東海道線に食堂車・登場!
明治三十四年(1901年)12月29日、東海道線の急行列車に食堂車が登場しました。
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・・・と、言っても、それ以前の明治三十二年(1899年)に、民営の山陽鉄道・神戸⇔広島間で、食堂車らしき物はすでに走っていました。
しかし、それは、「一等車両の一部に食事ができるコーナーを設置した」といった感じの物で、現在「食堂車」と聞いて、頭に思い描く感じの食堂車では無かったようで、やはり、本格的な食堂車は、明治三十四年(1901年)12月29日に登場した官設の東海道線の物・・・という事になるかと思います。
ただし、これも新橋⇔神戸間のすべてを走っていたわけではなく、つないだり、切り離したり・・・と、メチャメチャややこしい物だったんです。
・・・と、言うのも、食堂車をつないだままでは、当時、難所と言われていた箱根と逢坂の山を越える事ができなかったんですねぇ。
まぁ、以前も書かせていただきましたように、あの『鉄道唱歌』が発表されたのが、前年の明治三十三年(1900年)(5月18日参照>>)ですから、あの雰囲気を想像してみると、少しは納得できる感じですね。
とにかく、食堂車・1両を連結して新橋を出発した列車は、国府津(こうず)でこれを切り離し、沼津にて今度は2両を連結して馬場(膳所・ぜぜ)で、また切り離す。
そして、京都で、またまた1両を連結して終点・神戸まで向かう・・・といった物でした。
そんなこんなの食堂車は、とにかく高級志向・・・もともと、1等・2等車両を利用する紳士たちの社交場的な目的で作られたのが食堂車ですから、当然っちゃ-当然なんですが・・・。
では、では、東京精養軒が担当した、開業当時のメニューをご紹介。
12銭:スープ、オムレツ、魚フライ
15銭:タンシチュー、コールドチキン、ビフテキ、ライスカレー(カレーライスではなくライスカレーな所が、いかにも高級そうです~)
その他に、パンが3銭で、コーヒーが5銭
「汽車の料理屋」と呼ばれた食堂車・・・上記の値段はすべて、単品の値段です。
やがて、単品だと、ややこしかったのか、明治三十九年(1906年)になると、セットメニューに変更されます。
メニュー名は「西洋料理」となり、1等が70銭、2等が50銭で、他にビールが25銭でコーヒーが5銭。
かけそばがだいたい2銭5厘の時代だそうですから、列車内での食事としてはかなりのお値段という事になります。
とても、とても、庶民には、手が出るシロモノではありませんから、当然のごとく食堂車は、最初の目的通り、高級紳士・淑女の社交場としての役目をはたす事になります。
一般庶民が利用する3等列車に食堂車が登場するのも、やはり明治三十九年。
こちらには、洋食が35銭で、和食の朝食が20銭で登場・・・それでも高い気がするけど、朝食のしじみ汁は大人気だったとか・・・。
当時は長時間乗りますからねぇ。
現在は、列車の運行速度が向上して、あまり長時間乗車する事が無くなったため、ごく少数の列車のみのサービスとなってしまった食堂車。
けっこう旅情をそそられる物だっただけに、少なくなるのは寂しいですが、駅弁という楽しみもあるので、まぁ、ヨシとしましょう。
駅弁・お茶・冷凍みかん・・・この三種の神器は不動のアイテムですね~。
普段まったく食べない冷凍みかんを、電車に乗る時だけ買っていたのは、どういういきさつなのか?未だにわかりませんが・・・。
アッ!しまった!
ゆで玉子を忘れるところでした~まわり塩だらけのヤツ・・・
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