禁門の変のシンガリ・幕末の十七烈士と真木和泉
天王山と言えば、やはり、本能寺の変で主君・織田信長を死に追いやった明智光秀と、その弔い合戦を旗印に遠く中国から大返しで駆けつけた羽柴(豊臣)秀吉が戦った山崎の合戦(6月13日参照>>)。
その重要性から、今でもスポーツなどでは、雌雄を決する重要な試合の事を天王山と呼んだりして、どうしても、そちらを先に思い浮かべてしまいますが、天王山ではもう一つ、日本の歴史の中で重要な戦いが行われていたのです。
それは、幕末の事・・・。
当時、尊皇攘夷(天皇中心で外国人は無用)を強く押し進めていた長州藩。
しかし、文久三年(1863年)8月、公武合体(天皇と幕府が協力)を進める会津藩と薩摩藩の強力タッグによって、長州藩は京都から追い出され、政治の中心での活躍の場を失ってしまいます【八月十八日の政変】(8月18日参照>>)。
翌・元治元年(1864年)、何とか挽回しようと、京都の池田屋に潜伏していた長州藩の過激派志士たちを新撰組が襲撃し、再起の芽を摘んだのは6月5日でした【池田屋事件】(6月5日参照>>)。
この一報を聞いた長州藩内の積極派は、すぐさま京都奪回を目標に大軍を率いて上京します。
7月19日、山崎・天王山に布陣した久坂玄瑞、嵯峨・天龍寺に布陣した来島又兵衛、伏見・長州屋敷に陣取る福原越後らの長州勢は、この三方から御所に向かって進軍を開始します。
この時、久坂玄瑞とともに、天王山に布陣していたのが、筑後水天宮神官・真木和泉守保臣です。
彼は、筑後という地名からでもわかるように、筑後国久留米出身で、久留米水天宮の神職・・・もとは薩摩藩主・島津久光と行動をともにしていましたし、大久保利通とも親しい関係にあったようです。
しかし、尊王派であった彼は、例の寺田屋事件(4月23日参照>>)で、しばらく幽閉される事となり、その後は長州藩に身を寄せていたのです。
かくして、この日、御所を守る幕府軍と、京都奪回を目指す長州軍との間で、壮絶な戦いが繰り広げられるのです。
最も激しい交戦があったのが、御所の蛤御門(はまぐりごもん)周辺・・・という事で、この戦いは「蛤御門の変」または、蛤御門が禁門とも呼ばれていたので、「禁門の変」と言います。
そして、ご存知のように、この禁門の変で、長州藩は大敗をしてしまいます。
来島又兵衛は蛤御門のそばで討死し(2010年7月19日参照>>)、堺町御門周辺で、真木保臣らとともに戦っていた久坂玄瑞も負傷し、その後自刃します(2011年7月19日参照>>)。
激しい弾丸が飛び交う中、撤退を余儀なくされる長州軍・・・何とか彼らは天王山のある山崎まで撤退します。
そして、ここ山崎で福原越後ら・長州藩主力部隊の国元への引き揚げを見送る真木保臣以下17名の烈士たち・・・そう、彼ら17名は、ここにとどまり、殿軍(しんがり)をつとめたのです。
このブログの孫子の兵法や、戦国の合戦のページ等で時々書いておりますが、戦いという物は、進軍よりも撤退のほうがはるかに難しいのです。
かの豊臣秀吉が、織田信長の越前攻めで、撤退の殿軍をつとめ、一躍その名を馳せた事でもおわかりのように、生きて帰るのは万に一つしかないような危険、かつ重要な役目が殿軍なのです。
蛤御門で長州軍が放った銃弾が、御所を直撃した事で、その時から『朝敵』となった長州・・・撤退して母国へ帰る同志を見送る彼らの胸の内はどのような物だったのでしょうか・・・。
↑天王山中腹の展望台から京都方面を望む・・・彼らが最後に見たのは、眼下に広がる千年の都か、はたまた迫り来る幕府の軍か・・・
この時の彼らは、すでに死を覚悟していました。
主力部隊を見送った保臣以下17名は、幕府軍の来襲を前にして、天王山へと登り、壮絶な自刃を遂げるのです。
その直後、彼らの死を未確認の幕府軍は、敗兵一掃とばかりに天王山へ攻撃をしかけ、離宮八幡宮や観音寺など、天王山周辺は炎に包まれます。
やがて、多くの犠牲の上に、日本は明治維新を迎えます。
彼らの『朝敵』の汚名は晴らされ、蛤御門の殿軍だった十七烈士は、維新の先駆けとなり、天王山中腹に改葬され、やっと安住の地を得る事となりました。
現在、彼らの志に感銘する有志たちによって、毎年10月21日、墓前祭がとり行われています。
大山の 峯の岩根に うづみけり
わが年月の やまとだましひ
真木保臣・辞世
「十七烈士のお墓」への行き方は本家HP:京都歴史散歩「天王山」でご覧ください>>
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