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2007年11月14日 (水)

天武天皇も奥さんに怒られた?日本のギャンブル「双六」の歴史

 

11月14日は、全国遊技業協同組合が設立した「パチンコの日」だそうです。

・・・・・・・・・

パチンコの元になったのは、アメリカで生まれたコリントゲーム

スマートボールとも言いますが、台が斜めになっていて、「玉をはじくとコロコロ転がって釘をすり抜けながら連なった穴に入り、縦横斜めに並べばOK!」という、卓球とともに温泉には欠かせないアレです。

昔は、夏休みの工作なんかに作ったりもしました。

そんなコリントゲームの台が縦になって日本に伝わり、昭和五年(1930年)11月14日には名古屋で、パチンコ店・第一号の営業が許可されたそうですが、全国的に大流行し始めるのが、太平洋戦争が終ってまもなくの頃・・・。

娯楽の少なかった時代に、突如として現れ、またたく間に大ヒットとなったのです。

それにしても、パチンコに限らず、そして、洋の東西を問わず、どうして人はこんなにギャンブルが好きなんでしょうねぇ??

以前、『いい碁の日』(1月15日参照>>)にも書かせていただきましたが、ああいうのを見ると、「時代が変わっても同じなんだなぁ」って、遠い昔の人に親しみを感じたりします。

ドイツの賭博研究家(そんな肩書きあるんや!)の名言に、「賭け事は人類とともに発生している」というのがありますが、ホント、おっしゃる通り、きっと、ヤリでマンモスを追っかけてた時代からあったんじゃないか・・・なんて気もしますね。

文字よりも先に誕生してたりなんかして・・・

ただ、こういう系は記録に残り難いような???
記録として残ってないと歴史としては語れませんからね~。

・・・で、日本で最も古いギャンブルの記録は・・・やはり『日本書紀』にあります。

「天武天皇十四年、大安殿に御し、王卿をして博戯せしむ」
天武十四年と言えば、西暦685年

いい碁のページに書きましたように、囲碁が中国から伝えられたのが大宝律令の701年頃とすると、やはり、こちらのほうが15年早い事になります。

・・・で、この時、何をして賭けごとが行われたかと言いますと、それは「双六(すごろく)です。

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「彦根屏風」に描かれた双六に興じる人々(彦根市蔵)

これは、今、皆さんが思い描く双六ではなく、『盤双六』という、約30cm~40cmくらいの双六盤に向かい合って、二人で勝負する双六です。

白と黒のコマを15ずつ持ち、竹筒に入った2個のサイコロを振り、出た目の数だけコマを進め、早く相手の陣地にたどり着いたほうが勝ち・・・というルールでした。

もちろん、この時は、「天皇自らが勝負する」という事ではなくて、おそらく「天覧試合」という形で行われたのでしょうが、天武天皇以下、多くの人の目を釘付けにした事は確かでしょうね。

『万葉集』には、
♪ひとふたの 目のみにはあらず 五つ六つ
  三つ四つさえあり 双六のさい♪

・・・なんて歌も詠まれているくらいですから、きっと宮中で大流行したんでしょうね。

・・・で、そうなってやりすぎると怒られるのが世の常です。

もちろん、日本書紀には、「天武天皇が嫁の持統天皇に怒られた」とは書いていません。

日本書紀は政府の公式文書ですから、もし、仮に怒られたとしても、そんな事は書くわけないですし・・・。

実は、天武天皇は、この双六の天覧試合のあった翌年・686年に亡くなっているのですが、その後を継いで、持統天皇として即位したのが奥さんの鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)・・・その夫の死から、わずか3年後の持統三年(689年)12月8日に、『双六禁止令』を出しています。

なんか、想像ですが「奥さん、メッチャ怒ってはりますやん!」
・・・て、感じしませんか?

しかし、この禁止令は、その後も度々出されているので、やっぱ、いくら禁止しても、人間、なかなかやめる事ができなかったんでしょうね。

多少の金品も動いていたようですし・・・。

やがて、室町時代の頃には、この盤双六は完全にバクチと化してしまい、その後の江戸時代には、双六の道具の一部であったサイコロのみで賭ける・・・そう、あの時代劇でよく見る「丁か?半か?」というバクチの王道をたどる事になります。

こうして、盤双六がすたれる一方で、逆に、『絵双六』という、お正月によく見るお馴染みの双六が登場してきます。

このパターンの双六は、寛文年間(1661年~1673年)に、『仏法双六』と呼ばれる物が最初とされています。

仏法双六は、わかりやすい絵が書かれた物で、「良い目が出ると極楽に行き、悪い目が出ると地獄に落ちる」という人生ゲームさながらの双六でしたが、これは天台宗の教えを、若い僧に目で見てわかるように教える教材として生まれた物でした。

やがて、こちらは江戸時代には、「江戸をスタートして京都であがり」となる『道中双六』や、「田舎から出てきた少年が、ちゃんこ番から幕下になり、苦労の末、やがて横綱になる(かわいがりは無し)という『出世双六』など、子供の遊びの定番として今に伝えられるようになったのです。

以上、今日は、『パチンコの日』という事で書き始めたのに、途中から、双六の話になってしまいました~
パチンコやらないもので・・・申し訳ないっす<(_ _)>
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