彦根城に菊は咲かない?築城時の人柱の伝説
わたくしごとながら、このブログのテンプレートを、「ひこにゃん」に変えようか?と、ひとしきり悩んでみましたが、どーも、中央の本文の部分のサイズが合わない・・・。
今のデザインの幅に合わせて、写真やイラストをupしているため、それらがすべてヘンな風になってしまうんですよねぇ~。
・・・で、今のところは、このままで行こうかと諦めてはいるのですが・・・。
この「ひこにゃん」というのは、かなりの人気者なので、ご存知のかたも多いと思いますが、「国宝・彦根城・築城400年祭」(公式ページはコチラ>>)という、現在行われているイベントのキャラクターで、兜をかぶったネコのキャラクターです。
そのゆるゆる感、ダルダル感が「カワイイ!」と大評判なのだそうです。
イベントは11月25日までだそうなので、何とか終るまでには、私も彦根城に行ってみたいと思っているのですが、まだ実現できていません。
早く行かないと終っちゃう~!
・・・、で、何で今日、彦根城かと言いますと、ちょうど季節が盛りの菊の花・・・この菊の花にまつわる彦根城のお話を、ふと思い出しまして、急遽、書かせていただく事にしました。
・・・・・・・・・・
彦根城は、ご存知のように、数少ない創建当時そのままの姿を、現在に残した天守閣を持つお城です。
お城の周りには四季折々の花々が植えられ、国宝の天守閣を美しく彩ってくれています。
しかし、このお城には、「菊の花が咲かない」という伝説があるのだそうです。
私が彦根城に行ったのは、ずいぶん昔で、この伝説の事もまだ知らず、季節も秋ではなかったので、実際にその伝説が本当かどうかを、確かめたわけではないのですが・・・その伝説は、この彦根城の築城当時の物語に由来します。
徳川家康から彦根城・築城の命が出されたのは慶長八年(1603年)の事。
関ヶ原の合戦に勝利して、その慶長八年の2月に征夷大将軍になった家康・・・まさに、ノリノリの頃です。
その命を受けたのは、関ヶ原の合戦で大活躍した井伊直政の息子・直継(直勝)です。
前年の慶長七年に、関ヶ原で受けた鉄砲傷がもとで父の直政が亡くなり(2月1日参照>>)、その後を継いだばかりの直継にとって、ノリノリの家康さんのご機嫌をそこねないためにも、亡き父へのはなむけのためにも、ここは一つ、一世一代の名城を築いてみせなければ、二代目のメンツが立ちません。
翌・慶長九年(1604年)、築城が開始されます。
天守閣の本体は大津城から移築され、そこに、彦根城ならではの、さらなるアレンジが施され、着々と工事が進んでいきますが・・・、途中で、ど~もしっくり来ない・・・。
・・・というのも、大津城の天守閣が五層なのに対し、彦根城は三層・・・何がしっくり来ないかと聞かれても、明確な答えがあるわけでもないのに、途中で工事がストップしたまま、いっこうに進まなくなってしまったのです。
その報告を聞いた直継は、一言・・・
「ならば、人柱を立てよ」
人柱とは、建物や橋を建設する時に、その成功を願って捧げるいけにえの事・・・以前も、橋姫のページ(8月4日参照>>)や、茨田の堤のページ(6月25日参照>>)でご紹介しましたように、意外にも、古代より近世のほうが盛んになった風習です。
しかし、城主さまは簡単にそうおっしゃいますが、人柱になるほうはそんなに簡単にはいきません。
まして、「人柱は生娘のほうが効果がある」なんていう暗黙のルールのような物もあったりなんかする中、選ぶ家臣たちも人の子・人の親・・・若い娘を人柱に・・・なんて、おいそれと頼めるわけもありません。
そんなある日、一人の藩士が家に帰ると、妻が心配そうに声をかけます。
「まぁ、あなた、どうなさったざぁ~ますの?最近お疲れのご様子で、ワタクシ心配でございますわぁ」
どうやら、悩みに悩んでいるのが、顔に出ていたようです。
・・・で、その藩士は「コレコレこういうわけで・・・」と、妻に説明したのです。
すると、シャッ!っと襖が開いたかと思うと、藩士の娘が登場し、「そんなら、私がなったる!」と・・・。
どうやら、娘も、最近の父の様子を心配していたようで、「自分がお役に立つ事ができるなら・・・」と言ってきたのです。
当然、両親は猛反対で、娘をさんざん説得しますが、両親を押しのけ「直訴してでも、なる!」と言って聞きません。
娘の決意が固い事をさとった父は、仕方なく娘を連れて直継に会いに行くのです。
その当日・・・娘は、白無垢に身を包み、白木の箱に入れられ生き埋めにされます。
その姿は、天女のように美しく、最後の瞬間まで笑みをたたえていたと言います。
その娘の名前は「菊」と言いました。
人柱を立てた後は、ウソのように工事が順調に進み、やがて、名城・彦根城は完成するのですが、それ以来、このお城には、なぜか菊の花が根付かず、飾ってもすぐに枯れてしまうのだとか・・・
しかし、これは一般的に伝わっている伝説。
現地・彦根に伝わる伝説には、この後にまだ後日談がついているのです。
それは、悲しみに打ちひしがれていた両親に、お城から出仕の命令が下され、「何事か!」と二人があわてて登城すると、ある奥の間に通され、そこで、ひとりの女性と面会します。
「お久しゅうございます・・・」
と挨拶した女性は、なんと、娘であった・・・というのです。
実は、あの時、城主・直継は、礎石の下には空の木箱だけを埋めて、お菊さんを助けていたのです。
お菊さんを直継が助けた理由には・・・
あの時「人柱を・・・」と騒いだのは重臣たちで、直継自身は人柱という行為に反対していたから
だとも・・・
「私をどうぞ・・・」という父を思う娘の健気な心に感動したから
だとも・・・
お菊さんがメッチャ美人だったから
だとも・・・イロイロな噂があります。
たとえ、その理由が「いつか、この美人を俺のモノに・・・」という、殿様のよこしまなエロ心だったとしても、とにかく助かっているのならひと安心・・・
地元では、どうやら、直継さんは、心やさしい殿様(もちろんエロ心も無し)だったというハッピーエンドの伝説のほうが根強いようなので、ひょっとしたら、今頃、彦根城には、満開の菊の花が咲き誇ってるかもしれませんね。
今日のイラストは、
やはり、季節の『菊の花』で・・・
伝説のお菊さんのように、さわやかな、華やかなイメージに描いてみました~
.
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コメント
はじめまして。
8月に越後の謙信公祭に友人と車で行った際に立ち寄ったサービスエリアで「ひこにゃん」と初遭遇しました。
友人から聞いてはいたのですが、確かに可愛い~かも。つられてストラップをゲットしてしまいました。
顔もですが足の形が横に流れてたり、座ってたりと面白いと思いました!
投稿: atori | 2007年11月 4日 (日) 16時18分
atoriさま、コメントありがとうございます。
「ひこにゃんグッズ」ゲットされたんですね。
私としては、もし、イベントが終っても、彦根城はありますが、「ひこにゃん」は今しかないのかな?とちょっとあせり気味です。
「ひこにゃん」のライバルという設定で、ダーティーなイメージの「しまさこにゃん」や「いしだみつにゃん」もいるそうなので見てみたいですね~。
投稿: 茶々 | 2007年11月 4日 (日) 19時57分
リンクありがとうございました。
今後とも宜しくお願い致します。
学生時代、ゼミ旅行で彦根へ行きました。
その頃「ひこにゃん」はまだ影も形もなかった~
ひこにゃん効果で、彦根城はカップルが訪れるほどの人気スポットと聞きましたが、今後この成功例を倣って、あちこちの観光名所でキャラクターが生まれるかもしれませんね~
投稿: hal@くるり京都 | 2007年11月 5日 (月) 00時33分
hal@くるり京都さま、こんばんは~。
確かに・・・絶対、出てきますね~2匹目のドジョウを狙ったキャラが・・・。
「ひこにゃん」のあまりの人気に、私個人的には、最近、ミョーに「にゃんまげ」が、気にかかります。
「にゃんまげ」は、もう少し太って、ゆるゆる感を出したほうが・・・今のままではスレンダー過ぎるのかも・・・。
投稿: 茶々 | 2007年11月 5日 (月) 02時12分
そういえば何年か前に彦根城も台風で一部崩れましたね。こちらはすぐに補修できたんですが、熊本城は再建までに何年かかる事か…。
来年はひこにゃんが浜松に「出張」するかも。菅田将暉くんが井伊直政役に決まりました。
auの鬼ちゃんが「井伊の赤鬼」の異名を取った人物を演じます( ̄ー ̄)ニヤリ
投稿: えびすこ | 2016年7月22日 (金) 18時24分
えびすこさん、こんばんは~
1日も早い復興を願ってます。
来年も楽しみですね。
投稿: 茶々 | 2016年7月23日 (土) 01時49分