世界最古の入れ歯は日本製?~今日は入れ歯の日
10月8日は、「1(い)0(れ)8(ば)」の語呂合わせで『入れ歯の日』なのだそうで、本日は「入れ歯の歴史」について・・・。
「入れ歯」とおぼしき物は、古代エジプトの遺跡からも発掘されているそうです。
「ミイラに義歯らしき物がはめられていた」というのですが、はたして、これが今で言うところの入れ歯に当たるのかどうかは、不明・・・儀式に使用したり、装飾として使用されていた可能性は大いにありますからね。
そういう点では、スイスの畑から発見された15世紀末の骨でできた義歯・・・というのが、最古らしいという事になってそうですが、これも、実際に装着して食事をするというのは不可能な物で、上下を側線で結んであったものの、口にふくんで見栄えを良くするための、美容上の物だったということです。
・・・って事で、近代的な、いわゆる「総入れ歯」なる物が製作され、装着が成功した例は、「近世歯科医学の父」と呼ばれるピエール・フォーシャールというフランス人が、1737年に歯を失った60歳の貴婦人のために作った上顎義歯が、第1号だとされていますが、どうして、どうして、実は、入れ歯の歴史に関しては、日本がかなりの先進国のようです。
実は、天文七年(1538年)4月20日に74歳で亡くなった和歌山の願成寺というお寺の尼僧だった仏姫が使用していた「木製の総入れ歯」というのが現存します。
形は、現在の総入れ歯とほとんどかわらない物で、磨り減っている部分が確認できる事から、実際に使用して、物を食べていた事もわかっているそうです。
しかし、全体が、黄楊(つげ)の木でできている・・・つまり、木を、入れ歯の形に彫刻した物ですから、ちょっと痛そうな気はしないでもありませんが、複雑な顎や歯茎の形、歯の形を見事に彫り上げる日本人の技術の素晴らしさには感動モンです。
天文・・・と言えば、天文十二年(1543年)に、あの種子島の鉄砲伝来(8月25日参照>>)がありますから、まさに戦国真っ只中!
天文十八年(1549年)に来日した、あのフランシスコ・ザビエルが、眼鏡をかけていたことで、人々は「バテレンは目が四ツある」と驚いたと言いますが、この木製の入れ歯をザビエルが見ていたら、逆に驚いたに違いありませんよね~。
そして、日本の入れ歯の最先端技術は、当然、この先もどんどん進歩していきます。
東京の広徳寺にある柳生宗冬さんのお墓から、遺体とともに上下顎の総入れ歯が発見されたのですが、これは、寛永十二年(1635年)に、口中医として活躍していた小野玄人さんが製作した物で、技術的にも極めてすぐれた逸品だそうです(9月29日参照>>)。
床の部分はやはり黄楊でできていて、歯の部分は天然歯、象牙、ろう石、獣歯、黒柿などを駆使して作られています。
仏姫の場合もそうですが、口中に直接触れる部分の材料に黄楊が使われているのは、黄楊は割れにくく、それでいて彫刻がしやすく、肌触りも良いのだそうです。
(黄楊と言えばくしを思い出してしまいますが・・・)
しかも、その黄楊を、24時間煮て、さらに水中に保存した物を使用したそうで、意外と思っているほど痛くないかもしれませんね。
「食紅などを使って、噛みあわせも調節していた」というから、たいしたモンですね~。
江戸時代には、口中医とはっきりと区別された「入れ歯技師」という職業がりっぱに認知されていて、入れ歯は庶民にも広く流通していました。
『南総里見八犬伝』で有名なあの滝沢馬琴も、自身の日記の中で「今日は入れ歯を修理してもらった」なんて事を書いています。
さすがに、こういう細かな技術というのは、昔から日本が最先端だったんですよね~。
ちょっとうれしくなりました~。
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