送る、と言う意味らしいです。
ただ、義捐金は各方面から数百億円集まってます。余談ですが、大相撲の巡業は本来、「ボランティア」の意義があったんです。力士が踏む四股は地震を抑える意味があります。
一時ネット上で議論になったようですが、仮に「地震で番組を止める」となると出演者には責任がないので、NHKが製作費の数倍の損失補てんを、(番組の)関係自治体に支払う可能性があるかも、と言っていた人もいます。また俳優に対しても「出演契約」を破棄する事なので問題が出るとも。
民放では地震で放送延期になり、未だに振り替え日が未定の2時間ドラマもあります。
「被災者のためになるイベント」を開催する事も、ボランティアとなります。ボランティアと言うものは「官製」では、幅広い支援が得られないようです。

投稿: えびすこ | 2011年5月28日 (土) 09時34分

えびすこさん、こんにちは~

いち時は、「やめる」となった夏場のお祭りも、次々と「やっぱりやる!」って方向に向いて来ているようです。

地に足がついてきた感じで良かったです。

投稿: 茶々 | 2011年5月28日 (土) 12時17分

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