京都・四条から五条~もう一つのねねの道
大正二年(1913年)3月23日、京都の四条大橋が開通しました。
・・・という事で、今日は、四条大橋をスタートして、あの義経と弁慶の出会いの場である五条大橋まで、のんびりと京都の町を歩いてみましょう。
のんびりと・・・というのも、今回は、少しマニアックな・・・いえ、ツウなほうの道をご紹介します。
祇園の界隈を、四条から五条へ散歩すると言えば、一般的には八坂神社から「ねねの道」を通り、高台寺へ・・・そして、二年坂・産寧坂から清水寺へというコースをたどります。
もちろん、そちらも京都らしい・・・いえ、むしろ、京都を代表するような場所・・・華やかで雅な京都が楽しめますが、今日ご紹介するのは、その道から二本西の道(小さい路地が何本かありますが・・・)。
こちらは、静かで渋い、落ち着いた京都が楽しめます。
では、参りましょう。
四条大橋を東へ・・・四条通りを進むと、どんつきが八坂神社の楼門。
その少し手前を右(南)に曲がったところの道が花見小路です。
お茶屋さんが並ぶ石畳の道は、まさに京都・・・舞妓さんが歩いて来そうな雰囲気満載!
やがて、左側に京都甲部歌舞練場が見えて来ると、正面には建仁寺の門。
門をくぐると、禅寺らしい境内が広がります。
建仁寺は、日本にお茶を伝えたと言われる栄西(10月31日参照>>)が中国の百文山の殿堂を模して建立した臨済宗のお寺・・・日本最古の禅寺です。
建仁寺の潮音庭
あの俵屋宗達の風神雷神屏風や襖絵が有名ですが、何と言っても落ち着くのは、潮音庭をはじめとするお庭の数々・・・。
お庭が眺められる場所には、赤い毛氈が敷かれていたり、椅子が置かれていたりと、「じっくり眺めて下さい」と言わんばかりの配慮・・・誘われるまま、のんびりとした時間を過ごせます。
方丈、法堂、三門を巡って、南側の門から出ると、正面にある【←六波羅蜜寺】の看板に従って、さらに南へ進みます。
一本めの交差点・・・六波羅蜜寺へは、さらに南へまっすぐですが、ひとまず左(東)に曲がって少し行くと、左手に六道珍皇寺があります。
六道珍皇寺
実は、この珍皇寺の前の道がかつての五条通り、平安の昔は、この五条通りをさらに東に行ったところに鳥辺野と呼ばれる埋葬の場所がありました。
人が亡くなると、棺おけに入れ、この珍皇寺のあたりまで野辺の送りをし、ここで亡くなった人とお別れをするのです。
ここから、先は僧侶の手によって鳥辺野へ運ばれ、埋葬されました。
ここは、あの世とこの世の分岐点=冥界への入り口とされ、六道の辻と呼ばれます。
この珍皇寺には、以前ブログでご紹介した小野篁(たかむら)が、毎夜、冥界へ通ったという井戸(12月15日参照>>)も残されています。
珍皇寺を出たら、もとの道を戻って、先ほどの交差点を左(南)に、六波羅蜜寺へと向かいます。
このあたり一帯は、かつて栄華を誇った平清盛以下、平家の人々の邸宅があった場所。
最盛期には、その数が5200軒もあったと言いますから、その繁栄ぶりも凄い・・・。
やがて、見えて来る大きな門が六波羅蜜寺です。
六波羅蜜寺
ここには、有名な空也上人(9月11日参照>>)の立像、平清盛の坐像があり、踊り念仏でも知られています。
熱病に犯されてその生涯を閉じた清盛・・・その遺言通り、清盛のお墓という物は存在せず、塚とよばれる供養塔だけが、この六波羅蜜寺にひっそりと残されています(2月4日参照>>)。
六波羅蜜寺からは、中学校の横の細い路地を通って、五条通りへ出ます。
このあたりは、京都らしい細い路地が入り組んでいますが、南に向かって進めば、大抵の路地は五条通りに出ます。
五条通りへ出たら右(西)に向かって、五条大橋へ・・・
鴨川を渡ったところに、義経と弁慶の出会いの記念として、かわいい銅像が立っています。
四条大橋からここまで、建仁寺でのまったり度にもよりますが、サッと廻れば2時間程度。
なんなら、このまま清水寺へ行って、メジャーな産寧坂やねねの道を通って、四条まで戻る事も可能です。
一度目の京都で、メジャーな祇園を歩かれたかた・・・
ぜひ、次は、建仁寺~六波羅蜜寺を歩いてみてくださいね。
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