羽根突きはただの遊びじゃない!羽子板の由来と起源
今日は、凧、独楽と並ぶお正月の遊び、『羽根突き』のお話をさせていただきます。
ご存知、羽根突きは、「和製バトミントン」といった感じのお遊び・・・羽子板なる板で、羽根をを打ち合うゲームです。
しかし、実は、この遊び・・・もともとは、単に、お正月に楽しむだけの遊びではなく、深い意味のある儀式とも言える物なのです。
その片鱗が垣間見えるのは、あのキレイに飾られた『羽子板』・・・あれが、単なる遊び道具であるなら、むしろ、押し絵などの美しい飾りが邪魔になるだけです。
美しい飾りがほどこされた羽子板は、きちんとケースに入れられ、家に丁寧に飾られる・・・この事が、羽子板がただの遊び道具ではない事を物語っていますよね。
それは、『世諺問答(せげんもんどう)』という書物の中にあります。
『世諺問答』は、天文十三年(1544年)に、室町時代の無双の才人と呼ばれた公家の一条兼良(かねら)と、その孫の孫・兼冬(かねふゆ)によって書かれたもので、日本に古くからある風習やしきたりの由来や起源を、物知りの老人に尋ね、それに老人が答えるという問答形式で書かれた「しきたりマニュアル」のような書物なのです。
それによると・・・
『これはをさなきものの蚊にくはれぬまじなひなり。
秋のはじめに蜻蛉といふ虫出できては蚊をとりふくものなり。
胡鬼の子といふは、水連子などを蜻蛉頭(とんぼがしら)にして、羽根をつけたり。
これを板にて突きあぐれば、おつる時、蜻蛉がへりのやうなり、さて、蚊をおそれしんがために、胡鬼の子といひはべるなり』
なのだそうです。
つまり、「蜻蛉(とんぼ)の形をまねた板で、蚊にみたてた羽根を打ち、トンボが蚊を取る姿を再現して、それを『胡鬼(こき)の子』と呼んだ」というのです。
文安元年(1444年)に書かれたとされる、室町時代の三大辞書の一つ『下学集』にも、胡鬼板(こきいた)を用いた胡鬼の子という遊びをお正月に行う事、その胡鬼板を贈り物にしていた事が書かれています。
蚊は、ご存知のように疫病を媒介します。
ワクチンの副作用の問題で、いま現在は希望者のみとなっている日本脳炎の予防接種・・・この日本脳炎という病気がコガタアカイエカという蚊によって運ばれるのは、皆さんもご承知の事だと思います。
「羽根突き=胡鬼の子」は、幼い子供が蚊に刺されないように、蚊に見立てた羽根を、トンボに見立てた板で突かせた「魔よけ」「病気よけ」の儀式だったのです。
ただ、永享四年(1432年)には宮中で「胡鬼の子の勝負」が行われたとの記録もある事から、神代の昔からあった相撲がそうであったように、この羽根突きも、儀式とは言え、勝負のある試合としても行われていたようです。
もちろん美しく飾られた羽子板を、贈り物として送ったり、ケースに入れて飾ったりという行為も、この病気を跳ね除ける「魔よけ」の意味が込められているのです。
胡鬼板が羽子板と呼ばれるようになるのは江戸時代になってから・・。
そして、羽子板市などでよく見かける、歌舞伎の役者絵などの押し絵の羽子板が作られるようになったのも、江戸時代からだそうですよ。
今年は一つ、その由来を踏まえ、お子様の健康と無事を祈って、羽根を突いてみようではありませんか!
今日のイラストは、
パルテル調の『羽根突きの羽根』を、幻想的にデザインしてみました~
ちなみに、羽根についている黒いオモリは、ムクロジという木・・・その実の中にある種だそうです。
ムクロジは漢字で書くと『無患子』。
つまり、「子供が患(わずら)わない」・・・
こんなところにも、羽根突きの由来・起源がちゃ~んと生きているんですね~スゴイ!
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