ペンネーム・夏目漱石~ご命日によせて
大正五年(1916年)12月9日は、あの夏目漱石さんのご命日です。
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どんなに国語が嫌いでも、漱石さんの名前は知らない人はいない・・・作家としては日本一有名な人でしょうね。
小説をまったく読まない私でも知ってるくらいですから・・・。
慶応三年(1867年)に東京で生まれた漱石さんは、東大卒業後、松山中学・熊本五高の教師を経て、33歳の時に、文部省から2年間のイギリス留学を命じられ、帰国後、第一高等学校教授と東大英文科の講師を兼任します。
この頃、第一高等学校の生徒が日光・華厳(けごん)の滝で投身自殺を計り、漱石さんも、かなり心を痛めたようですが・・・。(5月22日参照>>)
その後、一発目に書いた『我輩は猫である』が大ヒットし、教師を辞めて作家に専念しますが、そんな40歳を過ぎた頃から胃潰瘍に悩まされるようになり、入院・手術を経て、精神的に落ち込む事が多くなります。
そんな中でも執筆活動を続ける漱石さんでしたが、大正二年(1913年)、46歳の時に、強度の神経衰弱と胃潰瘍が再発します。
さらに糖尿病と診断され、治療を受けながらも『明暗』を執筆していましたが、大正五年(1916年)12月9日、大内出血により危篤状態に陥り、午後6時45分、49歳でこの世を去りました。
歯切れの良い文体で、おもしろく風刺を効かす・・・「価値」や「無意識」といった漱石さんの造語は、いまや完全に日本語となり、近代口語体小説への貢献は計り知れません。
そんな、漱石さん、本名は金之助で、「漱石」という名前がペンネームなのは、もうご存知でしょうが、親友・正岡子規(しき)から、もらったという「漱石」という名前・・・これは、「石に枕し、流れに漱(すす)ぐ」という、中国の名言に由来しています。
この名言は、もともと「隠遁(いんとん・世間から離れて隠れるようにひっそり暮らす事)」の精神を表す言葉として用いられていました。
ところが、中国は晋の時代(265年~316年頃)、孫楚という一人の男が友人との雑談中に、若い頃、哲学的な思いにふけって隠遁生活にあこがれたという話をしている最中に、「石に枕し、流れに漱ぐ」と言わなければならないところを、つい間違って「石に漱ぎ、流れに枕す」と言ってしまったのです。
即座にツッコミを入れる友人・・・
「流れに枕したり、石に漱いだりできるかいなっちゅーねん!」
・・・と、ここで、
「やってられんわ~」
「ほな、さいなら~」
と、漫才なら、落として終るところですが、この孫楚さんという人・・・負けず嫌いの頑固者。
自分が、つい間違ってしまった事をからかわれて、このまま引き下がるわけにはいきません。
そこで・・・
「流れに枕するのは、耳を洗うためで、石に漱ぐというのは、歯を磨くためだ」と主張し、絶対に言い間違いを認めなかったのです。
その逸話から、無理やりこじつける事、また、そのこじつけが上手である事を、「漱石枕流」という言葉で言い表すようになったんだそうです。
「流石」と書いて、「さすが」と読むのも、「さすがにうまい事こじつけるなぁ」という事で、この故事に由来するのでは?と言われています。
・・・で、夏目さんの「漱石」という名前を見てみると、昔からある中国の名言のほうではなくて、孫楚とう人の誤用のほうの逸話から名前をとったわけで、つまりは、頑固者、ひねくれ者といった意味が、この名前自体に込められている事がわかります。
流石!漱石さん・・。
*漱石の死に関連するお話【「明暗」を書き終えたら…夏目漱石のやり残した事】もどうぞ>>
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コメント
「数年前までの千円札」の夏目漱石ですが、その末裔が今年、「商標・夏目漱石」をめぐってもめているようです。
NHK教育テレビでも有名な嫡孫の房之介氏は、「特定の人(別の子孫が運営する団体)による独占は良くない」と主張。
CMに漱石の血縁者の子孫が夏目漱石に扮して登場してもいますが、「坊っちゃん100周年」を機にブームが再燃しています。
一時多かった、「坊っちゃん」の映画をまた製作してほしいと思います。
投稿: えびすこ | 2009年12月 3日 (木) 09時12分
えびすこさん、こんばんは~
そう言えば、伊達家の家紋も・・・
投稿: 茶々 | 2009年12月 3日 (木) 23時27分