北海道のパイオニア~屯田兵・募集
明治八年(1875年)1月12日、青森・宮城・酒田の3県に対して、屯田兵募集の通達が出されました。
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江戸時代まで、蝦夷(えぞ)と呼ばれていたその地は、明治二年(1869年)に北海道と改められ(2月10日参照>>) 、広大な大地に開拓の嵐が吹き荒れる事になります。
翌年の明治三年(1870年)には、すでに移住者の数は3千人を越えていましたが、その苦難は並大抵ではありませんでした。
明治五年(1872年)頃から、本格的に開拓政策を進め始めた政府は、玄米と味噌や塩などの支給を始めとする援助を実施し、それから10年間にわたって、当時のお金で1400万円という金額を投資するのです。
それほど、北海道の開拓というものが過酷だったんですね~。
やがて、明治七年(1874年)、政府は、対ロシアを念頭においての北方の警備と、北海道開拓の両方を任務とする兵士を募集する事となります。
それが、『屯田兵(とんでんへい)』です。
この屯田兵制度は、維新で職を失った士族の失業対策のための物でもありましたから、当初は、原則・士族からのみの募集(最後には平民も募集の対象になります)・・・ただの農業従事者ではなく、有事には兵士となる事で、武士としての誇りを捨てる事なく、新たな自活へと導くものでした。
そんな中での明治八年(1875年)1月12日・・・青森・宮城・酒田の3県に対しての屯田兵募集を行ったのです。
とにかく、北海道の開拓はこの屯田兵なくしては語れません。
普段は農業をやっていて、有事には兵士となる・・・とは言うものの、それは基本的には兵士という事ですし、常備兵という事になると、同行する家族も、その軍律に従わなければなりません。
午前4時に起床ラッパが鳴り、5時から訓練が始まり、6時からは農耕。
週に一度は、兵舎や武器の点検も行わなければなりませんでした。
開拓当時は土地も痩せていて、とてもじゃないが米の生産は難しく、トウキビや麦、イモ、ソバ、アワなどが作られていましたが、それとても、厳しい寒さのために冷害に遭う事もたびたびありました。
このため、日々の主食はそのトウキビや麦で、お米のご飯は盆と正月くらいだったそうです。
さらに、広大な大地に先住する動物たちにも、彼らは悩まされます。
明治十年(1877年)に政府が出した通達によると、カラス一羽につき4銭、クマやオオカミに至っては一匹2円の賞金を出すとしています。
めったに口に入らないお米でさえ1升7銭の時代に・・・いかに、動物の被害が多かったかが想像できますね。
しかし、ご存知のように北海道は開拓されます。
だからこそ、今の北海道があるわけですからね。
やがて、この屯田兵制度は、明治三十三年(1900年)には、募集を中止・・・明治三十六年には制度そのものが廃止されます。
この間に、屯田兵の村は道内37箇所、人口は4万人近くなり、開拓された土地は7400ヘクタールにまでなったそうです。
ヘクタール・・・と言われても、ピンと来ないので・・・
東京ドーム、約1580個ぶん・・・それでもピンと来ませんが・・・
とにかく、開拓移民の皆様の努力に感謝ですね。
ちなみに、北方の警備のための兵士だった屯田兵でしたが、実際に兵士として動員されたのは『西南戦争』(9月24日参照>>)の1度だけだったそうです。
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コメント
こんばんは
屯田兵を取り上げていただき、ありがとうございます。
私の先祖は、4代前に北海道に渡ったようなのですが入植の経緯は良くわかっていません。
今の北海道も、冬の寒さが身にしみますが、当時は今より最低気温10℃は低かったのではないかと思います。
しかも、今と違って家も暖房も本州仕様で、作物は一切取れず、先祖の生活を考えると想像を絶する厳しさだと思います。
投稿: 清正 | 2008年1月13日 (日) 00時22分
清正さん、コメントありがとうございます。
>私の先祖は、4代前に北海道に渡った・・・
そうなんですか・・・
その時のご苦労は、たいへんだったでしょうね。
おっしゃる通り、温暖化の今よりははるかに寒さが厳しいですし、以前、何かの本で開拓者の小屋の写真を見ましたが、とても寒さがしのげるような造りではなかったように思います。
先駆者たちのご苦労があるからこそ、今の北海道があるんですね・・・
投稿: 茶々 | 2008年1月13日 (日) 01時37分