丑の刻参り~その歴史とやり方
いつの世も、複雑怪奇な人間関係・・・悩みに悩みぬいた人には、他に解決方法が見つからないのかも知れませんが、この科学の発達した21世紀でも、「縁切り寺」や「縁切り稲荷」といった所に願をかける人が後を絶たないのだとか・・・。
京都は、河原町通りの法雲寺というお寺の片隅にある菊野大明神・・・。
あの小野小町(3月18日参照>>)のところに百日間通い、百日目にこがれ死にしたという深草少将が、小町を思いながら、毎夜座った石がご神体なのだそうです。
ほこらの裏側にある小さな穴に、縁を切りたい人の名前を書いた紙を押し込むのだそうで、その願いの暗さのせいか、中もとっても暗かった・・・
(注:私は縁を切りに行ったわけではありません。)
よく似た感じのお参りに、有名な『丑の刻参り』というのがあります。
この丑の刻参りは、「人を呪い殺すために願をかける」という、縁切りよりはるかに暗い祈願ですが、これがけっこう歴史があるのです。
古くは平家物語に書かれています。
以前、『橋の日』(8月4日参照>>)という記念日の日にチョコッとご紹介した『宇治の橋姫』のお話です。
嵯峨天皇の頃(809年~823年)に、夫の浮気に嫉妬した女が、貴船大明神に参詣して7日間籠り「憎い女をとり殺したいので、生きながら鬼にしてください」と願います。
すると、貴船の神は、「鬼になりたければ姿を変えて21日間、宇治川に浸かればよい」と答えたのです。
女は、髪を松やにで固めて五つの角を作り、顔や体を赤く塗って、頭には鉄輪をかぶり、松明を口にくわえて、深夜の都大路を疾走し、宇治川にその身を浸します。
やがて、21日たって、念願の鬼となった彼女は、自分を「あさましい・・・」と、さげすむ者すべてをとり殺したと言います。
室町時代から江戸前期頃に書かれた御伽草子では、かの女性は、やはり7日間『貴船明神への丑の刻参り』をした後、21日間宇治川に浸って、生きながら鬼となった後、憎い夫を殺そうと都に戻ってきた時、平安のスーパースター・安倍晴明によって追い払われ、念願は叶わなかった事になっています。
このように、少しずつ違っていた「丑の刻参り」が、時代劇で登場するような手順に定着するのは、江戸時代の頃・・・その方法は・・・
まず、手製のわら人形を用意。
当日の服装は白衣と白帯。
髪の毛はシャンプーして油分を落としておきます。
ただし、香油は呪いの効力を上げるのでOK.
頭には五徳(鉄輪)をかぶり、そこにろうそくを立て、首からは鏡を下げます。
黄楊(つげ)でできたクシの歯のほうを口でくわえ、高ゲタをはいて現地まで行きます。
ここで、裸足になって境内に入りますが・・・
実は、もう一つアイテムが必要です。
帯のところに、動物のシッポのように木綿(一反)の端をくくりつけ、もう一方の木綿の垂らしたほうの端っこが境内の地べたにつかないスピードで目的の木まで行かなくてはなりません。
木綿が一反=約11mです。
まさに疾走です。
仮に、約11mの布をヒラヒラさせながら到着したとして・・・
かのわら人形を取り出し、人形を五寸釘を使って、木にカナヅチで打ちつけるのです。
この時、決まった呪いの言葉はありませんが、「アホ!ボケ!」とできる限り汚い言葉を大声で吐き続けなければなりません。
しかも、以上の事を、誰にも見られる事なく、7日間続けなくてはならないのです。
・・・てか、木綿ヒラヒラ疾走の時点でムリでしょ・・・
そんな事できるなら、とっくに世界を目指してます。
だいたい、高ゲタはいて、真夜中に山道登ってるだけで
「私…今、何してんやろ?」
「どう見えるんやろ?」
と、一気にテンションだだ下がりです。
しかも、今まで、丑の刻参りの呪いで死に至ったという、ちゃんとした話は一つもありません。
勘違いしてしまいそうですが、よく考えると平家物語も御伽草子も、丑の刻参りで呪い殺したのではなく、自分で殺しに行ってます・・・どっちも失敗してますし・・・。
・・・にも関わらず、先の平家物語や御伽草子の記述のせいか、いまだに、貴船神社の境内では、五寸釘やわら人形が見つかるのだとか・・・。
確かに貴船神社の奥の院は、昼なお暗く、丑の刻参りの発祥の地にふさわしい、空気の張り詰めたような雰囲気が立ち込めてはいますが、それは、神々しい厳かな空気に他なりません。
貴船神社によれば、この丑の刻参りは、神聖な霊場を汚す行為で、決して、神様が願いを叶える事はないのだそうで、五寸釘やわら人形は、定期的に点検して、見つけ次第、撤去しているとの事。
こうなったら、迷惑行為以外の何物でもありません。
また、以前、とあるニュースサイトの『丑の刻参りは罪になる?』というテーマで、弁護士さんが「呪っただけでは罪にならない」と回答されていましたが・・・
確かに、心で呪っただけでは罪にはならないかも知れませんが、丑の刻参りは、シッカリ罪になりますので、やってはダメです。
それは・・・
神社の境内は自由に出入りできる所が多いですが、実際には、神社側が定めた本来の目的以外の理由で境内に入ると「不法侵入」になりますし、無断で境内の木に釘を打ちつける行為は「器物破損」になりますからね。
当時の人々の心の内が垣間見える歴史の一つとしては、丑の刻参りはとても興味深いですが・・・。
どうせ神様に願いをかけるのなら、
相手の不幸より、自分の幸せに願いをかけてみようじゃありませんか!
・‥…━━━☆
このページでご紹介した菊野大明神・橋姫神社・貴船神社への行き方はHPの【平安京魔界マップ】で紹介しています~コチラからどうぞ>>
.
「 怨霊・伝説・昔話・不思議話」カテゴリの記事
- 孝子畑の伝説~承和の変で散った橘逸勢とその娘(2024.08.13)
- 当麻曼荼羅と中将姫~奈良の伝説(2024.03.14)
- 伊賀の局の勇女伝説~吉野拾遺…伊賀局が化物に遭遇(2021.06.10)
- 七夕と雨にまつわる伝説~脚布奪い星と催涙雨(2019.07.07)
- 枚方宿~夜歩き地蔵と遊女の話(2018.01.25)
コメント
はじめまして。丑の刻参りの記事、興味深く読ませていただきました。今の時代でもやる人がいるなんて本当にびっくりですね。
投稿: tomo | 2007年10月28日 (日) 10時19分
tomo 様、はじめまして~、
コメントありがとうございます~。
・・・ほんとに・・・。
この科学が発達した現代でもやる人がいるのには驚きました~。
昔は、清水寺の地主神社でも行われていたそうですが、さすがにここは、今はもう、無いみたいです。
縁結びのほうで有名になりましたからね。
投稿: 茶々 | 2007年10月28日 (日) 14時57分
お返事ありがとうございます。そしてとても参考になるご意見ありがとうございます。まだブログになれていなくて右往左往しています。これから少しずつ改善していけたらと思っていいます。
投稿: tomo | 2007年10月28日 (日) 19時47分
tomo様、こんばんは~
いえいえ、私も、ポップアップした画像の全体が見れなくて、ずっと悩んでいたんです。
最近になってやっと「タグ」というのがわかり始めたところです。
せっかくupした画像ですから、全体を見てもらいたいですもんね。
縦長の画像には要注意です(笑)
投稿: 茶々 | 2007年10月28日 (日) 22時24分
子供の文化祭の資料として拝見させていただきました。
ありがとうございました
投稿: | 2011年9月12日 (月) 07時19分
コメントありがとうございます。
お役に立てたのでしたらウレシイです!
投稿: 茶々 | 2011年9月12日 (月) 17時33分
なんで貴船神社が丑の刻参りが多いのか?
という理由がわかって納得ですw
色々丑の刻参りには方法があるようですが
自分が読んだ何かの本では
かなづちではなく
河原で自分が拾った石で釘を打ち付ける
とありました。
余談ですが
ある神社で丑の刻参りをしている人がいて
釘を打ち込む音がうるさいと
警察に通報したらしく
警察のお世話になった人がいるらしいですw
投稿: | 2012年2月13日 (月) 17時45分
今では、7日間も人に見られる事無くやり続けるのは不可能でしょうね~
投稿: 茶々 | 2012年2月13日 (月) 23時31分
興味深く拝見いたしました。
途中からまるで忍術の修行ですね。
昔読んだ『学研マンガ・忍術・手品のひみつ』では木綿の布は肩につけることになっていますからこっちのほうが厳しいですね。この丑の刻参りマニュアルは呪いを断念させるための貴船神社のたくらみか、と思ってしまいました。
貴船神社としては「夜中に白衣を着て櫛をくわえて歩いている人は丑の刻参りなので注意してやってください」のつもりだったのが、周囲の人は関わりあおうとせず、結果、境内で藁人形が見つかるようになったのかもしれません。
個人的には五寸釘は遺跡バイトの時にお世話になりました。測定をするときに水糸を留めるのに使います。
投稿: りくにす | 2012年7月21日 (土) 19時35分
りくにすさん、こんにちは~
このページにある丑の刻参りの方法は、貴船神社の…というわけではなく、江戸時代頃に一般的に行われた方法で、貴船神社のは、平家物語や御伽草子のようなのに近かかったのかな?と思います。
地主神社も、今は縁結びでほんわかした感じですが、境内にある木には、いっぱい五寸釘の跡がありますね~
でも、歴史上、成功例が一件も無いですからね~
投稿: 茶々 | 2012年7月22日 (日) 17時53分