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2008年2月 6日 (水)

目覚めた天才軍師!竹中半兵衛・稲葉山城乗っ取り事件

 

永禄七年(1564年)2月6日、竹中半兵衛重治が、主君・斉藤龍興稲葉山城を乗っ取りました。

・・・・・・・・・・

竹中半兵衛と言えば、豊臣秀吉に仕えた天才軍師・・・今でも「軍師・兵法家と言えば・・・」と問えば、必ず一番か二番にその名前が登場するほどの人物です。

そんな彼の父・竹中重元は、斉藤道三の代から斉藤家に仕える美濃岩手城の城主でした。

しかし、少年の頃の半兵衛は、武士とは思えないインドア派

おとなしくて、無口で、物静かで・・・一日中、本を読みふけり、何か言われても、あまり反応もしない・・・。

しかも、性格がおおざっぱなので、細かい事にもこだわらず、怒りをあらわにする事もほとんどないため、城兵たちからはボンクラ扱い、主君の斉藤龍興(たつおき)からは、そのナヨっとした仕草から「おネェ系」と馬鹿にされ、龍興の家臣たちからも、いじめのターゲットにされていました。

なのに、それでも反論一つしない・・・そんな少年だったのです。

しかし、彼が、ず~と読みふけっているその本は、まぎれもなく兵法書・・・そう、彼は中国の軍書を読みまくり、頭の中で戦略のシュミレーションを考えるが大好きだったのです。

でも、その事は、まだ、誰も知りませんでした。

彼が13歳のある日、父の留守中に、野武士の一団が、城に攻め寄せた事がありましたが、日頃のシュミレーション通りに事を運び、見事に退散させた半兵衛・・・

しかし、その報告を受けた父でさえ、半兵衛の「別に・・・たいした事なかったよ」という返答に、その野武士たちがアホ揃いで、かってに帰って行ったと勘違いしたくらいだったのです。

ところが、そんな半兵衛の堪忍袋の緒が切れる時がやってきます。

それは、半兵衛19歳の時・・・公用で稲葉山城に出仕した帰り道。

稲葉山の麓の道を歩いていると、山の中腹の(やぐら)から、例のごとく、龍興の家臣たちのからかいの声が・・・「アホ~、バ~カ」と聞こえてきます。

いつものように、知らんぷりして右から左に受け流していたところ、そのうちの一人が、上から半兵衛めがけてオシッコを引っ掛けたのです。

それが、見事命中し、雨のように半兵衛に降りそそぎます。

それでも、知らんぷりして、さりげなく、その場を去った彼でしたが、居城に戻って、早速、嫁さんの父・安藤定治に、「兵を貸してくれないか?」と頼みに行きます。

そう、彼は、すでに、ブチ切れていたのです。
あくまでも、静かにブチ切れる人ですね~。

事の成り行きを聞いた定治は、「気持ちはわかるけど、相手は主君・・・我々の兵を総動員したところで、稲葉山城の兵の数には到底およばない。
ムリムリ・・・バカな事は考えないで、ここは我慢しておけ!」
と、半兵衛を諭します。

たぶん、すでに、ここで、一発目の彼の戦略シュミレーションは出来上がっていたのでしょうが、兵を貸してもらえないのなら、作戦変更・・・今度は、稲葉山城に人質扱いで暮らしている弟の久作重矩(しげのり)を使う作戦に出ます。

まずは、その久作に仮病を使わせます。

そして、「良い治療と看護を受けさせるため」と称して、数人の家臣と人夫を、医療用具の入った長持などの荷物とともに城内に入り込ませます。

次に、自分が、「見舞い」と称して、またまた数人の家臣とともに城内へ・・・

こうして、弟の部屋に着いたがはやいか、すぐに武装します。

もちろん、長持ちに入っていたのは、医療用具などではなく武器・・・と、準備が整ったところで、一斉に城内に斬りこみ、慌てふためく城兵を、バッタバッタと斬りまくり!

不意を突かれた城内は、まさに、上を下への大騒ぎ・・・もう、どうする事もできません。

そのうち、侍大将の斉藤飛騨守(オシッコをかけた張本人との話も・・・)も斬られた事で、龍興は、気が動転してしまい、あわてて命からがら城外へ敗走してしまいます。

なんと半兵衛は、たった16名で、あの稲葉山城を占拠してしまったのです。

それは、永禄七年(1564年)2月6日の事でした。

あの織田信長が欲しくて欲しくてたまらないのに、8年間も落とせなかったあの稲葉山城をですよ!・・・て、でも・・・確か、この3年後の永禄十年(1567年)に信長が攻略した時(8月15日参照>>)、稲葉山城を居城にしていたのは龍興・・・半兵衛じゃないっすよね。

そうなんです。
一旦ここで、稲葉山城を乗っ取った半兵衛・・・後に、数々の非を認めて謝罪した龍興に、すんなりとお城を返しているんです
(ま、さっさと撤退しないと籠城戦になったら負けちゃうし、主君が許さないと謀反だしね)

しかし、稲葉山城を手に入れなくても、半兵衛はもっとスゴイ物を手に入れました。

それは、「コイツは、只者ではない」という周囲の目・・・案の定、後に稲葉山城を手に入れた信長は、次に半兵衛が欲しくてたまらないようになるのです。

その後、信長の命を受けた秀吉が、半兵衛を味方につけようと奔走する話は、何度もドラマになっているので、皆さんもご存知の事と思います。

まぁ、色々と脚色あるんでしょうが・・・(6月13日参照>>)そこンところは、痛快なドラマとして楽しむのもアリかと・・・

結局、信長が、その稲葉山城を落とすのは、永禄十年(1567年)8月の事・・・
8月1日【美濃三人衆内応~信長・稲葉山城へ】>>
8月15日【信長・天下への第一歩~稲葉山城・陥落】>>
を、ご参照いただけるとありがたいですm(_ _)m

Syounenhanbeecc
今日のイラストは、
お勉強中の竹中半兵衛くんで・・・

インドア派なので、たまにはお外で・・・でも、やっぱり本を読むんだろうなぁ・・・
 .

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戦国・群雄割拠の時代」カテゴリの記事

コメント

おおお!
寝転びながら兵法書を読む!
孔明サンミタイデ、カッコいいじゃあないですか~♪
肖像画は、貧相なおっさんですから、私も「若き日」ってのがいいです~♪

投稿: 乱読おばさん | 2008年2月 6日 (水) 09時24分

36歳でお亡くなりになってますから、他の武将の肖像画よりは、少しは若い気がしますが・・・確かに、貧相です。

運動できなさそうな感じで、もっともらしい肖像画ですが、どうせ「女みたいだ」と言われるのなら美形がいいですもんね~。

投稿: 茶々 | 2008年2月 6日 (水) 10時46分

半兵衛の似顔絵はイケメン顔で面白いですね。

私のブログに政宗一家が寒風摩擦してるよ!

投稿: sisi | 2008年2月 6日 (水) 19時03分

「戦国無双」や「戦国バサラ」では、戦国時代の人々が皆スゴイ事になってるので、もう、これくらいの男前は許されるかと・・・ww

投稿: 茶々 | 2008年2月 6日 (水) 19時22分

すばらしいです!
半兵衛大好きが読んで、素晴らしいと思える文章!
私のブログにもリンクを貼らせてもらっても良いですか?是非是非お願いします!!

投稿: ざぶとんうさぎ | 2009年2月10日 (火) 03時30分

ざぶとんうさぎさん、ありがとうございます。

照れます(#^o^#)

このサイトはリンクフリーなので、トップページでも記事へでも、リンクは歓迎ですよ。

これからもよろしくお願いします。

また来てくださいね。

投稿: 茶々 | 2009年2月10日 (火) 15時03分

嬉しいです(*^-^*)
ありがとうございます!!
この記事を基に私もブログ書かせてもらいます!良かったら私の方にも遊びに来て下さいねー。

投稿: ざぶとんうさぎ | 2009年2月11日 (水) 03時54分

あのいきなりですみません
この記事をリンクさせて頂いてもよろしいでしょうか?

投稿: ちお | 2010年11月 7日 (日) 22時03分

ちおさん、こんばんは~

このブログごとリンクはフリーにしていますので、どんどんリンクしちゃってください。

今後ともよろしくお願いしますo(_ _)oペコッ

投稿: 茶々 | 2010年11月 8日 (月) 01時44分

遅くなりごめんなさい

早速、貼らせて頂きました!
ありがとうございます!!

投稿: 智桜 | 2010年11月13日 (土) 22時38分

智桜さん、返信コメントありがとうございました~

投稿: 茶々 | 2010年11月14日 (日) 01時11分

あの、記事とっても面白かったです!!


勉強になりました!

投稿: Towa# | 2012年8月18日 (土) 15時33分

Towa#さん、こんばんは~

コメント、ありがとうございます。
また、遊びに来てください!

投稿: 茶々 | 2012年8月19日 (日) 01時12分

黒田官兵衛もそうでしたが、天下には興味の無い振りだったのか、その振りを見せれば、主君の邪魔者になり、切られると解っていたか。
ナンバー2の軍師の考え方は、どこに本音があるのか?
部下か切られるのかは紙一重。
関ヶ原での九州に残留した、官兵衛の動きは野心無き動きだったのか。
息子の長政が家康に関ヶ原の後、誉められたと喜んでいるんじゃない、握手した片方の手で、斬れば良かったのにとは本気だったのか?

投稿: おいらん淵 | 2012年10月30日 (火) 22時32分

おいらん淵さん、こんばんは~

長政に言った言葉が本気だとしたら、野心はあったでしょうね。
…というより、関ヶ原が1日で終わるとは思っていなかったので、「チャンスがあれば…」と狙っていたんじゃないか?と思います。

このページでは半兵衛さんが主役なので、ちょっとカッコ良く書きましたが、現実問題としては、彼らは謀反を起こした事になるので、城から1歩でも出た途端、斎藤家の家臣に逮捕されるでしょうから、「天下に興味が無い」のではなく、この場合は主君に城を返す以外に方法は無かったと思います。

投稿: 茶々 | 2012年10月30日 (火) 23時52分

そういう視点で見ると、謀叛を興して、城をやっぱり返すで、オトガメ無しなら、運がいい。
そうなると天下までには、運も味方に付けないとなりませんね。
家康公、三方が原で信玄から逃れているし。本能寺の変が、無かったら、共通の敵の武田が滅亡したんで、信長との関係はおかしくなってましたかね?
武田が滅んで、悠々と甲斐に入った信長。
行きの木曽路では無くて、駿河から東海道で戻る際、事細かに、家康公の領地を調べて帰ったとか、帰らなかったとか。

投稿: おいらん淵 | 2012年10月31日 (水) 18時06分

おいらん淵さん、こんばんは~

一つの事柄を「もしも…」と考えると、次の事柄に変化があるので、また次も…と妄想は尽きませんね。
それが楽しいんですが…

投稿: 茶々 | 2012年10月31日 (水) 19時27分

初めまして。

娘の来年の夏休みの自由研究のテーマを『竹中半兵衛』にしたので、ネット上をうろついていたら茶々さまのブログにたどり着きました。

日本史大嫌いな私でも楽しく読ませていただきました。

竹中半兵衛の生誕地 岐阜県揖斐郡大野町や岐阜県垂井町も近く これからいろいろと資料集めをしていきます。

その中で見つけたブログ、知識のない私のスタートにふさわしく面白かったです。

投稿: 心愛ママ | 2014年9月10日 (水) 22時37分

心愛ママさん、こんばんは~

コメントありがとうございます。
自由研究ですか~イイですね。。。

また、お暇な時に覗きに来てくださいませm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2014年9月11日 (木) 01時50分

いやぁ、竹中半兵衛重治はやっぱり格好いいですね
ちなみに半兵衛さんは信長の美濃侵攻の時十面埋伏の計という特殊な戦術で織田軍を返り討ちにしたそうです
これは中国の三国志に出てくるものなのでやっぱりよく勉強してたんですね^^

投稿: 第六天魔王 | 2015年5月14日 (木) 23時42分

第六天魔王さん、こんばんは~

はい!
やっぱ、カッコイイです~

投稿: 茶々 | 2015年5月15日 (金) 01時58分

突然ですが………リクエストしてもよろしいでしょうか?
僕の好きな武将が敗北した、とある合戦について茶々様に記事を書いて頂けたらなぁ、と思いまして(忙しかったら、すみません)

投稿: 第六天魔王 | 2015年12月18日 (金) 18時39分

第六天魔王さん、こんばんは~

お名前からして、好きな武将は信長さんですか?
…だとしたら、どの合戦でしょ?
私の知ってる合戦なら何とかなりますが、知らない戦いなら、これからお勉強です(*´v゚*)ゞ

投稿: 茶々 | 2015年12月19日 (土) 04時02分

あぁ…………すいません、第六天魔王というのは、僕が一時期信長の大ファンだった時に使っていた名前で今回お願いしたいのは信長についてじゃないです…………すいません

今は上杉謙信が大好きなんですが、今回は彼が直々に出陣した上で敗北した唯一の戦『臼井城の戦い(VS白井胤治)』について、是非語って頂きたいと思いまして

よろしければ、暇な時にでもよろしくお願いします

投稿: 第六天魔王 | 2015年12月25日 (金) 19時10分

第六天魔王さん、こんばんは~

入道浄三ですか…
史料、少ない方ですね~(^-^;
私も臼井城の戦いについてはおおまかな流れくらいしか知りません。
軍記物ではありますが、また『北条記』など調べてみますね。

投稿: 茶々 | 2015年12月26日 (土) 01時51分

何度もすいません

言い忘れてたんですが…………リクエストした記事が完成したら、その記事のタイトルかURLを教えて頂いてもよろしいですか?
そちらの記事で記事の感想も兼ねてお礼のコメントを致しますので

投稿: 第六天魔王 | 2015年12月31日 (木) 00時27分

第六天魔王さん、こんにちは~

多忙につき、お約束はできませんが、もともと興味のある人物ですので、いつか書いてみたいとは思っております。
なにぶん…時間に余裕が…スミマセンm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2015年12月31日 (木) 16時07分

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