今日は電話の日~電話はじめて物語
明治二十三年(1890年)12月16日、東京⇔横浜間で日本で初めての電話創業が開始されました・・・これを記念して、今日12月16日は『電話の日』『電話創業の日』という記念日だそうです。
・・・・・・・・・
電話を発明したのは、ご存知、アメリカ人のアレキサンダ・グラハム・ベル・・・1876年3月の事でした。
とは言え、日本人と電話の関わりは意外に早い・・・
このベルの発見を聞きつけた、当時、アメリカへ留学をしていた金子兼太郎という人物が「日本語でも通じるのか?」という疑問を抱き、ベルの研究室を訪問したのです。
友人・伊沢修二(いさわしゅうじ)(5月3日参照>>)とともに、早速、試させてもらうと・・・当然の事ながら日本語もOK!
なんと、電話線を通った最初の外国語は日本語だったという、同胞としてはうれしい記録も残っています。
翌年の明治十年(1877年)には、発明者・ベルをお迎えして、工部省での通話実験が行われました。
これは、東京・溜池にある工部省と、2㎞離れた赤坂御所内の宮内省とを結ぶ電話で、明治天皇も大いに喜ばれたという事です。
しかし、一般の人々が電話を利用できるようになるのは、もう少し先の事・・・。
明治二十二年((1889年)1月、やっと東京⇔熱海間で、長距離通話が開設され、5分=十五銭という料金で利用できるようになりました。
翌・明治二十三年には、東京⇔横浜間で開設しようという計画が発足し、4月からは、広く一般に電話加入者を募集しはじめますが、なんせ使用料が年間40円・・・かなりハイレベルな高給取りの月給が20円だった時代ですから、その使用料では、なかなか加入者が集まらなかったようです。
しかも、一般の人には、電話という物がどんなに便利なのか?という事も理解できない時代ですから、結局、応募したのは、東京で179人、横浜45人・・・それも、ほとんどが大企業・大会社でした。
そして、いよいよ明治二十三年(1890年)12月16日、東京⇔横浜間での電話創業の運び・・・となったわけですが、当時の電話は、すべて交換手による手動での電話交換で、開業当時の交換手は女子9名、夜勤要員の男子・2名で行われました。
最初は、電話という物をよく理解していなかった庶民からは、「発火して火事になる危険がある」とか、「電話線を通じてコレラが感染する」なんていった、今では考えられないような噂も出たりなんかもしますが、徐々にその便利さに気づきはじめると同時に、そんな噂は無くなり、逆に、便利でおしゃれでちょっとセレブなアイテムとして人気が急上昇していき、いつしか加入者が殺到するようになります。
やがて、明治三十三年(1900年)には、新橋駅と上野駅の2箇所に公衆電話が設置され、翌・明治三十四年には、飯田橋・四谷・王子・大森・本所・新橋・品川の7箇所に同時に電話ボックスが登場し、電話は、徐々に庶民の物となっていきます。
明治三十七年(1904年)には、先ほどの交換手という職業がすべて女性となり、時代の最先端を行く、花形職業となって、やがて、大正十五年(1926年)には、ダイヤル式の電話機が登場し、その後も、電話は更なる発展を続けて現在に至る・・・という事になります。
今や、携帯電話の時代・・・交換手どころか、公衆電話も無くなりつつあるご時世・・・テレホンカードさえ過去の遺物となって、もはやコレクションアイテムですね。
ところで、電話と言えば、あの「モシモシ」という、最初の言い回し・・・これを考えたのは『テレホン大臣』の異名を持つ加藤木重敬さんだと言われています。
明治二十三年の電話導入時にアメリカに視察に行った彼が、アメリカで使用されている「ハロー」に変わる日本語はないか?と考えた時、浄瑠璃などで、相手を呼ぶかけ声として「もし・・・」と言ったり、「もうし、もうし」と言ったりするところから、「よし!モシモシでいこう!」となったらしいです。
まぁ、その「モシモシ」も最近はあまり使われなくなってきましたが・・・。
かく言う私も、あまり「モシモシ」とは言いませんね~。
それにしても最近の携帯電話の発達はスゴイ!
.
「 記念日・○○の日・歴史」カテゴリの記事
- 何だか気になる「三大〇〇」~日本三景の日にちなんで(2021.07.21)
- 色の日にちなんで~色の名称の成り立ち…基本は「黒白赤青」(2021.01.06)
- 2月14日は「ふんどしの日」(2013.02.14)
- マッチ王…清水誠と瀧川辧三~マッチの日にちなんで(2012.09.16)
- 江戸時代の帯結び…「呉服の日」に因んで(2012.05.29)
「 明治・大正・昭和」カテゴリの記事
- 日露戦争の最後の戦い~樺太の戦い(2024.07.31)
- 600以上の外国語を翻訳した知の巨人~西周と和製漢語(2023.01.31)
- 維新に貢献した工学の父~山尾庸三と長州ファイブ(2022.12.22)
- 大阪の町の発展とともに~心斎橋の移り変わり(2022.11.23)
- 日本資本主義の父で新一万円札の顔で大河の主役~渋沢栄一の『論語と算盤』(2020.11.11)
コメント
電話の日って今日だったんですね~。
ここはほんと為になってます(^^)
「もしもし」私は使いまくりです(笑)
登録してない番号には名前名乗ったら危ないんで、めっちゃ不機嫌に「はい、もしもし?」と出るので学校関係の人とか(登録してない・笑)びっくりさせてます(^^;)
電話で印象深いシーンは、現代に近いけど「となりのトトロ」で五月がお父さんに電話する場面。
緊急時、今では考えられないですよね。
茶々さんは何かありますか?(^^)
投稿: 味のり | 2007年12月16日 (日) 23時19分
味のりさん・・・こんばんわ~。
電話の思い出と言えば・・・
ウチの家の電話はPCのすぐ横に置いてあるので、こうしてPCをやってると、電話が鳴るなり、すかさず出る事ができます。
そのスピードが、かなり早いらしく、友人も、最初の一言が「モシモシ」ではなく「早っ!」だったりします。
最近は携帯ばかりで、ほとんどセールスの電話しかかかってこなくなった家の電話ですが、未だに時々「ワンギリ」がかかって来る事があります。
・・・で、そんな感じで、あるとき、真夜中にかかって来た「ワンギリ」らしき電話に切られる前に出ちゃった事がありまして・・・
なんで、「ワンギリ」らしいと思うかと言いますと、真夜中(午前2時頃)にかけて来たくせに、相手の最初の一言が「あっ!出た」ですよ~
電話なんだから「そりゃ出るだろ」
~オバケじゃないんだから「出た!ないだろう」~と様々な突っ込みを考えていたら、ガサゴソと何かのスレ合う音とともに切れました・・・
投稿: 茶々 | 2007年12月17日 (月) 01時24分