第一次川中島・前哨戦~更科八幡の戦い
天文二十二年(1553年)4月22日、武田信玄に葛尾城を奪われていた村上義清が、信玄の陣を襲撃した『更級八幡の戦い』がありました。
一般的には、本日の更級八幡の戦いと、8月下旬から9月にかけて激突する布施の戦いを合わせて、第一次川中島の合戦とする事が多いようです。
・・・・・・・・・
越後(新潟県)の守護であった上杉氏配下の守護代・長尾為景が、下克上によって、その上杉の実権を奪い、越後の支配に乗り出します(8月7日参照>>)。
その為景の死後、その息子同士の兄弟間での家督争いに打ち勝って、本拠地であった春日山城に入ったのが、ご存知、長尾景虎・・・後の上杉謙信です。
しかし、謙信が家督を継いだその頃は、まだまだ、越後の北半分は、揚北衆(あがきたしゅう)と呼ばれる国人たちが独自に支配していたため、内紛状態が続いていおり、謙信には外へ目を向ける余裕はありませんでした。
しかし、ちょうどその頃、甲斐(山梨県)の武田信玄が、領地拡大を狙って信濃(長野県)への進攻の真っ最中。
隣国・信濃の諏訪頼重(すわよりしげ)を倒して(6月24日参照>>)、諏訪地方を手中に収めた信玄にとって、次に狙う相手は林城の小笠原長時と、葛尾城の村上義清です。
特に、村上義清には、天文十七年(1548年)上田原の合戦(2月14日参照>>)において手痛い敗北を喰らい、板垣信方(のぶかた)と甘利虎泰(あまりとらやす)という大事な重臣二人を失っています。
しかし、その後の塩尻峠の戦い(7月19日参照>>)で、もう一人の相手・小笠原長時を破った信玄は、信濃の中部まで進攻し、二年後の天文十九年には、林城を攻略・・・長時は、義清のもとへと逃げ込みます。
そして、いよいよ天文二十二年(1553年)、長時・義清を討つべく出陣した信玄は、4月6日、義清の葛尾城を包囲・・・この時、義清は戦わずして脱出し、謙信を頼って越後に逃れます。
実は、一昨日書かせていただいた河越夜戦(4月20日参照>>)で、北条に敗れた山内(やまのうち)上杉憲政も、その後、領地を失い、この一年前に謙信を頼って、越後に逃れていました。
そして、このあたりの北信濃に古くから根を張っている国人衆も、このところの信玄の進攻によって、皆、同盟を結び、義清の傘下にいましたが、義清の越後への逃亡を知って、彼らも謙信を頼る事になります。
もう、頼られっぱなしの謙信くん・・・しかし、ここに来てようやく内紛を治めて、近隣に目を向ける事ができるようになった謙信にとっては、むしろ絶好のタイミング!であったかも知れません。
なんせ、義を重んじる謙信・・・信玄の侵略行為による出兵という大義名分を掲げる事ができます。
ホントは、信玄に葛尾城を取られて一番困るのは謙信なのです。
だって、葛尾城と春日山城の距離は100km強程度・・・完全に攻撃範囲内に入ってしまいますからね。
とにかく、味方である義清とその配下の国人衆の領地を取り戻し、このあたり一帯を守ってもらっていたら、居城が脅威にさらされる事は、まず、ありません。
かくして、謙信は、信玄と戦う事を決意します。
謙信24歳、信玄33歳・・・戦国史上、屈指のライバルの誕生です。
まずは、義清が、自身の葛尾城を奪回すべく、行動に出ます。
天文二十二年(1553年)4月22日、謙信を頼って落ち延びた北信濃の国人衆プラス謙信から賜った5000の兵を連れて、義清は出陣・・・更級八幡(さらしなはちまん)に布陣していた武田軍の先鋒を襲撃します。
ふいを突かれ、余儀なく撤退する武田軍・・・村上軍はその勢いのまま、葛尾城へ向かい、翌23日には、葛尾城の奪回に成功します。
この時の戦いに謙信が出陣していたかどうかは不明ですが、実際に戦場にいようがいまいが、参戦を決意した事は明らか・・・おそらく信玄も、「いよいよ乗り出して来やがったな!」と、思ったに違いありません。
なぜなら、ここで信玄は葛尾城に執着する事なく兵を退き、一旦、甲斐に戻ってしまうのです。
それは、態勢を整え、もう一度、ベストな状態で謙信と戦うため・・・信玄もライバルとの戦いを決意したのです。
やがて、3ヶ月後の7月、信玄率いる1万の軍勢は、義清が籠る塩田城をはじめとする周辺の支城を次々と落し、川中島まで北上・・・それを聞いた謙信は、8000の兵を引き連れ、春日山城を出陣し、一路、川中島へと向かいます。
いよいよ、第一次川中島の合戦の後半戦・布施の戦いへと突入する事となるのですが・・・そのお話は、9月1日のページへどうぞ>>。
全部で5回に渡って繰り広げられる川中島の合戦・・・第二次以降については【武田信玄と勝頼の年表】でどうぞ>>
.
「 戦国・群雄割拠の時代」カテゴリの記事
- 朝倉宗滴、最後の戦い~加賀一向一揆・大聖寺城の戦い(2024.07.23)
- 織田信長と清須の変~織田信友の下剋上(2024.07.12)
- 斎藤妙純VS石丸利光の船田合戦~正法寺の戦い(2024.06.19)
- 北条氏康の華麗なる初陣~上杉朝興との大沢原の戦い(2024.06.12)
コメント