幕末・「遣欧使節団」珍道中
文久二年(1862年)1月22日、竹内下野守保徳を正史とする「文久遣欧使節団」が、イギリス軍艦オーディン号に乗り、品川港を出航しました。
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万延元年(1860年)に、例の咸臨丸で「遣米使節団」を派遣した日本。(2月26日参照>>)
その後、イギリスとフランスの公使から「ウチには来ないの?」との催促を受け、2年後の文久二年(1862年)1月22日、竹内下野守保徳を長とする38名が、ヨーロッパに向けて旅立つ事になったのです。
彼らの一番の目的は、当時、ヨーロッパ諸国から要求されていた江戸・大阪・兵庫・新潟の各港の開港の延期を直談判する事。
そして、現地では、樺太(からふと)の国境問題についてのロシアとの会談も予定されており、なかなかの重大任務を背負ってのヨーロッパ行きでした。
しかし、そんな重大な任務にも関わらず、案の定、あの咸臨丸に負けず劣らずの珍道中をやらかしてくれるのです。
・・・というのも、そもそも二つのグループに分けられる今回のメンバー・・・
一つは、渡米経験もありオランダ語にも長けていた福沢諭吉(当時29歳)や、後にジャーナリストとなる福地源一郎(桜痴・おうち・当時22歳)といった新進気鋭の若手のグループ・・・
彼らは、外国の事情にもくわしく、言わばサポート役です。
もう一つは、先ほどの重要任務を背負ったお歴々・・・任務が重要なので仕方ないのですが、彼らは、旗本の殿様クラスの重鎮たちばかりのグループ。
お察しの通り・・・この頭カッチカチの殿様たちが、イロイロと、しでかしてくれるのです。
すなおに外国の事情に精通している若手たちのアドバイスを聞けば良い物を・・・本来、彼ら若手はそのためにいるんですからねぇ。
なのに、ちっとも若手の言う事を聞かなかった事で、彼らの旅は大騒ぎの連続となるのです。
もう、ゴタゴタは出発前から始まります。
出発のいでたちは、甲冑に身を包み、ヤリをひっさげてのご登場・・・さすがに、これは、若手メンバーが何とか止めましたが、その荷物を見ると、米や醤油やお味噌まで・・・
それを、見つけた福地が必死に止めようとすると、「このケツの青い若造が何をぬかすか!」と逆ギレ状態・・・「まぁ、ヤリと違って危険物ではないので」と、ここは福地のほうが大人になって折れ、とりあえず出発はしたものの、案の定、シンガポールのあたりで、お味噌の入れ物から異臭が・・・
・・・で、かの殿様は、入れ物ごとお味噌を海へ投げ捨てて、一言・・・「味噌は竜王に献上した」
・・・だそうです。
では、お米はどうなったのか?
これは腐りませんからねぇ。
かの殿様たちが「本陣」と呼んだパリのホテルでは、夜な夜な山海の珍味が登場し、これがまた、けっこうおいしく、皆、喜んで食べまくりで、お米なんて炊く必要も無し。
しかも、殿様たちはご丁寧に、お米だけではなく、炊くに必要な道具一式を持ってきていたものだから、この先、ヨーロッパ各地を回るのにも、荷物になってしょうがありません。
結局、お米と道具一式は、ホテルの接待係のボーイにタダで貰っていただいたのだとか・・・若手の面々から見れば、「だから、出発前に止めただろうが!」って感じでしょうね。
しかし、そんな事より、一番、大迷惑だったのが、トイレです。
ホテルのトイレを殿様がお使いあそばさる時は、数人の侍がSPよろしく、刀に手をかけた戦闘状態でスタンバイ。
様式トイレの使い方がわからない殿様は、便器に腰をかけずに、当然のごとく、上におまたがりあそばします。
もちろん、ケツをこっちに向けて・・・
不安定な便座の部分に足を置いてしゃがむ事になるので、側近の者が「ぼんぼり」を持って、その部分を照らします。
しかも、ドアを全開にして・・・
当時は、各部屋にトイレが・・・という形ではなかったので、トイレの前のローカを通る外国人は、この奇妙な光景に腰もぬかさんばかりです。
この時は、あの福沢諭吉が通りがかり、あわててドアを閉めたのだとか・・・
いやはや、やってくれますね~殿様・・・。
しかし、肝心の殿様は、諭吉がなんであわてているのか、まったく理解できなかったそうですよ。
何事も初めての時は、経験者の話をちゃんと聞かなければ・・・ですね。
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コメント
今ですら、海外のホテルで、どこをどうしたら水が出るのか?なんて思うのもあるので、当時のお殿様は大変だったでしょうね?(御家来衆はもっと大変)
パリ万博に行った芸妓たちの勇気に脱帽しますね。彼女達は、か弱い?女性の身で、というより、新しいものを受け入れる柔軟性のある女性だからこそ、できたのかも。
投稿: 乱読おばさん | 2008年1月22日 (火) 10時08分
>柔軟性のある女性だからこそ・・・
確かに、こういう場合女性のほうがうんとしっかりしてますね・・・大の男はうろたえるばかりで・・・
第二次遣欧使節団の池田隊も、負けず劣らずの珍道中なので、また、機会があったら書かせていただこうと思ってます。
投稿: 茶々 | 2008年1月22日 (火) 17時18分