黄門さまの大日本史~日本初の発掘調査
享保五年(1720年)10月29日、水戸藩が、『大日本史』240巻を幕府に献上しました。
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『大日本史』は、水戸黄門でお馴染みの徳川光圀の命により、編さんが開始された物で、明暦三年(1657年)2月27日に着手して、その完成が、なんと!明治三十九年(1906年)までかかったという膨大な・・・まさに「大日本史」です。
手のつけられない不良だった黄門様(今日は黄門様と呼ばせていただきます)が、司馬遷の『史記』に出会って、ヤンチャ坊主から一転、学者への道を歩み始めた事は、黄門様のご命日の日に書かせていただきました(12月6日参照>>)が・・・
先代の女グセの悪さから、次期藩主候補・11人が全員側室の子という事態となった水戸藩・・・おそらく黄門様は生まれた時から後継者争いに巻き込まれていたのでしょう。
不良になったのも、そんな駆け引きの渦巻く大人の世界がいやだったのかも知れません。
しかし、正保二年(1645年)の春、黄門様18歳の時、かの司馬遷の『史記』の中の『伯夷伝』という「王位を兄弟で譲り合う話」に感動し、兄・頼重の子に水戸家を継がせる決意を固めます。
そして、「歴史を知る事で、人は変われるのだ」という事を知り、彼は、その時から『大日本史』の編さんに打ち込む事となるのです。
明暦三年(1657年)からは、江戸駒込の屋敷内に彰考館を建て、本格的に事業に打ち込みはじめます。
実は、この『大日本史』の編さんに当たって、日本中の史跡を駆け巡って史料を集めた人が、佐々木介三郎宗淳(ささきすけさぶろうむねきよ)さん・・・この人が時代劇の助さんのモデルで、助さんが集めてきた史料を整理して執筆をしていたのが、安積覚兵衛澹泊(あづみかくべえたんぱく)さん・・・この人が格さんのモデルだろうと言われています。
この時の助さんの史料集めが、『水戸黄門漫遊記』なる時代劇を生み出し、黄門様自身が、全国を旅する痛快なドラマとなったワケです。
そんな中、黄門様が日本で初めて行った事があります。
・・・え?、くつしたを履いた?ラーメンを食べた?
もちろん、それも合ってます・・・よく、テレビで聞くうんちく話ですが・・・
この『大日本史』関連での黄門様の日本初は、「学術的な目的で本格的な古墳の発掘調査をした」という事です。
それは、栃木県にある『侍塚』・・・数百メートルの間をおいて、南側に『上侍塚古墳』。
そして、北側にある『下侍塚古墳』という二つの古墳です。
時は、元禄五年(1692年)2月。
発掘の主任は、梅平(うめひら)村・名主の大金重貞(おおかねしげさだ)さん。
発掘の隊長は、例の佐々木介三郎宗淳さん。
もちろん、スポンサーは黄門様です。
事の発端は、その重貞さんが、自分が名主を務めるこの土地の事をイロイロ書きとめた『那須記』というのを、たまたまおしのびでやって来た黄門様に献上したのです。
その中に『傘石様』と呼ばれる昔の石碑が無造作に捨てられている事が書かれていて、それを読んだ歴史好きの黄門様・・・「古い石碑をそのままにしておくのは、しのびない」と、助さんに修復・再建するように命じます。
その時、助さんは、この石碑に書かれていた150文字ほどの中から、判別できる『那須宣事抵』なる文字を読んで、「これは、昔の官職名ではないか?」と判断します。
このニュースを聞いた黄門様・・・歴史好きの性がうずきます。
「すぐに、その人物の実名を探索せよ」とのお達し。
「それなら近くに古墳があります。ひょっとしたらその古墳の主がその人かも?」という事になり、当時、『車塚』、あるいは『ひょうたん山』と呼ばれていた『侍塚』が発掘調査される事になったのです。
発掘調査は、両古墳合わせて10日間にわたって行われました。
埋葬施設のほか、鏡や甲冑・太刀・高杯(たかつき)などの副葬品も多数発見されましたが、結局は、古墳の主が誰なのか?という事が特定できる物は発見されませんでした。
しかも、先ほどの『那須宣事提』は助さんの読み違えで、実は『那須直韋提』という文字で、「直韋提(あたえいで)」という那須を治めていた国造(くにのみやつこ・律令制が導入される前の大和政権の国の長)の実名であり、その石碑は、その人の生前の業績を評価した墓碑的な物だったのです。
調査しても目的が果たせなくてガッカリ・・・しかし、黄門様のスゴイところは、この調査の後です。
出土した物を、ただの一つも私物化する事なく、絵描きなどに現状を書かせた後、すべてを木箱に入れて埋め戻し、古墳の外形も全部もとどおりにして、発掘調査を終えたのです。
これは、現在の文化財保護の観点からも、発掘調査のお手本となるべき発掘調査です。
う~ん・・・お見事!
全国を旅して悪者をやっつけなくても、やっぱり黄門様はエライ!
(大日本史が皇室系図に与えた影響については、2008年の10月29日のページでどうぞ>>)
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コメント
この発掘調査の話は、いずれ私も助さんを描くつもりだったので、またその時にリンクさせて下さいね(・・っていつの話になるかわかりませんが・・・)。
見に行きましたよ、侍塚! 那須の国造碑も見てきましたがな。なにしろ、息子が長いこと栃木県に住んでいましたので(あ、烏山というホントに山の中でしたが)、あのへんはなかなか雄大で面白いですよね。しかし、よく残っていたものですわ。やはり黄門様のおかげですね。
投稿: 乱読おばさん | 2007年10月29日 (月) 19時51分
おお・・・助さん。
杉さまタイプでしょうか?
里見の浩ちゃんタイプでしょうか?
個人的には、あおい輝彦がイイかも・・・
楽しみにしてます!
ところで、「国造碑」は、今は神社に祀られていると聞きましたが・・・とにかく国宝ですもんね~ホントよく残ってました~。
古墳も・・・
明日香の石舞台なんて埋葬品どころか盛土自体が無くなっちゃってますからね~。
投稿: 茶々 | 2007年10月29日 (月) 22時07分
こんばんは!
水戸黄門私も大好きです。
光圀は水子にされるところを家老夫妻に育てられ、朝廷に仕えていた家老の妻の影響で尊王が身についたとか、水戸の徳川博物館には彰考館があり、古文書など見ることが出来ます。若い頃は吉原通いや喧嘩などかなり不良だったようですね。でも京の近衛家から迎えた奥方とのラブレターのような連歌はほほえましいです。
助さんのお墓も格さんのお墓も西山荘のある常陸太田にあります。面白いのは風車の弥七の墓と言うのも美和町と言うところにあります。現実のモデルはいたのでしょうかね・・
投稿: みどり | 2007年10月31日 (水) 19時06分
みどり様・・・こんばんは~
なんと!風車の弥七さんのお墓があるんですか?
知りませんでした。
たぶん、情報収集のために、忍びの心得のある人物を何人か雇っていたでしょうから、きっと、そういう人の中の誰かがモデルなんでしょうね。
うっかり八兵衛のお墓も、うっかり建ててあったりなんかして・・・
投稿: 茶々 | 2007年10月31日 (水) 22時22分
お久しぶりに、拝読させていただきました。
今年の8月に下侍塚古墳へ行きました。
今は栃木県太田原市に合併されていますが、隣接する那須風土記の丘館で那須国造碑の関連資料も見学しました。
下侍塚古墳は、那須国造碑の主の墓として水戸光圀があの時代に発掘を行い、丁寧に埋め戻し、さらに松を植生して保存をはかり、現在は美しい姿になっておりました。
おっしゃる通り発掘調査のお手本ですね。素晴らしいことです。
佐々木介三郎宗淳さんの直筆の手紙も残っておりました。
私の目的は下侍塚古墳周辺に半世紀ぶりに群生した「釣鐘ニンジン」(野草)を観ることだったのですが、古代、この地にやってきた渡来人(多分朝鮮人)とこの碑についてもっと知りたくなっております。
古代への旅を楽しませてくれた一日でした。
那須国造碑は現在近くの笠石神社へ祀られています。
黄門様はやはりテレビどうりの素晴らしい方ですね。
西山荘も以前見学へ行きましたが、閑静な、質素とも思えるたたずまいにお人柄が偲ばれました。長々とごめんなさい。
投稿: さと | 2007年11月 7日 (水) 12時52分
さと様・・・いつもコメントありがとうございます。
へぇ~・・・、今年、古墳に行かれたんですか?
私は写真で見るかぎりですが、広々としたいい雰囲気の場所ですね。
群生する野草を見ながら、悠久の時に思いを馳せる・・・いい時間を過ごされた事でしょうね。
投稿: 茶々 | 2007年11月 7日 (水) 15時36分
「日本人初」づくしの黄門様が、発掘も最初とは驚きw(゚o゚)w 人生の過半数を日本史編纂に費やしたのは、徳川御三家の殿様だからできたことですね。
「水戸黄門」も秋から配役が変わりますが、最近の視聴率低迷はさびしいです。次回作はゲストで大物を起用するかも?
やはりNHK大河ドラマと「創作時代劇」とは別物ですかね?創作時代劇は主人公・主要人物が架空人物のケースが多いで、時代考証さえしっかりすれば人物動向はごまかしが利く、と言うコンセプトかな?ただ、NHK大河ドラマ含めた時代劇を見る時には、俳優の年齢は無視した方がいいようですね。意識してしまうと周りの人物(を演じる俳優の年齢)と比べてしまうので。
投稿: えびすこ | 2010年7月11日 (日) 10時10分
水戸黄門の場合は、特に俳優さんの年齢は気にしないほうが良いでしょうね(^O^)
そのほうがドップリはまれます
投稿: 茶々 | 2010年7月11日 (日) 18時27分