日本の火葬の習慣はいつから?
文武四年(700年)3月10日、法相宗の僧・道昭が亡くなり、その遺言通り、ご遺体が火葬にされました・・・これが、日本で最初の火葬の記録です。
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法相宗は奈良時代に栄えた南都六宗のうちの一つ・・・中国から、この道昭が伝えたもので、以前ご紹介した行基(2月2日参照>>)や道鏡も、この法相宗です。
火葬はインドでは古くから行われていて、あのお釈迦様も火葬にされていて、その遺骨を納めるための舎利なる建物がある事もご存知でしょう。
そんな事から特に仏教徒の間で広く行われた火葬という葬り方は、仏教の広がりとともに、アジアの各地に伝わっていくのです。
日本でも、第一号のこの道昭さんを皮切りに、この2年後の大宝二年(702年)には、第41代・あの持統天皇(12月22日参照>>)が、やはりその遺言で火葬にされた事から、その後の文武天皇・元明天皇・元正天皇なども火葬にされ、天皇家の間に普及していく事になります。
それは、大化二年(646年)に出された薄葬令によって、葬儀の方式を簡素化しようとの考えが広まっていた事も相まって、徐々に貴族たちの間でも行われるようになり、万葉集の中でも「火葬る(やきはふる)」という言葉が登場したり、火葬の際のたなびく煙に亡き人を思う歌が詠まれるほど、日本人の中にしっかりと根付く事になります。
ただし、この火葬の浸透のスピードが、思いのほか速いところから、ひょっとしたら、仏教伝来以前から、日本でも火葬が行われていたのではないか?という見方もあります。
もちろん、スピードだけではなく、大阪府堺市の陶器千塚古墳群の中のカマド塚からは、粘土槨(かく)という棺を入れる外箱の中から、火葬された人骨が発見されているという事もあります。
この人骨は、一緒に出土した副葬品から、7世紀初めの頃の物ではないか?と推測されますが、仏教的な思想から来ている物かどうかというのは、未だ研究中との事です。
ひょっとしたら、道昭に始まって、その後、天皇家や貴族の間に広がりを見せる仏教由来の火葬とは別に、古くからの葬法の一つとして、日本では、土葬とともに火葬も行われていたのかも知れません。
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コメント
仏教以外の火葬としては、陶器生産者という特殊な集団という考え方もあると思います。
陶器は、焼くと仕上がる・・というもので、中国の古代の仙人伝説の中で、陶器の発明者が、自ら窯の炎にのって昇天したというような物語もあるので、ひょっとしたら、五行の方向からの火葬かも・・という説があるようです。
投稿: 乱読おばさん | 2008年3月10日 (月) 11時26分
ほほ~・・・
なるほど、
だから陶器千塚古墳群のカマド塚なんですね。
中国では、僧などの火葬が一般的になった後でも、庶民は土葬が多かったという事なので、日本でも、古くから混在していたのかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2008年3月10日 (月) 11時49分