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2008年3月26日 (水)

ヒット曲第一号・カチューシャの唄に寄せてヒット曲の歴史

 

大正三年(1914年)3月26日、東京の帝国劇場で島村抱月の脚色によるトルストイ『復活』が上演され松井須磨子の歌う劇中歌『カチューシャの唄』が大ヒットした事により、今日3月26日は『カチューシャの歌の日』という記念日なのだそうです

『カチューシャの唄』は、翌年レコードとして発売され、女優・松井須磨子は、日本の流行歌手・第一号となりました。

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レコードとなって発売され、いわゆる、今で言うところのヒット曲という観点から言えば、このカチューシャの唄が第一号という事になるのでしょうが、それこそ、巷でのハヤリの歌の古い物という事になると、人類の歴史と同じくらい長い歴史があるでしょう。

ただ、悲しいかな、歌という物は、人の口から口へと伝わる物で、録音機がない時代では、なかなか記録として残り難いものです。

そんな中、はっきりとした記録として残る、一番古い流行歌と呼べるのは、平安時代に大いに流行した「今様」でしょう。

以前に、静御前の白拍子という職業(3月1日参照>>)のところで、少し書かせていただきましたが、静御前をはじめとする白拍子たちが、その歌に合わせて舞を舞った今様というのは、和歌と違って五・七・五のような決まりはなく、歌うための歌として作られた物で、リズミカルで語呂が良く、歌詞にも、当時の世相を盛り込んだ、まさに流行歌・・・今でい言うヒット曲=Jポップです。

少し例をあげますと・・・

♪仏は常に在(い)ませども 現(うつつ)ならぬぞ あはれなる
 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ♪

「仏は常にそばにいるのに、見ることができなくて悲しい・・・
 でも、人が目覚めぬ夜明けに、夢に見る事はあるよね」

このような、仏教的な歌詞もあれば・・・

♪舞へ舞へかたつぶり 舞はぬものものならば
 馬の子や牛の子に蹴
(く)ゑさせてむ 踏み破らせてむ
 まことに美しく舞うたらば 花の園まで遊ばせむ♪

といった童謡っぽい物や、♪一つとせ~♪という歌詞で始まる「数え歌」「物づくし」なども、今様なのです。

この今様が現代に残るのは、あの後白河法皇の残した『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)という書物のおかげ・・・

後白河法皇は、源平争乱の時代に、源氏と平家のハザマで、古だぬきのように暗躍し、人をたぶらかしてばかりいるようなイメージのある人ですが、こと今様に関してはかなりの熱の入れようで、現在のカラオケ好きのオッチャンさながらに、練習のしすぎで何度も声を潰したくらいだそうです。

そんな法皇が、「大好きな今様を後世に伝えたい」と書き残したのがこの書物。

「梁塵」とは、「歌の名人が歌えば、その響きによって家の梁(はり)に積もった塵(ちり)も震えた」という中国の故事から引用した物で、「秘抄」秘伝という意味です。

歌詞と楽譜で10巻、歌唱法などが書かれた口伝10巻からなってしましたが、そのうちの一部が現存する事で、ヒット曲のルーツである今様が、どのような物であったのかが、現代にも伝わっているのです。

この今様を元祖として、中世以降は、様々な歌へと枝分かれしていきます。

ある物は「わらべ歌」になり、また、ある物は民謡となり、室町や戦国の頃には・・・

♪面白の 海道くだりや 何とかたるとつきせじ
 鴨川しら川打ちわたり おもふ人に粟田口
(あわたぐち)
 四の宮河原に十禅寺 関山三里をうちすぎて
 人まつもと
(松本)に着くとの 見わたせば
 勢田のながはし 野寺
(路) しの原やかすむらん♪

・・・という、地方を旅する形式で地名を盛り込んだ当地ソングの元祖「海道下り」や、都の名所を紹介する「花の都」という小唄なども大流行します。

それが、江戸時代になって、端唄(はうた)都都逸(どどいつ)などに受け継がれ、やがて、それは、幕末・維新の頃に、民謡という物から近代的な流行歌へとさらに変化します。

皆さんよくご存知の「宮さん 宮さん」・・・これは、あの戊辰戦争(1月2日参照>>)の時に、錦の御旗をかかげて進軍した薩長の兵士たちが口ずさんだ、言わば「軍歌」の元祖です。

110b そして、今日の話題である大正三年(1914年)に大ヒットした恋愛ソングの元祖・カチューシャの唄・・・。

ちなみに、現在のおしゃれアイテムの一つのヘアバンドのようなあのカチューシャは、このカチューシャの唄が流行ったと同時期に流行った頭に飾るリボンの事を、流行の最先端みたいな感じで「カチューシャリボン」と呼んだのが始まりとも言われます。(←諸説あり)

大正十年(1921年)には、お馴染みの「船頭小唄」が大ヒットしますが、こちらは、新人女優・栗島すみ子主演で映画化され、カチューシャとは逆に、歌のヒットによって映画化された第一号となります。

大正時代には中小企業だったレコード会社は、昭和に入って外国資本による大会社のビクターコロンビアポリドールなどが発足し、それまでの、あの「鉄道唱歌」(5月18日参照>>)のような、路上ライブ中心でヒットさせていく手法から、レコード会社による企画・宣伝によってヒットさせるパターンへと変わっていくのです。

そんな中、昭和四年(1929年)に大ヒットしたのが「東京行進曲」・・・これは、映画主題歌の第一号です。

雑誌・キングに連載されていた菊池寛の人気小説を、映画会社・日活入江たか子の主演で映画化し、ビクターがタイアップして主題歌を作って、ともにヒットさせる・・・もはや、現在と変わりのない手法ですね。

口伝えから、路上ライブ、そして、レコードからCDに変わり、今や、テレビやネットなど、あらゆるメディアを通じて配信されるヒット曲・・・はてさて、この先の未来は、どのような形でヒット曲が生まれていくのでしょうか?

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コメント

茶々さん、こんばんは!
先日は紛らわしいTBをしてしまいゴメンナサイです。

それで、改めて唄ネタな記事にTBしましたので、よろしくです!!

投稿: 御堂 | 2008年6月22日 (日) 22時55分

御堂さん、いつもありがとうございます。

今後とも、よろしくお願いします。

投稿: 茶々 | 2008年6月23日 (月) 12時30分

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