江戸のホエール・ウォッチング~珍獣見世物事情
享保十九年(1734年)2月20日、江戸・両国で、『ホエール・ウォッチング』が行われました。
・・・・・・・・・・
『ホエール・ウォッチング』と言えば、最近のハヤリで、何だかカッコよく聞こえますが、ちょい昔風の言い方をすれば、「生きたクジラを捕まえてきて見世物にした」という事です。
これまた逆に「見世物にした」というと、何だか陰湿な響きがありますが、パンダを始め、かつては、阪神パークのレオポンや宝塚ファミリーランド(だったかな?)のホワイトタイガー、ちょっと前にはエリマキトカゲに人面魚などなど、なんだかんだ言いながら、今でも日本人は、けっこう、こういうの好きです。
・・・で、享保十九年(1734年)2月20日、両国にお目見えした生きた2頭のクジラは、「天竺でなくては見られない大海獣!毎日、人間を一人ずつ食って生きている!」というふれ込みで、大々的に公開され、珍しい物見たさに江戸市民が殺到したそうです。
ホントは、千葉の浜辺で捕らえられたのだそうですが・・・。
江戸中期は、クジラに限らず、珍獣の見世物が大いに流行った時代であります。
それは、裕福な町民も増えて町民文化が華やかに花開くと同時に、幕府の意向も相まっての事・・・。
徳川幕府も安定期に入って、おおむね平和となったこの頃は、とにかくお抱えの武士の数が多すぎる状況となったものの、だからと言って、理由もなくクビにするわけにもいかず、中級・下級の武士たちは『三日勤め』・・・つまり、週休4日体制での勤務が当たり前の状態。
そんなヒマをもてあましている連中に、「遊ぶな」と言っても、ウップンが溜まるだけですから、「健全は娯楽なら・・・」と、むしろ幕府も娯楽を推奨する姿勢をとっていたため、どんどんと盛り場や大道芸などの娯楽が発達していったのです。
このクジラの見世物の5年前の享保十四年(1729年)には、第8代将軍・徳川吉宗にベトナムからゾウが献上され、長崎から大阪・京都を通って、江戸までの道のりをノッシノッシと歩き、沿道には多くの見物客が押し寄せて、大評判となりました(4月28日参照>>)。
それ以外にも珍獣の見世物としては、孔雀やヤマアラシ・アザラシ・ヒョウなんかが人気があったようですが、そんな中でも、大スターだったのが2匹のラクダでした。
実は、このラクダは、文政七年(1824年)にオランダ人のプロムホフという人が、時の将軍・第11代・徳川家斉に献上しようと日本に連れてきたのですが、なぜか、けんもほろろに断られ、しかたなく、馴染みの遊女だった糸萩という女性にプレゼントします。
しかし、貰った彼女も、どうしていいかわかりません。
・・・で、結局、回り回って見世物小屋に・・・。
それが、「これは、はるばるハルシア(ペルシャ)からやってきたカメアルなり~。
飲まず食わずで万里を歩き、その小水はできものの特効薬になるという西方の霊獣である。」
というふれ込みで大人気を呼びます。
また、そのつがいの2頭のラクダが、大変仲が良かった事から、見るだけで夫婦仲が良くなるとの噂が広まり、連日、倦怠期を迎えた夫婦で・・・いや、恋人同士のカップルで大賑わいだったそうです。
ちなみに、同じ時期に、オランダ渡りの人魚や、肥後国大女という見世物もあったそうですが、なんか、これはちょっと怪しい気が・・・。
上方落語の中に、「一間の大イタチ」や「天竺の白い孔雀」の見世物小屋の話がありますが・・・
「一間の大イタチ発見!」のふれ込みで、小屋の中に入ると、ドまん中にに赤い物がべったりついた板が立てかけてある・・・
この板の幅が一間(約1.8m)、まん中に着いているのは血・・・つまり、一間のイタチ→一間の板血。
今度は、天井から白い布切れが2枚ぶらさげてあって、一枚は越中ふんどし。
もう一枚は六尺ふんどし・・・どちらも天竺木綿でできている。
三尺の越中ふんどしと六尺ふんどし、合わせて九尺→くしゃく→くじゃく=天竺(木綿)の白い九尺(くじゃく)・・・
江戸時代の人も騙されたんだろうなぁ。
でも、笑ってすませられる範囲なら、それもアリかも知れません。
なんだか、今も昔も変わりませんね~
たまちゃんに大騒ぎするのも、代々受け継いだ日本人のDNAのなせるワザなんでしょうね。
.
「 江戸時代」カテゴリの記事
- 幕府の攘夷政策に反対~道半ばで散った高野長英(2024.10.30)
- 元禄曽我兄弟~石井兄弟の伊勢亀山の仇討(2024.05.09)
- 無人島長平のサバイバル生き残り~鳥島の野村長平(2024.01.30)
- 逆風の中で信仰を貫いた戦国の女~松東院メンシア(2023.11.25)
- 徳川家康の血脈を紀州と水戸につないだ側室・養珠院お万の方(2023.08.22)
コメント
茶々さんこんばんは
私東京の下町そだちで、小さい頃お不動様やお大師様の縁日で見世物小屋に行った記憶があります。水芸や軽業などのほか、小人や腰から下が蛇の蛇女とかろくろっ首だとかもありました。可哀想なのはこの子でござい~って言ってたの覚えてます。(年がばれちゃう?)
投稿: みどり | 2008年2月20日 (水) 19時24分
鯨は、いいですね。イラストが描きたくなりそうです。
江戸時代に珍獣みれるなんてスゴイです。
投稿: sisi | 2008年2月20日 (水) 19時48分
みどりさん、こんばんは~
私も(年がバレますが・・・)大阪の下町育ちなので、小さい頃、四天王寺や近所の夜店で見た記憶があります。
最後に見たのは、10代最後の頃の造幣局の桜の通り抜けでしたが、その頃は見世物というよりは、逆立ちしながら絵を書いたりとかの、スゴワザを見せるサーカスのような明るい雰囲気になってました。
投稿: 茶々 | 2008年2月20日 (水) 23時21分
sisiさん、こんばんは~
クジラのイラストと言えば、ついラッセンを思い出してしまいますね~。
ウチにもジグゾーパズルのクジラの絵があります。
投稿: 茶々 | 2008年2月20日 (水) 23時24分