里見VS後北条~鎌倉・鶴岡八幡宮の戦い
大永六年(1526年)11月12日、安房の戦国大名・里見氏が、相模の後北条氏の拠点である鎌倉を攻撃しました。
・・・・・・・
戦国時代の幕開け、華やかにその舞台に踊り出た相模(神奈川県)の北条早雲。
その早雲からバトンを渡された二代目・北条氏綱でしたが、時代は、まさに群雄割拠・下克上の真っ只中で、隣国・安房(千葉県南部)の里見氏とは、常に一触即発の関係にありました。
大永五年(1525年)には、里見の水軍が三浦半島に押し寄せ、上陸作戦を試みましたが、この時は、後北条方の奮戦により、水際で防ぐ事ができました。
そして、翌年・大永六年(1526年)11月12日、里見氏は、再び江戸湾を船で越え、三浦半島に攻め寄せました。
この時の里見の軍勢は、大小合わせて数百隻の軍船を率いた大軍ですから、今回ばかりは小競り合いでは収まらない、本格的な侵略戦争の色濃いもの・・・って言っても、この時代は取ったり取られたり、初代の早雲だって他人の事、言えた義理じゃありませんからね~。
鎌倉に上陸しようと、怒涛のごとく押し寄せる里見の水軍・・・北条もあわてて船を出して応戦します。
しかし、水際の戦いでは、周到な準備の末に挑んで来た里見に軍配が上がります。
里見方は、軍船の正面におとりの人形をしつらえ、散々、北条を挑発し、相手が疲れ果てたころあいを見計らって、今度は一斉に、石や木材を投げつける・・・その間に別動隊が岩陰に潜み、前に出た北条勢に、からめ手から奇襲をかける・・・といった作戦で、12月15日、見事!鎌倉への上陸に成功します。
勢いづいた里見軍は、そのまま西方向へと進み、鎌倉の市街戦へと突入しました。
ご存知、鎌倉は鶴岡八幡宮の門前町・・・この戦いの兵火によって、鶴岡八幡宮は社殿などを失ってしまいます。
しかし、さすがに戦争を試みた里見氏も、この鶴岡八幡宮を焼くつもりは、さらさら無かったようで、源氏の守護神である宮を焼いてしまった事を、ことのほか後悔していたようです。
なぜなら、結局、この後すぐ、軍船を引き連れて安房に戻ってしまうからです。
もちろん、北条の守りの強さもあったでしょうが、意気込んで多勢の軍船を率いてきたわりには、あっさりと帰ってしまうのです。
・・・よって、この戦いは、北条の勝利と見る説と、里見の勝利と見る説とに別れる事になります。
ま・・・このブログ上では、引き分けという事で・・・。
ところで、この合戦。
北条側の大将は当然、二代目の北条氏綱という事になりますが、里見側の大将が、里見義豊(よしとよ)なのか?、里見義堯(よしたか)なのか?というところが、また微妙なのです。
大軍を率いてやって来た大将が諸説ある・・・というのもヘンな話ですが、それは、里見氏の内紛・後継者争いによるものなのです。
新田氏の流れをくむという里見氏の三代目当主・里見義通(よしみち)が亡くなって、その後継者は長男の義豊が受け継ぐのですが、彼が幼いという理由で、義通の弟・実堯(さねたか)が後見人として着く事になります。
しかし、一旦実権を握った実堯は、何年たっても義豊に当主の座を戻しません。
実は、今日の鶴岡八幡宮の戦いも、一人前になったかどうか、義豊の実力を見る合戦であったのですが、この合戦が終った後も、なんだかんだと言って居座り続けます。
先代からの重臣からは徐々に不満も出始めた所で、義豊は、実堯を襲撃し殺害するのです。
しかし、それを目の当たりにした実堯の息子・義堯が黙っていません。
もう~名前がややこしいなぁ~
とにかく、義豊と義堯はいとこ同士って事です。
天文三年(1534年)4月6日、「父の仇討ち」と称して兵を挙げて稲村城を攻撃した『稲村城の戦い』で義豊を自害に追い込んだ義堯・・・結局、この後、里見の家督は義堯の息子へと受け継がれるのです。
この一連の内紛は、鶴岡八幡宮の戦いの後に起こった出来事なのですが・・・つまり、ここで勝者となった義堯が、自分が本来の後継者である義豊を討った事を正当化するために、歴史を書き換えた可能性があるとされているのです。
近年見つかった古文書によれば、「義豊は家督を継いだ時にはすでに元服していて、叔父・実堯が後見人になる事はなかった」とされていて、それなら、鶴岡八幡宮の戦いの大将は義豊・・・という事になります。
しかし、従来の通説によれば、合戦当時は事実上、実堯が家督を継いでいて、その息子の義堯が大将という事になります。
とにかく、戦国時代という時代はまだまだ序の口・・・当主が変ろうがどうしようが、これから先、北条VS里見の抗争は、足利家の公方を巻き込んで、更なる展開を見せる事になります。
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北条VS里見の【第一次・国府台合戦】へはコチラからどうぞ>>
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