竹取物語は社会派風刺小説~仲秋の名月なので…
今日は仲秋の名月。
満ちかける月をながめ、物思いにふける・・・
風流の極みですね~。
月は、花や雪とともに、万葉集の中でもトップクラスの登場頻度・・・そして、やはり花や雪とともに、お酒=宴の対象でもあります。
仲秋(陰暦8月)十五夜の明月を愛でながら、詩歌や管弦にふける・・・という風習は、平安時代の醍醐天皇の頃(897年~930年在位)から盛んに行われるようになり、『源氏物語』の頃には須磨、明石、和歌の浦、吹上浜といった月の名所なども生まれています。
江戸時代には、ススキや団子とともに芋をお供えして食べる『芋名月』という風習も生まれました。
やはり、いつの時代も、月を愛でる気持ちは同じですね。
ところで、仲秋の名月で思い出すのは『かぐや姫』のお話。
かぐや姫の登場する『竹取物語』は、9世紀末~10世紀初頃に書かれた作品で、作者は源順(みなもとのしたごう)とも、源融(みなもとのとおる)とも、作品の内容から紀貫之(きのつらゆき)(12月21日参照>>)
ではないか?とも言われていますが、はっきりしません。
ヒロインの美しさに加え、物語の不思議さ、空を駆ける乗り物などSF的要素もあり、今でも演劇などの題材に使われる事もあって、知らない人はいないんじゃないか?と思うくらい有名です。
竹取物語は、あの『源氏物語』で「物語の出(い)で来(き)はじめの祖(おや)」と称されるように、日本最古の小説でもあり、心温まる昔話のように思われがちですが、実は、このお話・・・単なる美しい物語ではなく、むしろ社会派の風刺小説なのです。
有名なお話ではありますが、一応あらすじを書かせていただきますと・・・
・・・・・・・・・
竹取を仕事とするおじいさんが、ある日竹やぶに入ると、不思議に光る竹を見つけ、切ってみると、中にはかわいい女の子が・・・。
やがて、美しく成長した女の子は、その美しさから「かぐや姫」と呼ばれるようになり、何人もの貴公子たちから求婚されますが、その気のないかぐや姫は無理難題をふっかけて断り続けます。
果ては帝まで彼女に好意を抱きますが、いつの頃からか月を見ては物思いにふけるようになり、その理由を聞くと「実はわたしは、この世界の者ではなく、月の世界の者。仲秋の十五夜に月からのお迎えが参ります」とうちあけます。
これを聞いた帝は、かぐや姫を帰すまいと、大勢の兵を用意し、警備にあたらせますが、月からの使者たちには歯が立たず、ついにかぐや姫は帰ってしまいます。
帰りぎわに、「不死の薬」を帝に渡しますが、帝は「姫に会えないのなら薬はいらない」と言って、天に一番近い山の上で、その薬を燃やしてしまいます。
それ以来、その山は「ふじの山」と呼ばれ、今でもその時の煙がたちのぼっているのです。
・・・・・・・
・・・と、こんな感じです。
一般的に昔話として語られる場合は、おじいさんが竹からかぐや姫を見つけるところと、月に帰るあのシーンがクローズアップされる事が多いですが、風刺小説としての竹取物語の重要な部分は、熱心に求婚する5人の貴公子たちとかぐや姫との無理難題のやりとりの部分。
この5人の貴公子は、石作皇子(いしつくりのみこ)・車持皇子(くらもちのみこ)・右大臣安倍御主人(あべのみむらじ)・大納言大伴御行(おおとものみゆき)・中納言石上麻呂(いそのかみのまろ)の5人なのですが、後半の3人・右大臣安倍御主人と大納言大伴御行と中納言石上麻呂は実在の人物名・・・ただし、いずれも飛鳥時代の人で、この物語ができた頃には、過去の人・・・という感じもします。
前半の二人・・・石作皇子と車持皇子は隠語を踏んだ架空の人物名で、石作皇子は宣化天皇の4世の孫・多治比嶋(たじひのしま・石作氏と同族)をモデルにしていると思われます。
そして、車持皇子。
その母の姓が車持である事から、この車持皇子は藤原不比等(8月3日参照>>)の事だと思われますが、実はこの竹取物語・・・この人への風刺が一番キツイのです。
たとえば、この5人の貴公子に出すかぐや姫の無理難題。
それは、「この世にありもしない架空の宝物を持ってきてくれ」というものなのですが、他の四人は、それぞれ、「大金を払って買った物が偽者」だったり、「探しに行く途中で船が嵐に遭ってしまった」とか、「ムリして取ろうとして崖から落ちて死んだり」・・・などという、ある意味それなりに頑張ってる感がありますが、この車持皇子だけは少し違います。
彼がかぐや姫に頼まれた宝物は、「蓬莱の玉の枝」なのですが、彼はそれを職人に作らせ、「命を賭けて蓬莱山に行って来た」と嘘をついて姫に渡しますが、その後、職人が「報酬をもらっていない」と姫に告白し、嘘がバレてしまいます。
しかも、その後、「俺に恥をかかしたな!」と言って、その職人たちに殴る蹴るの暴行を加えます。
物語の中で、限りなく美しく純粋に描かれるかぐや姫は、結婚を勧めるおじいさんに対して、
『世のかしこき人なりとも、深き心ざしを知らでは、あひがたしと思ふ』
「たとえ身分の高い人でも、性格の良い人でないとイヤ」
との、しっかりした意見をのべています。
そんな中、「車持皇子は心たばかりある人(野心家で陰謀好き)」として、かぐや姫が最も嫌う人物として描かれています。
そうです。
この竹取物語は、当時、絶頂期だった藤原氏を痛烈に風刺した物語なのです。
作者不明・・・となるのは当然の事。
もしバレたら、その命はないかも知れないくらい危険な小説です。
おそらく、作者は命がけで書いたはず・・・。
紀貫之の紀氏は、あの蘇我氏と親戚であり、藤原氏の陰謀によって没落の憂き目に遭っていますから、先ほども書いたように、彼が作者ではないか?という意見も出ているワケですが、もちろん、藤原氏にヒドイめに遭わされたのは、紀氏だけではなく、多くの豪族が藤原氏に反感を持っていたので、紀貫之ではないにしても、藤原氏を憎いと思う誰かが原作者である事は確かでしょうね。
物語の最後のクライマックスで、かぐや姫を迎えに来た天女が言います。
「いざ、かぐや姫、穢(きたな)きところにいかでか久しくおはさむ」
「穢きところ」とは、まぎれもなく、藤原氏が天下を握る、この平安の世であったのでしょうね。
今日のイラストは、
『いざ、かぐや姫 月に帰らん』てな感じで・・・
♪この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
かけたることも なしと思えば♪
これは、栄華を誇った藤原道長の歌・・・
そんなこの世を「きたなきところ」とし、
「さぁ、かぐや姫、早くこんな所から出ていきましょうよ!」
と、風刺たっぷりに書いた名も無き作者・・・
はてさて、平成のこの世は、私たちにとって「望月」なのか「穢きところ」なのか?
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コメント
後ろ姿のかぐや姫・・いいですね。同じ構図いただきました~♪
って、私は、月の女神を描きましたが偶然同じ構図になってしまいました。すみません。
で、求婚者たちトラバしました。
投稿: 乱読おばさん | 2007年9月25日 (火) 21時19分
おお、かぐや姫ではなく、求婚者たちを描かれたのですね・・・。
シブイですね~。
それぞれに、何やら憎たらしい感が出てます~
投稿: 茶々 | 2007年9月25日 (火) 22時20分
すごーい!!
かぐや姫は単に物語じゃないんですね。
その物語の中にその時代の背景がはいっているなんて。「お話」と「実話?説?」の比較とゆうか、検証って面白いなぁ~と思いました。
って評論家ではないですが(^_^;)
投稿: 見習い大工 | 2007年9月29日 (土) 08時50分
見習い大工さん、こんにちは~。
やっぱり、作者不詳であっても、後世に残る作品はスゴイなぁ~って思いますね~。
見習い大工さんの地元の富士山・・・平安当時、活火山でいつも煙が出ているのを「不死の薬」が今も燃えているから・・・
そして、その名も「不死の薬」を燃やしたから「ふじの山」っていうのも面白いですよね。
投稿: 茶々 | 2007年9月29日 (土) 10時31分
はじめまして。
かぐや姫の後ろ姿を見ると風船にして飾ってみたくなりました。
全く同じ形の前姿の絵もあったらいいなって思いました(*^^*)
投稿: なこ | 2013年9月14日 (土) 12時50分
なこさん、こんにちは~
ありがとうございます。
後ろ姿で顔が想像できるのも良いかと…と思って後ろ姿にしてみました。
投稿: 茶々 | 2013年9月15日 (日) 16時47分
返信ありがとうございます。
もし前姿があったら後姿と貼りあわせて部屋に浮かせて飾りたいです。
投稿: なこ | 2013年9月15日 (日) 20時22分
なこさん、こんにちは~
なるほど…風船にするなら、、、ですね。
投稿: 茶々 | 2013年9月16日 (月) 13時30分