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2008年3月14日 (金)

刃傷・松の廊下~事件を目撃した松はどんな松?

 

元禄十四年(1701年)3月14日、江戸城内の松の廊下で、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が、高家筆頭・吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)に斬りかかり負傷させるという傷害事件が起こりました

お馴染み、赤穂浪士の討ち入りの原因となった『刃傷・松の廊下』です。

・・・・・・・

あの忠臣蔵が、判官びいきで仇討ち物の大好きな日本人に、大いにウケる痛快なお芝居となったために、長年いじわるジジイの汚名を着せられていた吉良さんですが、最近では、この傷害事件は、浅野内匠頭のいきなりブチ切れる性格による逆恨み的犯行だったのではないか?という意見が一般的になりつつあります。

浅野さん本人も、自分でその事に気づいていて、心を落ち着かせる薬なんかを飲んでいたようですが、こればっかりは、そう簡単に治せる物ではありませんからねぇ・・・

浅野さんは、この時、初めての朝廷の接待役を任され、長年、それをこなしてきた吉良さんに、イロイロ教えてもらってたわけですが、何もかもご存知の吉良さんから見れば、危なっかしくて見ちゃおれない・・・「あぁしろ、こうしろ」とつい口を挟みたくもなりますわなぁ。

それで、最終的に刀を振り回されちゃぁ・・・
吉良さんとしても、おそらく、通り魔にでも遭ったような感覚だった事でしょう。

ところで、この傷害事件の舞台となった江戸城の松の廊下・・・

今年の大河ドラマ篤姫でも、高橋英樹さん演ずる島津斉彬のバックに、時々、松の廊下らしき長~い廊下が写り込んでいますが、その大河ドラマに限らず、最近の時代劇に登場する松の廊下と、以前の時代劇・・・あるいは、お芝居で忠臣蔵が演じられる時などに登場する松の廊下と、何となく雰囲気が違う事にお気づきでしょうか?

江戸城の松の廊下という呼び名は、長い廊下に、松がいっぱい描かれた襖が並んでいた事から、そう呼ばれるようになったという事ですが、私の子供の頃の印象ですと、松の廊下の襖に描かれている松は、金ぴかの背景にゴツゴツした幹の太いガッチリした松が描かれていたような気がします。

いわゆる能舞台の後ろに書かれているような松・・・
Matunorokaacc
イメージとしては、こんな感じ↑でしょうか・・・

それは、長年、この松の廊下に描かれていた松を、勝手に想像して、時代劇などのセットが造られていたからなのでしょう。

しかし、大いなる発見は偶然起こります。

それは、今から20年前の昭和六十二年(1987年)11月の事・・・

東京国立博物館でも、時代の波に乗って、いよいよコンピュータが導入される事になり、今まで、把握しきれていなかった様々な所蔵の品を、一つ一つ入力して、調査整理する作業が行われていました。

以前から、地下倉庫の奥深く、江戸時代の木箱の中に、「何やら絵が書かれた巻物らしき物がある」という事は、一部の関係者には知られていたそうですが、いざ、その木箱を開けてみてびっくり・・・。

縦が45cmほど、長さが5m前後の巻物が、合計で260巻余り・・・それをつなぎ合わせると1300mにもなります。

「これは何だろう?」「ひょっとしたらスゴイ物かも知れない」
と、早速、識者による調査チームを発足して、本格的な調査に乗り出します。

この東京国立博物館には、もう一つ、幕末に活躍した狩野養信(おさのぶ)という絵師の日記もあったのですが、実は、これも、それまでは、あまり注目されていなかった資料だったのです。

しかし、それには、江戸城の「どこにどんな絵を書いたか」などという事が細かく書かれていたので、発見された絵と照らし合わせてみたところ、何と、その巻物は、江戸城の本丸・西の丸・二の丸など、主要建築物の襖や壁や杉戸の下絵である事がわかったのです。

つまり、施工の前に、「こんなデザインで、どうでっしゃろ?」と、注文主に見せて確認するための絵だったって事です。

江戸城の建物自身に関しては、平面図が何枚か残っていて、間取りなどは比較的想像しやすく、平面図を見比べる限りでは、江戸城が完成した初期の頃から、多少の違いはあるものの大きく変えられた事は無いのだそうです。

しかし、内部の障壁画に関しては、それまではまったくの無・・・真っ白な状態で、「松が描かれていたので松の廊下」と言われても、どんなデザインの松が描かれていたのかは、まったくわかっていなかったのです。

ですから、先ほどのように、時代劇のセットなどでは、想像して描くしかなかったんですねぇ。

・・・で、調査の結果、本丸や西の丸と言った、いわゆる公邸に当たる部分には、『唐様』という、しっかりとした立派な感じの絵が描かれ、大奥などの私邸の部分には、やさしい感じ『大和絵』が描かれていた事がわかりました。

ならば、松の廊下は公的な場所であるので、唐様・・・と、思いきや、なぜか、ここにはやわらかタッチの大和絵が描かれていたんだそうな。

しかも、想像していたようなデカイ松がボ~ン!というのではなく、広々とした感じの松原に浜千鳥が遊ぶ・・・という、何とも爽やかな図柄。

Matunorokabcc
もちろん、素人の私に同じ絵は描けませんが、雰囲気はこんな感じ↑です。

そして、やはり、なぜ、松の廊下が、公的な場所なのに大和絵なのかは謎です。

おそらくは、松の廊下はものすご~く長かったので、長い廊下にズデ~ンとゴツゴツの松の絵を連ねると、それこそ、圧迫感ありすぎだったので、やさしい絵にしたのでは?と考えられていますが・・・あくまで、おそらくです。

しかし、理由がわからなくても、下絵が存在するのは事実・・・それで、最近の時代劇のお城のシーンでは、襖絵が何となくやわらかい感じに描かれているんですね。

でも、ドラマはドラマですから、絶対に史実の通りにしなければならないわけでもありませんし・・・できれば、浅野内匠頭の場合には、ゴッツイ松の前で大暴れしてもらいたいですね。

刃傷沙汰のバックに、ホッとする絵があると、何か力が抜けてしまうような気がしますからね。

そのほうが、浅野内匠頭の気性の激しさが、グゎンと迫って来て、ドラマも盛り上がりますよね。

赤穂浪士の討ち入りについては・・・
【大石の綿密計画~赤穂浪士の討ち入り】>>
【忠臣蔵のウソ・ホント】へどうぞ>>
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コメント

茶々さん、こんばんは
30万アクセスおめでとうございます!
いつも、楽しく拝見させていただいています。

これほど、幅広いネタを扱うのは大変だろうと思います。
これからも、がんばってくださいね。

投稿: 清正 | 2008年3月15日 (土) 00時23分

清正さん、お早うございます。

お祝いコメントありがとうございました。

まだ、HPもblogも始めたばかりで右往左往していた頃から、清正さんを目標に何とか二年・・・これからも、目標にさせていただいて、末永く続けていきたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: 茶々 | 2008年3月15日 (土) 10時07分

おお! 30万アクセス!
すごいですね~♪ おめでとうございます。
沢山の方が見てくれるということで、やはりこれは「有益」な証拠ですよね。
皆様のブログを見ていて、こういう記念などになると、私も、カウンターを置いとけばよかったかな~・・なんて思いますが、まあ、いっか・。
 それにしても、毎日大変な作業だと思いますが、ずっと続けて下さいね。貴重なネタ源(ゴメンなさい)なので~♪
 まづはおめでとうございます。

投稿: 乱読おばさん | 2008年3月15日 (土) 10時26分

おばさま、お祝いコメントありがとうございます。

何を隠そう私もカウンターは途中からです。

ただ、他のもそうだと思いますが、ココログにはアクセス解析がついているので、その数字で30万・・って事です。

特にここ最近は、カウンターの調子がどうも今ひとつで、アクセス解析の数値とズレてしまいます。

一応、ココログのアクセス解析と、もう一つ他社の解析をつけているので、その数字を信じて(どれかに合わさないといけないので)時々調節したりしてます。

投稿: 茶々 | 2008年3月15日 (土) 18時01分

2014年の大河ドラマが「忠臣蔵」になる可能性はあります。
実は14年の「12月14日」が日曜日なので、この日を最終回(例えば「四十七士本懐」のサブタイトルにする)にするとキリがいいんです。NHKがこの事に気付いていればですけど。

投稿: えびすこ | 2011年7月10日 (日) 09時39分

えびすこさん、こんにちは~

以前にも書かせていただきましたが、個人的には、現在の大河の路線では、仇討を賞賛する忠臣蔵は難しいと思います。

戦国時代で戦いをすっとばすくらいですから、忠臣蔵での一番肝心な場面である、吉良さんを討つ場面をカットしなければならないかも…

なんせ、武器を持たない一人のおじいちゃんを炭倉から引っ張り出して、武装した45人で殺すわけですから…
映像は吉良屋敷に突入する所までで、その結果を、家臣の報告だけで済ますのではないでしょうか?

まぁ、路線が変わればアリですが

投稿: 茶々 | 2011年7月10日 (日) 15時51分

>仇討ちを称賛する内容は難しい。

概要を「浪士による仇討ちの称賛」ではなく、「騒動が起きた背景を探る」と言う趣旨にすれば、製作できるのではないかと思います。「幕府の処分は片手落ちである」と四十七士は思って行動しましたからね。
1999年の「元禄繚乱」の時は、討ち入りの回が最高視聴率になっています。これを踏まえるとカットしたら俳優の方から苦情が出ますね。

投稿: えびすこ | 2011年7月10日 (日) 16時34分

えびすこさん、こんにちは~

娯楽感覚ではなく、「騒動が起きた背景を探る」と言う趣旨にできるかどうかが問題ですね。

「忠臣蔵」ではなく、史実になるべく忠実な「元禄事件」なら、何とかなるかも知れませんが、それでも、どんな仕打ちを受けても、あくまで法で裁くのを善とする、ここ数年の感覚では、仇討という行為自体に批判を受ける可能性があるような気がします。

投稿: 茶々 | 2011年7月10日 (日) 16時47分

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