文明開化の最先端!大阪造幣局・設置
明治二年(1869年)2月5日、明治新政府が新貨の鋳造を決定し、大阪に造幣局を設置しました。
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今や、春の『桜の通り抜け』で有名な大阪造幣局・・・いやいや、勿論、造幣でも有名なんですが・・・
その『桜の通り抜け』を通り抜けた先の通称・銀橋と呼ばれる桜宮(さくらのみや)橋の西詰め、1号線を越えた北側に、かつては『明治天皇記念館』、次に『桜宮公会堂』、そして現在は『大阪市立ユースアートギャラリー』と呼ばれる建物があります。
(通り抜けの写真はフォトアルバムにあります)
以前、ブログで紹介した造幣局の迎賓館として建てられた『泉布観(せんぷかん)』(3月25日参照>>)と同じ敷地内にある建物です。
実は、この建物の正面玄関部分が、建設当時の造幣局鋳造所の正面玄関だったのです。
昭和十年(1935年)に、最初の場所から現在の場所に移築されて、別の用途で使用されたため、上記のように名前が変わったわけですが、日本における洋風建築の初期の姿が今に残る貴重な建物で、梁間15m、屋根は一重切妻造(きりづまづくり)銅板葺・・・もちろん、日本最古の洋風建築として、国の重要文化財に指定されています。
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『鳥羽伏見の戦い』(1月2日参照>>)に勝利して、『江戸無血開城』(4月11日参照>>)を成した明治元年(慶応四年・1868年)の4月頃から、生まれたばかりの新政府は、近代的な貨幣制度を確立するため、新しい貨幣の鋳造に着手しはじめます。
ちょうどその頃、イギリスが香港に設置していた造幣局が閉鎖となり、売りに出された事で、政府は、その建築材料や機械をはじめとする、すべての物を買い取り、当時川崎村と呼ばれていた淀川沿いのあの場所に、翌年の明治二年(1869年)2月5日、造幣局を設置したのです。
当時の川崎村は、江戸時代から続いているセレブなお金持ちの別荘地で、淀川で舟遊びを楽しむための大阪の豪商の別荘が建ち並んでいました。
しかも、その中の何軒かは、すでに洋風建築で、造幣局の洋風の建物も違和感なく、美しく収まったと言う事です。
もちろん、建物の材料や機械を買ったからと言って、それですべてをまかなえる物ではありませんから、当時のお金で九十五万両という巨費を投じての一大プロジェクトとなりました。
その頃の日本の近代工業施設なる物は、未だ長崎と江戸にわずかにその芽生え的な物が存在する程度でしたから、原材料を、国内のどこかから仕入れて来る・・・なんて事は不可能で、貨幣の鋳造だけでなく、その鋳造に必要な物を、すべて自給で生産できるシステムを造りあげなければなりませんでした。
硫酸Naや、コークス・石炭ガスといった物の製造所も同じ場所に造り、秤量や彫刻の技術、さらには、事務のための電信・電話施設やインクまでもを、自家製で製造するという、まさに時代の最先端の集合・・・近代工業技術の粋を集めた建物だったのです。
もちろん、工業技術だけでなく、断髪や廃刀、洋服の着用なんかも、ここが最先端だったようです。
ちなみに、←こちらの写真は現在の造幣局の正門付近。
右側にチラッと見える8角形の建物は、泉布観と同じく、イギリスの建築家・ウォートルスの設計による、正門を守る衛兵の詰所として使用されていた建物です。
創業当時から、大正八年(1919年)頃まで、大阪師団の兵士が警備のため詰めていたそうです。
やがて、時代の流れとともに、政府のそれらの技術は、民間への払い下げという形を通じて、大阪の工業の近代化へ一役買う事になります。
現在の大阪が日本の商工業の最先端の位置をキープし続けているのも、明治の初めにここに最先端技術が集結していたからでもあるわけで、そういう点でも、この造幣局の開設は、大阪にとって重要な出来事の一つなのです。
現在の造幣局では、貨幣の他、勲章なども製造し、鉱物の分析なども行っているそうです。
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コメント
造幣局に幕府欧州留学生で帰朝後に勤務した大野弥三郎という人物がいます。http://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E5%BC%A5%E4%BA%94%E9%83%8E+%E8%A6%8F%E8%B2%9E%E5%A4%A7%E9%87%8E%E5%BC%A5%E4%B8%89%E9%83%8E+%E8%A6%8F%E8%A1%8C%E5%A4%A7%E9%87%8E%E5%BC%A5%E4%B8%89%E9%83%8E+%E8%A6%8F%E5%91%A8
投稿: 笑人 | 2010年11月26日 (金) 18時03分
笑人さん、こんばんは~
外国に追いつき追い越せのこの時代は、多くの若き技術者が活躍した時代でもありますね~
時代の最先端を行く人たちだったのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2010年11月27日 (土) 01時35分