江戸で豪遊~吉原の花魁遊びはいくら?
今日は、チョコッとくだけたお話を・・・
江戸時代も半ばになって太平の世が続くと、人の心にも余裕という物が出てきます。
余裕が出てくると、若者が遊びに恋に・・・と奔走するのは、いつの時代も同じ・・・。
以前も、江戸時代に大流行した恋グスリ=媚薬のお話(5月1日参照>>)をさせていただきましたが、今日は、いわゆる女遊び=吉原のお話をさせていただきます。
・・・・・・・
時代劇のそういった場面でよく耳にするのは、『吉原』と『岡場所』という物ですよね。
岡場所の「岡」は、両思いの恋人同士に横からチョッカイを出す横恋慕の事を「岡惚れ」と言うように、「横」とか「隣」なんて意味がありまして、要するに島原のお客を、横っちょから引っ張る・・・あるいは、おこぼれに預かってる、みたいな感じで岡場所と呼ばれました。
ちなみに、元和三年(1617年)3月に江戸初の遊郭ができた場所が日本橋葭町(現在の人形町)で、当時は一面に葦(あし・よし)の茂る原っぱだった事から遊郭の名を「葭原(よしわら)」称して開業したのが、後に、遊郭が建ち並ぶその場所を「吉原」と呼ぶようになったのだとか・・・その後、明歴二年(1656年)12月に江戸幕府の命により浅草千束へ移転しています(12月24日参照>>)。
ちなみのちなみに、江戸幕府が公認した遊郭は、
江戸の吉原、
大坂の新町、
京都の島原、
の3ヶ所です。
それぞれ三名妓と呼ばれる代表格は、
吉原の高尾大夫(2月19日参照>>)、
新町の夕霧大夫(1月7日参照>>)、
島原の吉野大夫、
でした。
とは言え、上記の彼女たちは、最高級の遊女屋にいる最高級の女性たち・・・とてもとても、一般庶民は手が出ません。
大体、想像つきますが幕府公認の遊郭というのはメッチャ高級なところ、客のほとんどは大名や旗本などで、中級の武士でさえ、殿様のお供として、たまのラッキーが訪れるだけ・・・。
武士と言えども下っ端なら、約3年分の給料が飛んでしまうくらいの費用がかかるのですから、下級武士や一般庶民は岡場所へ・・・という事です。
ただ、そんな大名・旗本の吉原通いも、明暦の大火(1月18日参照>>)をさかいに一変します。
大火の復興のための、材木商やら職人やら何やら・・・とにかく、元禄の頃には、金回りの良い町人がはばをきかすようになります。
あの紀伊国屋文左衛門(2月9日参照>>)が、お座敷で小判をバラまいて・・・っていうのもこの頃です。
「火事と喧嘩は江戸の華」と、いうくらいですから、火事のたんびに町人は儲かり、逆に武士は天下泰平で出る幕なし・・・ますます、吉原は町人の天下となっていくのです。
ただ、町民の天下となった吉原にも、定期的に通う武士が一部だけいました。
やっぱ大名?旗本?・・・いえいえ、各藩の留守居役という人々です。
留守居役というのは、地方の藩と、江戸の幕府を橋渡しする大事なお役目。
幕府からいきなり、「○○藩が、どこどこに橋を架けろ」なんて言われでもしたら、この財政難に、藩の存亡に関わってきますから、幕府のお役人のご機嫌取りに・・・つまり、アレのアレ・・・毎週、奥さん連れでゴルフして焼肉食べて、娘の留学費も出してもらっちゃってるアレです。
もう、「人は成長しないのか!」って感じですね~。
ところで、そんな高級な吉原の遊びはどんな風だったのでしょうか?
時代劇で目にする『花魁(おいらん)道中』・・・。
あんな美人とめくるめく一夜を過ごすには、いくらかかるんでしょう?どうしたらいいんでしょう?
・・・て、事で、まずは、吉原の大門を入った所にある『引手茶屋』に向かいます。
ここは、その名の通り、花魁を手引きしてくれる場所で、ここを通らないと花魁には会えません。
もちろん、茶屋ですから、すでに、ここに、一組三人の芸者さんが待機・・・店の主人も含め、一人に最低一分のチップが必要です。
ものすご~いい大まかな計算ですが、大体の価値として・・・一両が10万円くらいかな?・・・で、四分で一両だから・・・一人2万5千円?。
ここで、ひとしきり騒ぎますが、もちろん酒代・遊興費は別で、大体一回の大騒ぎで六~七両は飛びます。
すると、茶屋から連絡を受けた花魁が、番頭や禿(かぶろ・花魁の世話をする女の子)を連れて、お客を茶屋に迎えに来るのです。
ちなみに、この迎えに来る道のりが『花魁道中』です。
そして、花魁を迎えて、もう一回、茶屋でドンチャン騒ぎで、もちろん騒ぎ代は、またまた本人もち。
ひとしきり騒いだら、花魁と一緒に、今度は遊女屋へ移動します。
ただし、この時、花魁の連れてきた男衆や禿だけでなく、茶屋の主人やおかみ・女中なども、ぞろぞろと30人ほど一緒について来ます。
遊女屋に到着したところで、全員にチップを・・・さっきの計算でいくと、七~八両ってとこですね~。
遊女屋で、座敷に通されて、花魁と、ごた~いめ~ん!
「やっと思いが~!」と思いきや、花魁とはちょこっと盃をかわすだけで、とりまきたちとのドンチャン騒ぎが始まり、またもや遊興費は本人持ち。
しかも、「初会」はこれで終わり。(見ただけかい!)
・・・で、次ぎが「裏」と呼ばれる2回目のご対面。
これも初回と、まったく同じ事をやって終わり・・・ただし、花魁の衣装がちょっと「馴染み」のお客用の色っぽいのに変わるらしい。(またもや、見ただけかい!)
そして、3回目が、いよいよ、その「馴染み」となるのですが、さすがに馴染み客となれば、お茶屋には、お客専用のお箸が用意され、とりあえず特別扱いのドンチャン騒ぎ。
それが終れば、やっとお布団の敷いてある部屋に案内されます。
ただし、今回は特別なだけあって、チップも特別です。
最後の最後に、とりまきだけでなく、遊女屋全体の人数分のチップと三両の「馴染み金」というのを支払います。
ザ~ッと計算すると・・・370万×3回+馴染み金30万で・・・1140万円!?
しかも、店全体の従業員数か未知数なので、もう、スゴイ事に・・・。
もちろん、これは吉原でも最高級の遊びです。
高級を売りにしている吉原でも、さすがに、これだけではやっていけませんから、最高級の「大見世」というお店以外にも、もう少し軽い「中見世」「小見世」というお店もありました。
大見世の場合でも、花魁道中をパスしたりできるシステムもあり、中見世や小見世なら、お茶屋を通さずにできるシステムもあったとか・・・。
女から見れば「そうまでして致したいか?」と言いたくなりますが、考えてみれば、ほとんど見栄というか、優越感を味わいたいとかっていう事でしょうね。
まぁ、「いきなり」ではそっけないですからね~。
ま・・・いつの世も、ウチら庶民には、「そんなの関係な~い」って感じですが・・・。
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