「かつお節」の歴史~かつお節の日にちなんで
毎月24日は『かつお節の日』という事で、今日はかつお節のお話を・・・
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『日本書紀』によれば、「第12代・景行天皇の頃(71年~130年頃)、天皇が上総(千葉県)に旅行された時、供をしていた磐鹿六雁命(いわしかむつかりのみこと)が、弓弭(ゆはず)なる道具で、カツオを釣りあげて「カタクナウオ」と名付けた」とあります。
この磐鹿六雁命という人は、別の日には白蛤(しろはまぐり)を取って膾(なます)として料理し、天皇から膳(かしわで)という姓を賜ったとされる人で、現在も料理の神様として祀られています。
そんな磐鹿六雁命が釣った「カタクナウオ」・・・。
その名前でも想像がつくように、カツオは古代からすでに、生ではなく、加工されて食されていた魚でした。
昔は、「生カツオは中毒になる」とされていて、生で食べる習慣がなかったのです。
江戸時代に勇気ある武士によって初めて生で食され、その美味しさが一気に広まるまでは、一般的には、頭と尾を取り、軒において雨に打たせて「毒性(古代にはそう信じられていたので・・・)」を流し、堅く干した後、削って食べていたので、堅魚(かたうお→かつお)・・・その文字も「鰹」となったと言われています。
平安時代には、その干しカツオは『堅魚煎汁(かつおいろり)』という名前で、各地から中央への税として納められるようになります。
朝廷での食事の際は、天皇自らが腰にさした小刀でカツオを削り、そこに女官が熱湯を注ぎ入れ、おめぐり(塩や酢・醤=ひしおなどの調味料の事)を使って、味を調え、食したとされています。
平安時代の貴族の魚介類の食べかたは、カツオに限らず、固く干した物を上記のように湯でもどして・・・といった形で、品数こそ十・・・二十とあって豪華でしたが、その内容はかなりかたよっていたようです。
カツオが現在のように、燻乾法によっていぶされ、本格的に「かつお節」となるのは江戸時代からです。
紀伊・熊野の甚太郎という漁師が、嵐に遭い土佐(高知県)に漂流した時、土佐にはカツオが豊富にある事を知り、土佐に移り住んで、大々的にかつお節製造業を始めたのが最初なのだとか・・・。
土佐藩もそれを保護し、「御用節」として幕府に献上し、土佐のかつお節の名は、全国的に知られる事となるのです。
やがて、太平洋岸の各地で、かつお節の生産が盛んになりますが、やはり元祖・土佐の座は揺るがずといった感じでしょうか・・・。
寛永年間(1660年頃)には、かつお節問屋も登場し、その記録の中には「にんべん」の名も見えます。
カツオはいぶす事によって、煙の中のクレオソートという成分が筋肉の部分まで入り込み、腐敗を防ぐとともに風味を与えるのだそうです。
つけられたカビは酵素を作り出し、カツオの脂肪を分解し、うま味と香りをもたらす・・・かつお節のうま味成分・イノシン酸Naと、昆布のうま味成分・グルタミン酸Naの相乗効果は、日本だけにとどまらず、もはや、世界的に知られるものです。
かつお節の発明は、チーズの発明に匹敵する食の世界の大発明・・・世界に誇れる日本の味なのです。
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