「黒船見物禁止令」~庶民の反応は?
安政元年(1854年)2月3日、江戸幕府が、1月16日に再び浦賀に現れた黒船の『見物禁止令』を発布しました。
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禁止令を出すくらいだから、やっぱり見物人はスゴかったんでしょうかね。
♪太平の 眠りをさます 正喜撰(じょうきせん)
たった四はいで 夜も眠れず♪
(↑6隻おる気がするが・・・)
この有名な狂歌でもわかる通り、日本列島は上を下への大騒ぎ・・・と一般的には言われています。
・・・が、どうやら、右往左往していたのは、幕府のほうで、一般庶民は意外と冷静だったようで、「驚き」という物ではなく、幕府とは、また違った感じだったようです。
考えてみれば、日本近海に外国船が登場するのは、何もペリーさんご一行が最初ではありません。
寛政四年(1792年)には、ロシアのラックスマンが根室に・・・。
文化元年(1804年)には、同じくロシアのレザノフが長崎に・・・。
文化五年(1808年)にはイギリスのフェートン号が同じく長崎に侵入し、オランダ人を人質に3日間湾内をウロウロと航行し続け、この時は、その責任をとって長崎奉行・松平康英が自刃という悲惨な結果に・・・。
さらに、文化八年(1811年)には、これまたロシアのゴロ-ウニンが無断で国後島に上陸し逮捕されるという事件まで発生しています。
その後も、文政元年(1818年)にはイギリスのゴルドンが浦賀に・・・、文政七年(1824年)には、やはりイギリス船が常陸(茨城県)大津浜に・・・と。
そうこうしているうちに天保十三年(1842年)には、アヘン戦争(8月29日参照>>)で、清(中国)はイギリスの半植民地状態に・・・。
この間、幕府の態度は『撫恤令(ぶじゅつれい・漂流船に燃料や水を補給し穏便に返す)』を出したり、逆に『異国船打ち払い令』を出したり、またまた『薪水給与令(しんすいきゅうよれい・燃料補給OK)』を出してみたりと、二転三転の対応策を講じています。
やはり、右往左往していたのは幕府のようですね。
しかも、アメリカだって弘化三年(1846年)に、ピットル率いる軍艦が、場所も同じく浦賀に来航し、同じように開国の要求をしているのですから、百歩譲ってイギリスやロシアは見慣れていて、アメリカの黒船だからこそ、見て驚く・・・という事だとしても、先にこっちで充分驚いてるだろう!って感じですよね。
この時のピットルの開国要求は幕府が拒絶したために、歴史では大きく扱われない・・・しかし、次にペリーがやって来た時には、例のごとく、幕府が右往左往して条約を結んじゃうもんだから歴史として残り、一般庶民もこの時に驚いた事になっちゃってるんでしょうねぇ。
あの吉田松陰が、黒船来航のニュースを聞いて、そのわずか25時間後に見物に行った時の事を日記に記していますが・・・
『土人(浦賀の地元の人)甚だ憂ふるの色あり、然れども絶えて騒擾(そうじょう)の態なし』
つまり、「地元の人は心配はしているけれど騒いではいない」と書いています。
それどころか、小舟を漕ぎ出して黒船のそばへ行き、乗員との物々交換で珍品を手に入れようとしたり、外国人相手に商売を始める者もいたようで、庶民は幕府より、はるかに冷静でしたたかだったようです。
やはり、「たった四はいで夜も眠れなかった」のは幕府のほうで、その敏感さゆえに『見物禁止令』なんて事になったんでしょうね。
国を荷ってるお歴々は大変だったのでしょうが、責任のない庶民にとっては、グラビア界の黒船・リア・ディゾンを迎えるがのごとく、熱烈歓迎だったのかも・・・。
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コメント
奇しくも二月三日は節分。桃太郎に出てくる鬼は、一説に外人を見慣れてなかった昔の人が難破して漂流した外人を鬼になぞらえたナンテ伝説までありますね。そんな節分に、黒船を見に行くなって御触れをだした幕角の偉い人達は、攘夷論者だったんでしょうね。
投稿: マー君 | 2008年2月 3日 (日) 12時00分
マー君さん、こんにちは~。
そう言えば、鬼のような形相のペリーの肖像画が教科書に載ってましたね~。
やっぱ、幕府も、節分を意識して「禁止令」を出したのかも・・・ですね~。
投稿: 茶々 | 2008年2月 3日 (日) 17時03分
素晴らしい外国船を見たい方々もうらやましいでしょう。コミニュケーションだね。
昨日は歴史こんがりビキニの跡、今日は節分の鬼のイラストを描いてるんだ。INDOOR-MAMAさんは、豆まきするんですか。
投稿: sisi | 2008年2月 3日 (日) 20時17分
sisiさん、こんばんは~
最近は、豆まきもしなくなりましたね~
かわいい鬼のイラスト・・・ビキニ+鬼と言えば、やはりラムちゃんですね~
「ダーリン大好きだっちゃ」アニメ好きにはたまらないですな・・・
投稿: 茶々 | 2008年2月 3日 (日) 21時43分
以前「世界一受けたい授業」でもやってましたが、市民はどちらかというとお祭り騒ぎをしてたようですね。
屋台とか出店まででて、見物人がすごかったとか。
幕府としては規制のためもあったんでしょうし、世論から外国を受け入れる波が大きくなると止められないですからね。
情報操作ですね。
今も昔も庶民はバカじゃないよなぁと思いますねぇ(笑)
投稿: 味のり | 2008年2月 3日 (日) 23時31分
味のりさん、こんばんわ~。
「世界一受けたい授業」・・・いつもチェックしてるんですが、その回は見てませんでしたね~やってたんですか・・・
一般市民は「驚く」というより「見たい」という感覚でしょうね。
今でいうところの「たまちゃん」みたいなモンですかね。
出店は流行ったでしょうね・・・「黒船饅頭」とか「浦賀にいってきました」なんかも売り出してたりして・・・
投稿: 茶々 | 2008年2月 4日 (月) 01時39分
現在の日本社会にとっての「黒船」は何だと思いますか?1970年代は洋楽。1980年代は食料品。1990年代は外資系企業と言われました。
現タレントのKONISHKI氏が力士時代に、体格から「角界の黒船」と異名を取った事も。
後日談。約20年後の明治初期に欧米諸国を視察した一団が、「予想外」の文明の発展ぶりに政府高官が呆然としたとか。「黒い鉄の船がどうして沈まないのか?」と、庶民が首を傾げたくらいですからね。
投稿: えびすこ | 2010年1月16日 (土) 12時01分
えびすこさん、こんにちは~
やっぱ、リア・ディゾン
ごめんさない
あまり、思いつきません(p_q*)
投稿: 茶々 | 2010年1月16日 (土) 12時59分