あをによし奈良の都のお水取り
奈良・東大寺のお水取り・・・
♪水取りや 瀬々のぬるみも この日より♪
と言われるように、お水取りが終ると奈良に春がやって来る・・・待ちに待った春を呼ぶお祭りです。
・・・と、こんなウキウキ気分は、見る側だから言える事・・・
この「お水取り」という名前で親しまれている行事は、毎年3月1日から14日まで行われる東大寺・二月堂の修二会(しゅにえ)という物で、「お水取り」も「お松明(たいまつ)」も、その修二会の中の一つの行法にすぎないのです。
しかも、この修二会には、僧侶が世の中の罪のすべてを一身に背負い、一般の人々に代わって苦行に挑戦する事で国家の安泰を願うという厳しいコンセプトがあり、実践する僧にとっては、「春を呼ぶお祭り」なんて生易しい物ではないのです。
修二会の起源は、実忠(じっちゅう)というお坊さんが、笠置山の山奥で、菩薩様が行っていた天上界の行法を見て、「これを地上でも行いたい」と考え、そのための建物として二月堂を建立した天平勝宝三年(751年)に始まります。
その年から、今年、2008年で1257回・・・一度も欠かす事なく続けられているのです。
もともとは、旧暦の2月1日から14日まで行われていた行法で、修二会という行事の名前も、二月堂という建物の名前もそこからきているのですが、現在は太陽暦になおして3月1日からになりました。
しかし、この行に参加する僧侶11名は、すでに2月の半ばから、その準備に入ります。
特に、その年に初めて行に参加する僧侶は、新人として、他の僧侶より5日早い2月15日から準備と練習のために別火坊に入ります。
日常使っている一切の火と別れるためにその名が付いたと言われていますが、その日から本行までの2月末まで、本番の声明や行法などを、すべて暗記で行うための練習をするわけです。
この期間の前半を試別火(ころべっか)、後半を総別火(そうべっか)と呼ぶそうですが、総別火に入るとしゃべる事も、外に出る事も許されず、厳しい規律の中、ただひたすら本行の準備をするのです。
もちろん、準備は先ほどの練習だけではありません。
法要に使う造花や生け花・・・お餅などは1200個以上作らなければならないそうです。
そして、3月1日・・・いよいよ修二会が始まります。
それまで使っていたすべての火を消し、火打石で新たな火を灯し、これが一年間大切に使う火となります。
もちろん、お松明の火もこの新たな火が使われ、これからの14日間、様々な修行が毎日行われるのです。
- 作法や戒めを常に確認し、破らない授戒(じゅかい)。
- 食事は一日1食で、昼食の後は一日の行が終るまで水は1滴も飲まない食堂作法(じきどうさほう)。
- 一日を六つに分けて、その時間に合わせて6回の法要を行う開白法要(かいびゃくほうよう)。
- 松明を掲げて、二月堂の階段を3度駆け上がり駆け下りる三度の案内。
・・・などなど、しかも、堂内は、常に走って行動しなくてはなりません。
それは、先に書いたように、これは、もともと天上界で行われていた行法・・・天上界の一日が地上の400年なので、とにかく走って時間を縮めなくてはならないのです。
そして、いよいよ3月12日深夜・・・厳密には、日付が変わって13日の午前3時頃、二月堂下にある若狭井戸からご本尊にお供えする香水を汲み上げます。
実は、この行事が「お水取り」です。
翌日、汲み上げられた香水は、香水壷という壷に入れられますが、この香水壷は、二つあって、ず~っと昔からの香水が入った壷と、今回の新しい香水の入った壷・・・新しい香水の壷に古い香水を少し注ぎ、古い壷には新しい香水が補充されます。
これで壷の中身は、ともに1200年の時を生きてきた香水となって、また次ぎの年に受け継がれていくのです。
そして、夜空を彩るお松明の炎によって、修二会はクライマックスを迎え、14日間、二月堂にて本行を成し遂げた僧侶は、15日の朝に満行を迎える事になるのです。
ところで、お松明の見物のポイントですが・・・
12日は、お水取りの本番という事で、たいへん混雑します。
14日も短い間隔で次々とお松明が連続して上がっていくので、これまた混雑します。
12日=お水取りという感覚が強いので、「お松明は12日しか見られないのでは?」と思ってるかたが多いようですが、お松明は1日から14日までの午後7時から、毎日見られるので、初めてのかたは、この12日と14日は避けて行かれたほうが賢明です。
慣れてくれば、それなりに人の少ない場所を見つける事ができますので、本番と最終日には、マイ・ベストポイントを見つけてからにしたほうが良いかと思います。
もちろん、火の粉をかぶるくらいの舞台の真下が一番でしょうが、やはりかなりの人の数で覚悟が必要です。
ワタクシ個人的には、表参道より裏参道のほうが好きなので、いつも裏参道から行きます。
崩れかけた築地塀が連なった坂の向うに二月堂が見える姿は大変美しい・・・。
裏参道は、比較的まっすぐなので、けっこう遠くからでもお松明を見る事ができ、ポジションを確保するのも容易かも知れません。
二月堂と大仏殿のちょうどまん中あたりに、車の通れる道と裏参道が交差する場所があるのですが、ここは木が少なく、ちょっとした広場になっているので、少し距離はあるものの、人も少なくてよく見えます。
望遠付きのカメラを持っていれば、人の多い近くより、案外コチラのほうがベストポジションかも知れません。
お水取りが終れば、いよいよ桜の季節・・・
♪あをによし 奈良の都は咲く花の・・・♪
待ち遠しいですね。
.
「 京都・大阪・奈良史跡巡り」カテゴリの記事
- 本多政康の枚方城の面影を求めて枚方寺内町から万年寺山を行く(2019.05.25)
- ほぼ満開!枚方~渚の院跡の桜と在原業平(2019.04.08)
- 枚方~意賀美神社の梅林(2019.02.27)
- 堺・南宗寺の無銘の塔~徳川家康のお墓説(2018.07.10)
- 豊臣秀次と近江八幡~八幡堀巡り(2015.04.04)
「 奈良時代」カテゴリの記事
- 当麻曼荼羅と中将姫~奈良の伝説(2024.03.14)
- 桓武天皇渾身の新都~幻の都・長岡京遷都(2017.11.11)
- 牛になった女房~田中広虫女の話(2013.07.20)
- 富士山~最古の噴火記録(2013.07.06)
- 新羅と日本…古代の関係(2013.03.22)
コメント
茶々さん、こんばんは~
今年の“お水取り”(修二会)ももうあとわずかとなりましたね。僕もブログに“お水取り”の記事を載せようと試行錯誤してます(笑)
今年で76歳になる我が親父殿は籠松明をシャッターチャンスに収めようと朝5時から場所取りのために早出して行きました。
ところで実忠さん、笠置寺の正月堂で修正会を始めたのが現在まで続く“お水取り”の起源だそうですよ。
その後、後醍醐天皇が鎌倉幕府に反抗して笠置寺に立て籠もった時に正月堂も燃やし尽くされてしまい、別な場所、すなわち東大寺の二月堂に場所を変えた-という伝承が『笠置寺縁起』に残っているそうです。(何年か前の新聞記事にありました!)
投稿: 御堂 | 2010年3月12日 (金) 18時39分
御堂さん、こんばんは~
おぉ・・・笠置にはそんな伝説が!!
ルーツを争って東大寺とモメたりはしないのでしょうか?
お互い仏の道に生きる同志なので、お心が広いのでしょうね。
PS:場所取りはたいへんデス(゚ー゚;
投稿: 茶々 | 2010年3月13日 (土) 01時53分