「応天門炎上事件」真犯人は誰だ!
貞観八年(866年)9月22日、3月に起こった『応天門炎上事件』で、放火犯とされた伴善男らが、伊豆に流罪となりました。
・・・・・・・・・
さて、パソコンの前にお座りの名探偵諸君!
平安の都を震撼させたこの『応天門炎上事件』。
時の天皇・第56代清和天皇は、まだ年若く、全面的に信頼を寄せている太政大臣・藤原良房(よしふさ)の進言通りに、伴善男(とものよしお)を犯人とし、伊豆に流罪という判決を下したのだが、どうやら別の黒幕がいそうな怪しい雰囲気がプンプン・・・この複雑な人間関係を考えると、そう簡単に解決できる事件ではなさそうなのだよ。
まず、事件のあらましを説明しよう。
時は、貞観八年(866年)3月10日の夜。
平安京の朝堂院の南にある応天門・・・つまり天皇の住まいである内裏のすぐそばの門が炎上。
火は東西に燃え広がり、すべてを焼き尽くしたのだ。
しかも、その火事の原因が放火だった事から、貴族たちは恐怖におののく・・・なんせ、応天門は大内裏と言って、京の都の街中ではない、言わば宮中にある門だからね。
単なる放火ではなく国家反逆罪になるわけだ。
・・・で、翌日になって、大納言という地位にある伴善男という男が、右大臣の藤原良相(よしみ)に告げる。
「放火は、私の事を恨む左大臣の源信(みなもとのまこと)の仕業でっせ。」
・・・というのも、この応天門は善男の大伴氏が建立した門であり、そこに、信は日頃から善男と仲が悪かったという事実もある。
つまり、嫌がらせで門を焼いた・・・と言うんだね。
良相は早速藤原基経(もとつね)という男に、信を逮捕するよう命じるのだが、なんせ相手は左大臣である。
命令が出たからと言って、この基経という男にとって、上司となる信を逮捕するなんて事は、とてもじゃないがおそれおおくてできゃしない。
・・・で、基経は、太政大臣の藤原良房(よしふさ)に相談に行くんだね。
この良房って人の奥さんは、信の妹で、良房と信は義理の兄弟なわけで、下手に訴えられれば一族もろとも罪に問われるかもしれないという事で、良房は直々に天皇に、信が無実である事を訴えた。
良房の事を全面的に信頼している清和天皇は、信に処分を下す事はなく、その罪は問わなかった。
しかし、それから5ヵ月後の8月3日・・・
今度は、「伴善男とその仲間が応天門に火をつけるのを見た」という目撃者が現れたのだよ。
結局、その目撃者の証言によって、伴善男とその仲間たちが犯人・・・という事で、貞観八年(866年)9月22日、天皇が、彼らを伊豆へ流す事を決定したのだ。
以上がこの事件のあらましなのだが、ここに複雑な人間関係がからみ、様々な噂も囁かれているのだよ。
だいたい善男が火をつけるのを見たという目撃者。
この大宅鷹取(おおやけのたかとり)という男・・・この鷹取の子供と、善男の部下である生江恒山(いくえのこうざん)の子供との間にトラブルがあり、恒山が鷹取の娘を殺害したという事実がある。
当然、鷹取から見て恒山は、憎き娘の仇であり、その上司である善男も憎いとうわけだな。
しかし、炎上直後の状況を見ると少し、違って見えてくる。
善男が良相に訴えた時、良相は、即、信の逮捕を命じている・・・このすばやさは、どうも怪しい。
かつて、藤原氏とともに権勢を誇った大伴氏であったが、その末裔である善男の頃にはすっかり落ちぶれており、そんな中でに善男の出世は異例中の異例。
彼のこの出世は、藤原氏のおかげ・・・なので、藤原氏をおびやかす存在となる源氏の足を引っ張ったのではないか?とも思える。
しかし、同じ藤原氏の良房は信の無実を訴える・・・実はこの良房は兄で良相は弟・・・二人は兄弟ではあるが、徐々に力をつけてきた弟・良相の存在が、兄・良房にとっては脅威だったとも考えられ、お互いが敵味方だったのかも知れないぞ。
でも、善男の出世は藤原氏の援助・・・というよりも彼の実力になせるワザでもあるわけで、落ちぶれた中から出世した善男の実力こそが良房の脅威であり、弟と協力して善男に放火させ、信に罪をなすりつけさせた後、逆に訴えて失脚させた・・・という事も考えられる。
逆に、信が良房の脅威だとしたら、どうなるだろう。
信を失脚させたいが、妹はかわいい・・・何とか一族に火の粉がふりかからないようにして、信を失脚させたい・・・。
事実、信は罪にはならなかったものの、疑いをかけられた事で、事実上引退となってしまったのだからね。
もちろん、善男の最初の訴え通り信が犯人という事も考えられる。
源氏にとって、藤原氏・大伴氏といった古くからの名門氏族は目の上のタンコブ。
仲の悪さも手伝って、大伴氏の応天門に火を放ち、猛撃者をしたてて失脚させる・・・という事だ。
結局、良房・良相・信・善男と、出てきた人物全員が怪しい・・・という事になるのだが・・・おっと、ここで忘れちゃいけない。
時の天皇・清和天皇は、即位する時に兄の惟高親王を失脚させている。
その惟高親王派の残党が、宮中にはまだいた事も付け加えておこう。
そして、もう一つ・・・善男が流罪となり、信が引退。
残った兄弟のうち、この時代では、当然兄のほうが上・・・で、結局、この後、良房は摂政という役につく事になるのだが、そんな状況となった今、周囲には誰も反対する者もなく、良房は政治の実権をすべて握る事になるのだな。
さて、1400年前に起こったこの事件・・・正直なところ、未解決、迷宮入りとなっているのだか、今日のブログを最後まで読んでくれた有能な探偵諸君は、どのような推理をするのかね?
さぁ、意見を聞かせてくれたまえ。
・・・・・・・・・
・・・と、今日は推理ミステリー風に書いてみました~。
ーーーアンケート結果ーーー
藤原良房=4票
藤原良相=0票
源信 =1票
伴善男 =1票
大宅鷹取=0表
凝高親王派残党=0票
以上の結果でした~
尚、アンケートパーツの設定を間違えてしまい、閲覧者が一番多いであろう、記事をupしてから2~3日間、一部のかたしか投票できない状態となっていました・・・申し訳ありませんでした。
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コメント
応天門事件の犯人が伴善男じゃないっていう証拠になるような史料ってなにかありませんか?
あと、だれが一番有力な犯人の候補だと思いますか??
投稿: すう | 2007年9月30日 (日) 10時58分
私は専門家ではありませんので、秘蔵されている古文書や史料を見せていただく事はできないので、あくまで公表されている史料の中だと、やはり、決定的な証拠となるものはないのが現状だと思います。
個人的には、この事件で、結果的に一番得をした人、傷がつかなかった人は誰か?という視点から考えると「藤原良房」という事になりますが・・・あくまで、怪しい・・・でしかありませんね。
新しい史料の発見に期待します。
投稿: 茶々 | 2007年9月30日 (日) 12時24分