« 玉の輿に乗りたい!~平安時代の自分磨き | トップページ | 幕末・「遣欧使節団」珍道中 »

2008年1月21日 (月)

巴御前~木曽義仲からの最後の使命

 

寿永三年(1184年)1月21日、源頼朝の命を受けた義経と戦った木曽(源)義仲が琵琶湖のほとり・粟津で敗死しました

・・・と、実は昨年の今日も、木曽義仲・討死をテーマに書かせていただきました。(昨年のページ参照>>)

昨年は、木曽義仲と乳兄弟である今井四郎兼平の主君と家臣の愛情、散り行く者への涙を誘う場面を、『平家物語』に沿って書いたのですが、今回は、義仲の愛妾・巴御前にスポットを当てた『源平盛衰記』を中心にした内容でご紹介させていただきたいと思います。

・・・・・・・・・・・

巴御前は、義仲が父を殺され、さらにその命を狙われた2歳の時に、彼を預かった中原兼遠の娘で、義仲の一番の家臣・今井兼平の妹(8月16日参照>>)

幼い頃から義仲とともに育った乳兄弟でありながら恋人でもあり、そして、ひとたび戦となれば、片翼をになう一騎当千の女武者となるのです。

武勇にすぐれた女武者・・・そんな男勝りの彼女は、おそらく、すぐ上の姉と遊ぶよりも、兄の樋口兼光(長兄)や兼平(弟)、そして2歳年上の義仲たちと遊ぶ事の多い少女時代を送ったのかも知れません。

小さな頃から兄たちとともに馬に乗り、木曽の山々を駆け巡りながら、いつかともに平家を倒し、都に上る夢を語ったに違いなく、兄たちがそう誓ったように、彼女も「死ぬ時は、皆一緒に・・・」、そう心に決めて合戦にのぞんでいたに違いありません。

木曽だけにとどまらず、北陸・越後一帯を制圧した義仲(6月14日参照>>)を警戒して、平家が10万の大軍を率いて北へ押し寄せて来たのは寿永二年(1183年)の事でした。

倶利伽羅峠の合戦(5月11日参照>>)で平家に大勝した義仲は、その勢いのまま京へ攻め上り、平家は西国へと都を落ち、木曽軍は堂々の入京を果たすのです。

この間も巴御前は、義仲とかた時も離れず、一軍の大将として、男に負けない大活躍をしています。

しかし、運命の時は刻々と迫ります。

都の治安維持に失敗した義仲は、後白河法皇や公家たちからの信用を失い、そのタイミングで、逆に貴族からの信用を手中に収めた彼のライバル・源頼朝が法皇に大接近。

やがて、頼朝の弟・義経が大将となって京にのぼって来るのです。

宇治川・淀・瀬田の3箇所で、義経の京都侵入をはばもうとした木曽軍も、怒涛のごとく押し寄せる義経軍の前に、敗走を余儀なくされてしまいます。(1月17日参照>>)

やがて瀬田で戦っていた兼平とも合流し、散り散りになった兵を何とかかき集めて、約300騎・・・ここ、大津で義仲は、最後の戦を決意します。

もちろん、そこには、巴御前の姿・・・。

鎧は、目にも鮮やかな萌黄糸縅(もえぎいとおどし・鎧をつなげている萌黄色の糸)、その下には紫裾濃(すそご)のひれ垂(鎧の下に着る着物)を着用・・・そんな彼女は、この時、やにわに兜を捨て、長い黒髪を後ろへさっと流し、天女のような天冠(額に当てる冠)を額に着け、白づくりの笠(塗りをほどこしていない笠)をかぶります(笠が無いほうがカッコいいかも・・・)

その美貌が一段と増した事は言うまでもありません。
女・巴・・・28歳。
女ざかりの最後の戦です。

その決意の現れ勇ましく、先陣を切るべく先頭に立って敵陣と対峙した巴・・・。

その時、目の前に現れた敵は、遠江(静岡県)の住人・内田三郎家吉・・・(平家物語では恩田八郎師重(もろしげ))

家吉は、最初は「子供か?」と思ったものの、その進み出た武者が、かの巴御前だと知り、「これは話のタネに生け捕りにしてやろう」と考えます。

前に進み出て、ひととおり一軍を見渡した巴は、目に付いた最も猛々しい男に名乗りをあげます。

「これこそは、木曽殿の乳母子(めのとご)に、中三納言守兼遠(ちゅうさんなごんのかみかねとう)が娘・巴である。
木曽殿にお目にかける最後のいくさの相手をせよや!」

もちろん、声をかけた相手は家吉です。

生け捕りにしたい家吉は、矢も射掛けず、太刀も抜かず、馬を近づけます。
そうなれば、当然の事ながら、巴も太刀は抜かず、自然に組み討ちとなります。

家吉は東国に聞こえた剛の者・・・しかし、巴も一歩も退けをとりません。

そうこうするうち、女が相手であるにも関わらず、なかなか勝負が着かない事に焦った家吉は、巴の長い髪を手に絡ませ、引きつけると同時に腰刀を抜きました。

そのやり方に怒った巴・・・ひじで、相手の刀を叩き落とすと、逆に家吉を我が馬に引きつけ、あっと言う間にその首を斬り落とし、その首を義仲のほうに向け、高々とさしだします。

何ともかっこいい~勇姿!・・・この時の巴御前は、やっぱし「どや顔」をしてたでしょうね。

巴御前が口火を切ったこの合戦・・・しかし、何と言っても多勢に無勢で、木曽軍は、徐々に、再び散り散りとなってしまいます。

この頃から、そう・・・義仲は、巴を木曽に返そうと説得し始めるのです。

しかし、「死ぬ時は一緒」と固く決意した巴は、自分だけが戦場を離れる事を拒否し続けます。

その間も一人減り、二人減り・・・やがて、義仲に従う者は、わずか5騎となってしまいます。

そして、昨年も書かせていただいたように・・・

「お前は女だから、早く今のうちに逃げろ」

「生きるも死ぬも一緒と誓った仲じゃない!兄貴もいるのに、なんで女だからって私だけ逃げなくちゃいけないの?」

「お前は、男と同等のつもりでも世間はそうは思わない。木曽は命が惜しくて最後まで女を盾にした・・・と、何年経っても言われるだろう。それでも、良いのか?」

という一連のやりとりがあり、何度も首を横に振る巴も、あまりにきつく義仲に諭され、最後には心を決め、しかたなく一人故郷を目指す事に・・・と、軍記物などには書かれているのですが、ここに一つの逸話が残っています。

Awadutomoe900
粟津戦線から退く巴御前

出どころがはっきりしないので、あくまで伝承の一つとして受け止めていただきたいのですが・・・実は、私、昨年も書かせていただきました通り、かなりの義仲ファン&巴ファンであります。

そんな私が、この逸話を小耳に挟む前から、本当はこうじゃなかったのか?
いや、私が巴御前なら、こう言われなきゃ、一人で木曽には帰らない
・・・と思っていた義仲の言葉と行動があります。

それは・・・命令です。
逃げろという説得ではなく、上官の命令として「木曽に帰れ」という事・・・。

義仲は、こう言ったのでは?
「これは、大将の命令だ。
ここで、見た事、聞いた事、俺の最期を、木曽で待つ妻子に報告せよ」
と・・・

そうです。
木曽には、義仲の妻となった巴の姉がいます。

そして、私は、その時の巴御前の脳裏には、その姉が産んだ清水冠者義高が、未だ人質として頼朝のもとにいる事(7月14日参照>>)が浮かんだに違いないと思うのです。

「木曽に残った姉、そして捕らわれの義高を守る事ができるのは自分しかいない」

もしかしたら、それが彼女への最後の使命だったのかも知れません。
いや、私なら、そうでないとその場を離れません。

ご存知のように、結局彼女はその使命を果たす事はできず、義高は頼朝に殺されてしまいますが・・・。

それは、さすがに一騎当千とは言え、多勢に無勢では・・・という事になるのでしょうが、少なくとも、「きつく説得された」というよりは、「大将の命令だった」というほうが、巴御前の戦線離脱の理由にふさわしいのではないかと思う次第です。

ちなみに、『源平盛衰記』では、
この後、木曽に戻った巴は、義高の死を受けて落ち込んだ大姫(おおひめ=頼朝と政子の長女)(7月14日参照>>)話相手として鎌倉に呼ばれ、そこで御家人一の武勇の持ち主=和田義盛(わだよしもり)に見初められて、後の和田合戦で活躍する朝比奈義秀(あさひなよしひで=和田義盛の三男)を産んだ(9月2日参照>>)とされますが、そこは、あくまで軍記物のお話という事で。。。
 .

あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 PVアクセスランキング にほんブログ村

 


« 玉の輿に乗りたい!~平安時代の自分磨き | トップページ | 幕末・「遣欧使節団」珍道中 »

源平争乱の時代」カテゴリの記事

コメント

すばらしいですっ!
今ちょうど鎌倉時代を勉強しているので、木曽義仲がでてきてます。こんな感じで歴史人物がすっと覚えれればとてもうれしい~!裏話、ためになりますっ!

投稿: きょうこ | 2008年1月21日 (月) 13時52分

きょうこさん、コメントありがとうございます。

>こんな感じで歴史人物がすっと覚えれればとてもうれしい~!

そう言っていただければうれしいです。

その人物の心の内・・・となると、結局は想像の域をでませんが、それを絡めて覚えていくと歴史はとても楽しいものだと思います。

投稿: 茶々 | 2008年1月21日 (月) 17時42分

私、昔から本当に歴史嫌いでTVでもそれ系の(大河ドラマとか・・)今まで全くと言って見たことが無かったのですが、(おかげでこのブログ内でもみなさんご存じでしょうが的な事も全然わからないのですが・・悲しい)たまたまこのブログを見てから、なぜか興味が湧いてきて、すっかりはまってしまっています。文章も今風に言うとこんな感じ!ってのがいいのかな?とにかくおもしろくてしかたないです。もういい年なんですが・・はずかしい。馬に乗って戦っている勇ましい姿を想像するとかっこいい!!って思ってしまいます。その昔いろんな人がそれぞれの立場で悩み、命がけで戦ってたんだなって感動しまくりです。

投稿: ゆうたママ | 2009年12月 3日 (木) 16時24分

ゆうたママさん、こんばんは~

私自身、難しい言葉は苦手です(*´v゚*)ゞ
マジメに歴史を研究されている方には怒られるかも知れませんが、特に、セリフ回しなんかは、今風のほうが、感情移入しやすので、武将たちの勇ましい姿を想像しながら書いてます。

これからも、よろしくお願いしますね。
一緒に、歴史を楽しんでいきましょう!!

投稿: 茶々 | 2009年12月 3日 (木) 23時49分

おじゃまします。

英語サイトでなんと!

The Top 10 Warrior Women
http://www.spike.com/articles/e4ukwt/the-top-10-warrior-women?page=1

らばQさんの紹介

女傑と呼ぶにふさわしい歴史上の偉大な女戦士たち10人
http://labaq.com/archives/51691141.html

さすが、人類史上最強の女性です。

投稿: しまだ | 2011年9月16日 (金) 00時00分

しまださん、こんばんは~

外国のニュースに巴御前が!?
しかもアンジェリナジョリーが出てくるとは!

投稿: 茶々 | 2011年9月16日 (金) 01時58分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 巴御前~木曽義仲からの最後の使命:

« 玉の輿に乗りたい!~平安時代の自分磨き | トップページ | 幕末・「遣欧使節団」珍道中 »