人は別れる時、なぜ手を振るのか?
今日の話題は・・・
「何の日?」には関係の無いお話で恐縮ですが、『人は別れる時、なぜ手を振るのか?』という話・・・
・・・・・・・・・
この、「別れる時に手を振る」という行為。
小さな赤ちゃんは、言葉を覚える前に、すでにこの仕草をマスターしています。
お母さんの腕に抱かれた赤ちゃんが、仕事に出かけるお父さんに「いってらっしゃ~い」とばかりに手を振る姿はかわいいものです。
お年寄りにとっても、息子・娘夫婦が帰る時、あるいは、おじいちゃん・おばあちゃんが自宅に戻る時、お孫さんに「バイバ~イ」ってやられたら、たまらく愛しくなる事でしょう。
実は、この行為、単なる合図や挨拶の類ではなく、神話の時代から受け継がれた、れっきとした意味のある行為・・・神代の昔から行われていた『タマフリ(魂振り)』という儀式に由来するものなのです。
「タマフリ」とは・・・上記の字で何となくおわかりの通り、神を呼び起こし、魂を奮い立たせる儀式。
わかりやすい所では、神社はもちろん、建築物などの地鎮祭や、その他もろもろの場所で、神主さんが、紙を切ったような折ったようなビラビラが先っぽについた棒のような御幣(ごへい)という道具を左右に振り、お祓いをしますよね。
あれが、「タマフリ」です。
もちろん、あれは、神官となった人が行う正式なタマフリですが、他にも、色々なタマフリがあるのです。
タマフリの基本は、空気を震わせて波長を起こす事で、神を呼び、場を清め、魂を奮い立たせるワケですから・・・もう、察しの良いかたは、おわかりですね。
そう、神社で拍手を打ったり、鈴を鳴らしたりというのもタマフリなのです。
音が、空気を振るわせる波長である事は、近代になってからわかった事だと思うのですが、不思議な事に神代の昔から、行われていたんですね。
手を振るのも同じ事・・・もちろん、昔は着物ですから、手を振るというよりは、「袖(そで)を振る」という事なのですが、とにかく、振って空気を揺るがして波長を起こし、その波長をその身に受けて人は奮い立つのです。
では、なぜ?別れる時に・・・?
それは、古代の人々にとって別れ=旅立つ事が命がけだったからです。
古代において、遊覧を目的とした旅は、まず考えられません。
特別な事情がない限り、一般庶民は、一山越えた向うに何があるのかさえ知らずに一生を終える事が多々ありました。
そんな中、大和朝廷が形成され、律令制度の導入とともに、都から地方へ役人が派遣され、逆に都の造営や防人などに地方の一般庶民がかり出されるようになり、普通の人が、故郷を離れて遠方へ旅立つ・・・という事になってくるのです。
以前、『平城京遷都』(3月10日参照>>)や、『防人の歌』(2月25日参照>>)のページでも書かせていただいたように、旅立ったまま帰れなくなった人が山ほどいたのが、当時の旅だったのです。
ですから、人は、旅立つ人の無事を祈って・・・その行く道に神のご加護があるように・・・何も道具を持たない庶民は、そのありったけの力を込めて袖を振り、願いを込めてタマフリを行ったのです。
「別れる時に、手を振る」
これは、自分にではなく、別れる相手への愛溢れる行為・・・
無事の帰還を祈る思いが込められているのです。
万葉集4379・防人の歌
♪白波の 寄そる浜辺に 別れなば
いともすべなみ 八度(やたび)袖振る♪
「白い波が打ち寄せるこの浜辺で別れてしまったら、もう、どうしようもないから、何度も何度も袖を振ってるのよ」
このような思いを込めて、人は手を振っていたんですね・・。
そんな、神代の儀式が、今も残っているなんて・・・何だか、今度、手を振る時は感動モンですね。
ちなみに、空気を伝わる波動は。袖を振る、音をたてる以外に、もう一つ、色も空気を伝わる波動・・・という事で、目で見るタマフリもあります。
それが、お花見です(2月27日参照>>)。
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