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2008年1月23日 (水)

危機一髪!坂本龍馬・寺田屋事件

 

慶応二年(1866年)1月23日、伏見の船宿・寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を、伏見奉行配下の捕り方が襲撃・・・世に言う『寺田屋事件』です。

・・・・・・・・・・

Ryoumateradayacc 世に『寺田屋事件』と呼ばれるものは、二つあります。

一つは以前、書かせていただいた文久二年(1862年)に起こった薩摩藩士同士による殺傷事件(4月23日参照>>)・・・こちらは、『寺田屋騒動』と呼ばれる事もあります。

そして、もう一つは今日の話題、慶応二年(1866年)1月23日に起こった伏見奉行所による坂本龍馬の逮捕劇・・・でも、こちらも『寺田屋騒動』と書いてる本もいくつか・・・もう、ややこしい・・・どっちがどっちかに統一してほしいモンです。

さてさて話は、このところ、犬猿の仲だった薩摩長州・・・。

なんせ、あの『蛤御門の変』(7月19日参照>>)でも、『第一次長州征伐』でも、薩摩は先頭になって戦い、そのため長州藩は多くの犠牲者を出しています。

たった2年前の事ですから、たとえその間に、薩摩が討幕派に変わったとしても、長州の根強い恨みが消えるわけもありません。

ちょうどその頃、薩摩藩の出資で海軍兼商社の海運会社=亀山社中を立ち上げ、その社長に納まっていた土佐出身の坂本龍馬は、武器や軍艦などの調達を一手に引き受けていました。

それにしても、同じ討幕派同志が犬猿の仲では、到底、幕府を倒す事はできません。

ここは、一つ薩摩と長州に仲良くなってもらうしかない・・・まぁ、そうすれば武器も売れて亀山社中は大儲け

いや、もちろん龍馬さんには、もともと高い理想があった事でしょうが、とにもかくにも、彼は、友人の中岡慎太郎とともに薩摩と長州の仲人として奔走します。

その甲斐あって、慶応二年(1866年)1月21日、薩摩の西郷隆盛と、長州の桂小五郎の間で、討幕への方針が一致し、『薩長同盟』(1月21日参照>>)が結ばれる事になるのです。

これで討幕への第一歩を踏み出しました。

Ryoumateradayaumenomacc その2日後の1月23日の夜の事です。

京都・伏見の船宿・寺田屋に潜伏していた龍馬を、伏見奉行所の捕り方が取り囲みます。

坂本龍馬、最大のピンチです。

ちょうどその時、お風呂に入っていた寺田屋の養女・お龍

入浴中に、外で物音が聞こえ、気になって外を見ようとしたところ、風呂の外からヤリが突きつけられます。

Teradayamitorizucc

慌てて真っ裸で外に出たところ、裏口から入ってきた役人に
「裏から二階へ上がれるか?」
と、尋ねられます。

このお龍さんは、この時、すでに龍馬とは内々の結婚式を挙げている仲・・・「愛しいダンナの大ピンチ」とばかりに、とっさに機転をきかせて・・・
「裏からはムリ!表の入り口から入って左手の階段を使って!」
と、嘘の情報を流します。

Ryoumateradayaofurocc ・・・で、捕り方が表に回っている隙に、風呂の前の通路から洗面所の横の裏階段を駆け上がり、二階の「梅の間」にいた龍馬に知らせに行きます。
 .

Ryoumateradayayanecc 知らせを聞いた龍馬は、一つ隣の部屋から、一階の屋根に飛び移りここでピストルを発砲して捕り方を威嚇し、屋根から裏へ飛び降りて、裏木戸から外へ出て、裏の家を通って脱出します。

どさくさで軽傷を負った龍馬は、近くにあった材木小屋に身を潜め、その間に、ともにいた長州藩士・三吉慎蔵(みよし しんぞう)薩摩屋敷に駆け込み、救援要請・・・薩摩屋敷が船を出して、龍馬を救出しました。

この後、西郷の宿所で一ヶ月間、傷の療養に専念します。
もちろん、かのお龍さんの手厚い看護のもと・・・。

その後、西郷の勧めもあって、療養を兼ねてお龍さんと二人で九州旅行・・・これが、日本初の新婚旅行?(ホネー・ムーン)だなんて話は有名ですね(2月29日参照>>)

ただし、正式に結婚していれば・・・ですけど。
なんたって内々の結婚式=内縁だし、それも、お龍の証言だと2年も前なので、新婚がどうかも微妙・・・(どうやら、この九州旅行が日本初の新婚旅行という話は、司馬遼太郎氏があの『竜馬がゆく』の中で披露した戯言のようで…そもそも桂小五郎や小松帯刀が奥さんと旅行した方が時期的にも早いですし…)

しかも、坂本龍馬と言えば、奥さんはお龍さん・・・とドラマでも、ほとんど、この人しか出てきませんが、実際には、龍馬さんには、他にも「奥さん」と呼ばれる方がチラホラと・・・(2009年11月15日参照>>)

あの暗殺の日にも、実は別の彼女を「部屋に来い」と誘っていますしね。(彼女は仕事のため断って、難を逃れました)

そんな、夢の無い話を・・・と、ついでに夢の無い話と言えば、上記の捕物事件の現場となった寺田屋。

お龍さんは風呂から階段を上がって、龍馬は屋根に飛び移り・・・と寺田屋の見取り図を書かせていただき、寺田屋の主張通りに紹介させていただきましたが、この寺田屋は、どうやら鳥羽伏見の戦いで消失し、風呂や部屋を含む現在の建物は、明治になって寺田屋跡地の隣に建て直された旅館を、昭和になって買い取った方が寺田屋という名前で営業した別物・・・という事で・・・。

*追記:2008年2月5日付けで、京都市は『現在の寺田屋は明治以降に再建されたもの』との鑑定結果を発表しました・・・
上記の寺田屋内での細かな描写は、あくまで寺田屋側の説明としてご理解ください。

ちなみに、現在の寺田屋の隣に京都市所有の空地(ベンチや鉢植えが置いてある今じゃ寺田屋の庭みたいになってるとこww)が、幕末の寺田屋が建っていた場所で、そこには維新後に元薩摩藩士たちによって建立された「寺田屋騒動」(冒頭に紹介させていただいた薩摩藩士同士による事件です)の慰霊碑が建っています。
(慰霊碑の裏に、その事書いてあるんだけど、鉢植えが邪魔で見にくいのよね~)

・・・・・・

京都伏見の散策と、寺田屋への行き方はHPでどうぞ>>
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コメント

今夜の龍馬伝の放送でこの名場面が出てきますね。先日の週刊誌で、「龍馬伝で待望の入浴シーン」と言う下世話な記事が出ております(苦笑)。一昨年の市川さんの時は話題になっていません。史実ですが「水戸黄門じゃあるまいし」と思うんです。でも、視聴率回復のカンフルとしてはいささか無粋な表現と思います。

下半期に入り低迷が続きます。ちょうど佐藤健君の出番が終わったあたりから低迷しているので、少なからず佐藤君ファンが離れたんでしょうか?

投稿: えびすこ | 2010年9月 5日 (日) 09時40分

えびすこさん、こんばんは~

出てきましたね…名シーン

なんか、長かったですね。
名シーンなので、しかたないのかも知れませんが、なんか、最終回を先にやっちゃったみたいな演出でした。

ひょっとしたら最終回は、予想外の展開になるのかも知れません。

投稿: 茶々 | 2010年9月 5日 (日) 23時00分

寺田屋事件が最終回のように見えましたか?
昨日の放送を見ると、伏見奉行所の役人が来るのを寺田屋にいる全員がわかってる感じですね。さほど驚いた様子ではないので。
気になるのは次回のタイトルですね。先週ご指摘のとおりなら、もう夫婦ですがね。雑誌「歴史街道」で高杉晋作を取り上げます。伊勢谷さんのインタビューもあります。

篤姫は「光の時代劇」で龍馬伝は「影の時代劇」と言う感じがします。オープニング映像を見ても「劇中の映り」を見ても。
龍馬伝を見ると夜半や夜け前の場面が多いですよね。篤姫は昼間の場面が多かったです。
坂本龍馬の実績や役割は揺るぎませんが、人物興味で見ると今年1年で下げたかもと思います。あれではねぇ…。┐(´-`)┌

投稿: えびすこ | 2010年9月 6日 (月) 09時52分

えびすこさん、こんにちは~

>寺田屋事件が最終回のように見えましたか?

ハイ!
もちろん、私の個人的な感想ですけどね。
「あとを頼む」とか
「お父ちゃんゴメン」とか…
あれだけ言ったら、本当に死ぬ時は何て言うのかな?と、ふと、思っちゃいました。

来週は、やはり定番通り、寺田屋騒動きっかけで、結婚するんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2010年9月 6日 (月) 10時51分

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